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娘は生まれ、私は死んだ。

7年前の今頃は、
私は陣痛室にいた。


前の日から始まった陣痛は
強弱を繰り返し
一向に強まる氣配がない。



もう、丸一日寝ていなかった。




体力は奪われていき
いつまで続くか分からない
不安定な痛みに
初産の私はヘトヘトだった。




運動をしたり
横になったり
あいまいな痛みに耐えながら
「まだ出ようとしないの?」と
赤ちゃんを恨んでいた。




日付が変わり、破水した。


勢いよく天井まで噴き上げ
一緒にいた看護師さんの
頭に私の羊水が降りかかった。



股を広げたまま、
こんなに申し訳ないと思ったことは人生でも初めてだし

その看護師さんも頭から羊水をかぶることなんて人生で初めてだっただろう。




破水は痛くも痒くもなかった。
ただ、「早く終わって欲しい」それだけだった。





破水後は時間の勝負になる。

だけれど、なぜか
陣痛が進まないので
陣痛促進剤を打つことになった。



この注射がまた厄介で...

すでにヘトヘトだった私は
血の氣が完全に引いてしまい
注射針を刺す血管すら
どこにあるのか見えなかった。





看護師さんは、私の腕へ
針を刺しながら血管を探す。

ひとり、見つけれなかった。

また、ひとり
見つけれなかった。


また、ひとり...




結局、5人の看護師さんが
私の血管を針先でグリグリ探し
激痛と共にひどい内出血が
5箇所も出来た。





陣痛促進剤が注入され
いよいよ陣痛が強くなってきた。


もう、寝ているのか
起きているのかさえ
分からないほどの
朦朧とした意識の中

本陣痛までやり過ごすつらさ。


いきみたいのに、
いきめない。


ちょうど、浣腸で便を我慢している感じだ。





それから本陣痛までの数時間、
私は生きていたのだろうか?


呼吸はしていたのだろうか?



それくらい、
味わったことのない
拷問のような「死」の時間だった。





いや、
まだこれからが地獄など
私は知るはずもなかった。





赤ちゃんが出てこない。


本陣痛が始まり
意識が飛ぶほどの
強烈な痛さの中

私は必死に
「失神してはダメだ」と
自分に言い聞かせていた。



でも、赤ちゃんがなかなか降りてこない。




何故だ。




もう促進剤も効いていて
息が出来ないほどの
痛みの波がやってきているというのに。



「まだ?」


「まだ?」


私は呼吸するのすら
必死で

もちろん喋ったり
水を飲むことすら出来なかった。






『御家族の皆さんは、退室願います』


かすかにそんな声が聞こえた。






付き添っていた母と夫は、
後ろ髪をひかれるように分娩室の外にでた。



それから、3時間。



必死に
渾身の力を振り絞り

もう死んでもいいというくらい
いきんでも


赤ちゃんは出てこない。





入れ替わり立ち替わりに
助産師さんや
産科の先生が

私の膣の中に手をいれる。



『ああ、ここか』


なにやら、喋っている。



ふと周りをみると
10人ほどの病院スタッフが
私のベッドを取り囲むようにして
その様子を見ていた。



なにか、まずいことが起きている。


だから、家族は追い出されたんだ。


でも、今の私には
とにかくいきむことしか出来ない。






私は、かすかに聞こえる助産師さんの「いきんで!」という金切り声を頼りに

まるでロボットのように''排出作業''に徹していた。





『もう、お母さんが危ないです』
と助産師さんが言った。




いや、だいぶ前から
ヤバかったよ.. .笑

思考停止していた私の脳内で
久しぶりの1ツイートだった。





それに対しての先生の答えは

『もうちょっと頑張ろう』





終了。
もう無理。

死にます、さようなら。


私の中で2ツイート目が出た。





後で知ったが、
赤ちゃんには頭血腫(頭にできた血の塊)ができていて

しかも回旋異常(赤ちゃんの回転が反対)で、産道の途中で引っかかっていたそう。




外に出ていた母と夫には
状況を知らされず
分娩室にやたら
先生達が出入りすることに
不安でたまらなかったそうだ。



どうしたのかと聞くと、
『出産してからお呼びします』
とだけ伝えられたらしい。





私がさようならと
別れの挨拶をしてから
4時間後

娘は出てきた。





私は酸素マスクをされて
目もあけられず
腕をあげる力もなく

生まれた娘を
可愛いとも思えず

ただただ
役割を終えた胎盤を
引きずり出す作業を受けていた。





頭血腫と回旋異常、
長時間の圧迫で娘の顔は
腫れ上がっていた。

それでも元氣で
真っ赤になって泣いていた。




血塗れの体を拭かれ
おくるみを巻かれたところで
母と夫と対面した。


7時間ほど
何があったか知らされないまま
途方に暮れていた家族は
小さな命に触れて
色めきだっていた。




そして、私を見て
心配していた。





あまりにも痛々しい腕のあざと
生きているのかさえ分からない
無動の私。


それから、数日たったあとも
私は1人で歩くことも
普通にトイレをすることも出来なかった。


そして、
相変わらず「赤ちゃん」を可愛いと思えなかった。


40時間の難産と
体力の消耗
休みのない子育て



「赤ちゃん」と一緒に居ること
母として居ないといけないこと

苦痛でたまらなかった。






このまま、病室の窓から投げ捨てたらどうなるだろう?
と涙しながら思った。






ここまでは、
7年前の私。




超難産から産後鬱になり
自分の人生をもう一度生き直した
私のストーリーの続きは

また書きたいと思います。

こんな私をサポートするなんて、そんな変態な人がいるのですかっ?!