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「寄り添う」ということ

ここ数年、実務者と話をして感じることがあります。
それは、「美しい言葉を使いすぎる...」ということ。

なかでも、「寄り添う」という言葉。

私は、支援者がこの言葉を使うことに、
違和感を感じます。

支援者の「心がけ」として使う分には良いのですが、
「私は利用者に寄り添っています!」という表現は
どうなのかな...と。

ついつい、「利用者は、そう感じていますか?」と
お尋ねしたくなります。

利用者が、そう感じていなければ、
何の意味も持たない言葉なのではないかな...と
感じるのですね。

にもかかわらず、
寄り添うことを強調する支援者には、
どうしても違和感を感じてしまいます。

「寄り添う」とは、
いつも傍にいることではありません。
常に傍に居られたのでは、
鬱陶しくて仕方がありませんね...。

「寄り添う」とは、心理的距離を意味する言葉。

利用者と支援者の間に、
適切な心理的距離が保たれた状態です。

近づきすぎず、遠すぎず、
両者の間に適度な間合いがある。
これが「寄り添う」ということ。

そして、利用者の心の中に、
支援者が内在化されている...ということ。

内在化している主体は、利用者です。

いつの間にか、支援者の間で
「寄り添う」という耳障りの良い言葉が
使われるようになりました。

支援は、本質的に「泥臭いもの」だと思います。
だからこそ支援者は、
イライラしたり、ムカムカするものです。
決して、キレイゴトではありません。

イライラやムカムカを、自己洞察したり、
利用者にフィードバックしながら、
「支援関係」の礎を創っていく。

そういう過程を経るからこそ、
支援者が「内在化」される...と思うのですね。

私の知る限り、
「内在化された支援」を提供できている支援者達は、
耳障りの良い言葉を使わないような気がします。

彼らの実践に、「美しい言葉」は必要ないのですね。

こういう姿勢こそ美しい...と私は感じます。


冒頭の画像は、taketaketjさんのものをお借りしています。
ありがとうございます。