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脱げる人・脱げない人・脱がない人

人生は「脱げる人」と「脱げない人」で
だいぶ違う。


つまり、
「コートを脱いで変態になれるか?」という話だ。

(いや、違う)




いや、そうだ。



★変態については
こちら→《みんなコートを着た変態


自分を覆う《常識》というコートを脱いで

素っ裸・フルチンで生きる人は
結局、強い。


他人と比較せず
本質を生き

自分の弱ささえ、
表現のひとつとして
さらけ出せたらどんなに身軽だろう。


ここ一年は、
自分の「コートを脱ぐまでの過程」を
ブログに晒して

さらに、
ほんとうの自分を生きる方法を
記してきた。



セッションをする中で
いろんな人と出会い
たくさんの人生を知り

それぞれのコートを脱いで
魂を全開にするお手伝いをした。


あえて「脱がない」という選択



脱ぎたい、
変態になりたいと言って

それでもあえて「脱がない」人もいる


本当は脱ぎたくないのだと思う。




まだコートを着てぬくぬくしていたり、
時々風通しが悪くてムレたり
他人のコートが羨ましかったり

それでも素っ裸で歩いて
指さされるよりは

コートをきて
傷つかないように生きていたい

そう深層で念じている。




つまり、SMなのだ。





あえて、
がんじがらめのロープや
息苦しくなるピッタピタのコートを着ている。


脱げない、脱げないと
声に出しては
プレイを楽しんでいる。

ある意味の変態だ。笑


(あ、今更ながらあなたは下ネタは大丈夫だろうか?笑)




人間は面白い。



最近、特にnoteを読み漁って
そう思う。



みんなそれぞれに表現をして
自分のコートを自慢したり
素っ裸を晒したり

まさに多様なプレイが見れる。

(変態目線でごめんね 笑)



とても鋭い視点を持つ人
ほっこりとした文体の人
いつも憂いを持った人
厳しくも支えようとする人


noteはプレイで溢れている。




「面白いと思わせる作品」
に共通する魅力は

''作者に会ってみたい''と思わせること





《この人はどんな人なんだろう》


この人と会ってみたい
この人と話してみたい

どんな空氣を持ち
どんなことを考えているのか


その興味はいつも
書き手の【コートの中】にある




この【コートの中】にある
ほんとうの自分を
よく知っている書き手は

自分の表現にこだわる。


こだわるからこそ、
他との違いが生まれ
人の琴線に触れやすくなる。




内面を出す記事ではなく
ノウハウ系の記事であっても
書き手から発せられるコトバは
個を現す。


だから、作品は面白くなる。





作品の中でコートを脱げると
人はもっと書き手を知りたくなる。

その反応を得ると
書き手はもっと脱ぎたくなる。


そのプレイは、
きっといい作品を生んでいくだろう。


だから、noteを書くことで
コートを脱ぐというのは
とても健全なプレイだと思うのだ。




結果的に
コート・変態・プレイを
連呼したこのnoteは

人の琴線に触れるのかは
かなり疑問である。笑


★ブログ
「全開の私を生きる♡
~変態と呼ばれてもいいじゃない♪」




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