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セルジュ・ルタンスの感想2

資生堂150周年記念企画で、ルタンスのフレグランスコンサルテーションが受けられる限定パックが出たという噂を聞いて、我々は銀座の奥地資生堂に飛び立った。「あっ、それは発売後1週間くらいで完売してしまいまして……」訪れたときには既にそういうことであった。どうしていいのか分からず3冊目くらいのルタンスのパンフをもらい、資生堂をあとにする一同。失意の中GINZA SIXに吸い込まれ、何故かゲランでアクアアレゴリアパンプルリューヌを買ってしまった。なんか辛いことがあるとゲランに行ってしまうの何なんだろう。

気を取り直して後日、資生堂の「A BEAUTIFUL JOURNEY」 SEASON 2~香りの芸術~の展示を見に行った。ルタンスの美しい釣鐘ボトルがたくさん見れてよかったです。はやくパレロワイヤル本店に行きたい……

限定パックは売切だったけど、コレクションノワールを何か1本買おうと思って、ジャンジャンブルかフェミニテデュボワか散々迷ってフェミニテに。限定ボトルを買ってフェミニテのパフェも食べて、「肌で味わうがいい!」どころか胃で味わってしまったわね。パフェの黒い粉がめちゃくちゃむせる。フェミニテのシダーウッドな香りとあわせて鉛筆の芯を食べているような気持ちになれるわね(パフェ自体はとてもおいしかったです)。

フェミニテデュボワ 30周年 リミテッドエディション

フェミニテは冬から何度も試しているが、けっこう使い時が難しい。鉛筆や美術館の床を思わせるシダーウッドの香りが知的な印象を与えるが、プラムの酸味がどうにも女性の汗っぽくて、セクシーがすぎると思う時がある。公式も「印象:甘美、官能、樹脂」って言ってるし……(官能という言葉にすぐ反応してしまう中学生脳)

放課後、廊下の本棚で歴史の本を物色していると、世界史の先生が通りかかる。あまり話したことはないが、眼鏡の奥に好奇心が強そうな微笑みをたたえたエネルギッシュな先生だ。「モンフォーコンに興味があるの?」「いえ、うんちの山が街なかにあるってどんな感じかなって思って……」「この本は面白いよ」そう言って僕のすぐそばの文庫本を手に取る。その時、ふわっと甘酸っぱい木の香りがした。これは西日に暖められた本棚の匂いだろうか? それとも……「これは図版が多くて、当時の雰囲気がとてもわかりやすい」先生の説明もうわの空、美しいしわが刻まれた手と白く光る袖をぼんやりと見つめ、そこから醸し出される知的な香りをもう一度嗅いでみたい、と思った。「ありがとうございます」と本を受け取る。去っていく先生の後ろ姿を見ながら、鼻は無意識にその残り香を探す。しかし、そこにあるのは橙の光に照らされて舞い上がる、小さな埃の匂いだけだった。

年月と経験に裏打ちされた知性がないと、この香りをつけるのは難しい(ひろゆき構文)。自分のように落ち着きがない若輩者がつけると、汗だらけのまま図書館に突入した人の香りになってしまう。メガネでタイトスカートの50歳くらいの女性がつけてたら恋に落ちそう。頑張って香りに見合う大人になりたいと思います。

シェルギイ(モロッコの砂漠の熱風)

資生堂150周年のお買い物スタンプラリーをコンプするとルタンスのサンプルが貰えるのだが、香りのセレクトは店員さんおまかせという仕組み。妙齢の女子二人で行ったというのに、何故か二人ともシェルギイを渡される。アタシたち、乾ききった女……ってコト!?

何でシェルギイなんだ……悪魔の寝床とかのほうがまだしっくりくるわ(闇の眷属なので)と不思議に思いながら使ってみると、意外にもほんのりと甘く癖になる香り。
吹きかけると、クラフトコーラにも似たスパイシーなトップ。続いてすぐにスモーキーさが出てくるが、それと同時にベビーパウダーのようなイモーテルの香りがお肌に優しく寄り添ってくれる。ドライフルーツを思わせる、褐色の中にも豊かな色彩を感じられる香り。
砂漠を旅するターバン系男子じゃなくても、古着やアンティークな雰囲気が好きな方なら女性でもつけこなせるのではないだろうか。

ラヴィエルジュドゥフェール(鉄の百合)

名前を聞くたびに、はなかっぱの「ラ・プリエール・デュン・ヴィエルジュ」の回を思い出してしまう(あらすじ:ももかっぱ兄が新作のパンに好きなバラの名前(ラ・プリエール・デュン・ヴィエルジュ)をつけるが、誰にも呼んでもらえず「ぷりぷりパン」という俗称が定着してしまう)。パンにクソ長い名前をつけるな。
この最重要頻出単語であるviergeは、辞書の一番上には処女と書いてあるので、ももかっぱ兄ィのエッチ! けだもの! となりがちだが、よく見ると二番目の意味として「聖母マリア」とある。百合といえばマリアって進研ゼミで習ったことある!

鉄の教義は処女を、処女は百合を求めた。光あれ!暗闇はもうけっこう。 望みを抱く者の魂は暗黒ではない。 鉄の処女にようやく追いついた。 我らの内なる恐怖の深淵まで荊に潜み咲く百合を探しに行こう。

www.sergelutens.jp

あいかわらず何もわからない……キリスト教とアイアンメイデンの話をしているんだろうけど、キリスト教のアトリビュートとかを勉強してこなかったので具体的な意味が全く浮かんでこない。

鉄の教義は処女を、処女はユリを必要としていました。
この苦しみから掩蔽壕(えんぺいごう)のような小瓶へ格納します。
そこには作者が入っているのです。

2016年の日本語説明

ヒントを求めてネットを徘徊していたら、2016年のラヴィエルジュドゥフェールには違うポエムが添えられていたことを発見。そこには作者が入ってるのです……って結局はいつものオチかーい。
ベルリンの少女のときは「ベルリンの少女とは私のことだったのです」って言ってるし、檻の中の調教師ではルタンスが檻に入ってるし、フレーバーテキストが理解できないときは大体ルタンス自身のことだと思っておけば間違いない。

そんな鉄の百合の香りは、濃厚な花粉と洋梨の甘さがメインだが、どこかユリの葉のようにどっしりとした陰鬱な影を感じさせる。甘いながらも、決して可愛いとかモテとかいった軽薄な印象を与えない。寒い季節には、少し酸味を帯びて鉄っぽい表情を見せることもある。ラルリジューズ(修道女)が好きな人は、こちらも好きそう。洋梨を大人っぽく纏いたい方に。

アンボワバニール(バニラの木)

バニラの木というからには、ウッディのなかにほのかな甘味を感じる系なのであろうと予想してワンプッシュ。すると、開幕からバニラバニラ!!¥¥ 気温が暖かいせいか!? と思ったが、10度くらいの寒い日でもバニラの圧倒的な攻勢は変わらない。まるでプリンの底のカラメルを全身に浴びてしまったかのよう。

[豊かに甘く、かつウッディな香り]
メキシコ産ブラックバニラのエッセンス、白檀(サンダルウッド)、甘草、ココナッツミルク

サンダルウッド以外全部甘いッ! スピードワゴンもびっくりだよ。自分の肌では最後までウッディが現れず、終始安定してバニラ。たまに咳止めシロップのような薬っぽい酸味が現れるが、これが甘草なのだろうか。

甘草(カンゾウ)
ショ糖のおよそ150倍の甘味を有するといわれているグリチルリチン酸を多く含み(略)醤油や菓子,煙草などの甘味料としても大量に消費されている.

https://www.nikkankyo.org/seihin/shouyaku/03.htm

うっかりツープッシュしたり、夏に使おうものならビアードパパのお店の隣に住んでる人の気持ちになれること間違いなし。冬でも甘すぎるので、いまいち使い所がわからない……。

ロルフェリン(灰の乙女)

「インセンス、ムスク、カストリウム。極めて優美なオリエンタルの香り」
一体どんな香りなのか……ルタンスの香水は、そのポエムからはもちろん、ノートの説明すらほぼ参考にならないのが特徴だ。

中古市場で叩き売られてるロルフェリンを見たとき、
私「ごめんね、飼ってあげたいけどうちにはもう場所がないんだ」
ロルフェリン「その香りは浮遊するベール。 父は木で、母は炎。 星屑のように優美で純粋。 けれどもやがて塵にまみれ、霞んでいく人生の軌跡。 それは記憶。 儚く繊細だが、しかし完全なもの。
私「じゃあ買うか……」
そういうことになった。

まずは挨拶代わりに一吹き。灰の匂いだったら困るな……と思うのも束の間、あたりに畳のいぐさを思わせる和の香りが広がった。液体色は透明だが、香りのイメージは薄いグリーン。初夏の茶室、張り替えたばかりの畳、竹筒の一輪挿しと床の間の香合。アットコスメで「和服に合う」というレビューが多いのもうなずける。

個人的な思い出だが、小中学生のころ茶道を習っていた。「お茶会行こうよ!」と友達に誘われて、行ってみたら茶道の教室だった。色とりどりのゼリー菓子につられて、小学4年生の女の子5~6人がお稽古に通っていたが、一人またひとりとやめていき、2年後には私だけになっていた。私が一番おふざけや無作法で叱られることが多かったこともあり、「まさかあなたが最後まで残るなんて」と先生が冗談交じりに言った。

週2回、同じことの繰り返し。決められた作法、決められた手順、決められた挨拶。生徒が一人しかいないので、3時間のお稽古で同じお点前を何度も反復練習する。きれいなお菓子も、にぎやかな友達ももういない。茶室の正客の位置で、年老いた先生がじっと目を閉じている。静寂。
私は今中学生で、世の中にはもっとたくさんの新しいことが待っている。漫画を読んだり絵を書いたりショッピングに行ったり……この暗い茶室で過ごす時間に一体どんな意味があるのだろう。指紋の溝の抹茶の粉、使い続けてくすんだ袱紗、枯れた畳の匂い。毎週、毎週、繰り返し。

中学2年生になったある日、教室をやめた。「受験が忙しいから」とかなんとか言って理由をつけたが、本当は稽古の繰り返しに意味を見いだせないからだった。そのあとは、先生と連絡も取らずに15年の月日が経った。

大人になって実家に帰り、たまたま教室の前を通りがかったとき、久しぶりに茶道の先生に会った。先生は、着物を来て私たちを教えていたときよりもひと回り小さく見えた。
「先生、ご無沙汰しております!」
柔らかい微笑みの中に、少し不安げな色を浮かべて「すみませんね、どちらさまでしたか?」と先生は言った。無理もない。あれから15年も経っているのだ。
「たなかです、15年ほど前に先生に茶道を教わっておりました」
「そう、あれからそんなに経つんですねえ」
「子供も生まれて、実家に帰ってきました」
「そうですか、それはよかった」
私は先生に再開できた喜びで、今のこと、昔のことを次々に話した。先生はそれをニコニコしながら聞いていた。教室にいた頃は見たこともないような優しい表情だった。しばらく話してから、おもむろに「それで……あなたはどちらさまでしたか?」と先生は言った。
私はあっ、と思った。そして、色々とまくし立てるように話してしまったことを詫び、先生もお元気で、と言って帰った。

ロルフェリンの香りで、あの茶室の風景を思い出す。障子が四角く照らす薄暗い六畳間。気怠い午後3時の空気。釜がシュンシュンと音を立て、5月の陽気に汗がにじむ。歩調に合わせてミシリミシリとなる畳、床に手をついて礼、いぐさの匂い。今も茶室はあのままなのだろうか?

けれどもやがて塵にまみれ、霞んでいく人生の軌跡。 それは記憶。 儚く繊細だが、しかし完全なもの。
たまたま個人的な記憶と結びついただけではあるが、いつもは理解できないルタンスの言葉が今回ばかりはスッと腑に落ちて恐ろしくなった。

ルタンスは今日も物陰から私たちを見つめている。

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