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My favorite notes

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心に残るnote、何度も読み返したくなるnote、他の人にも読んでもらいたいと思うようなnoteを入れさせていただいています。
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#note

これからの「生き方」の話をしよう

ずっと前から「生き方」というものに興味がありました。 高校生のときから答えのない問いをずっと考えていて、「どんな風に生きたいか」と聞かれたら、「明日死んでもいいように生きたい」と答えられるようになりたいと思っていました。 自分は当時その言葉の意味を以下のように捉えていました。 でも最近になって、「違う意味なのかもしれない」と思うようになりました。 その言葉の意味は、もっと生々しくて、不完全で、人間らしく生きることなのでないか、と思ったのです。 強い言葉との出会い高校

日常系noteの丁寧な味わい方

人は理解できないものが目の前に現れると兎角それを否定してしまいがちだ。 日常系noteという存在をご存知だろうか?これらは特にテキスト形式で日記的にネットに放たれる一見地味な発信を指す。一つ一つは大して役に立たない情報であり、且つバズらせよう(pv数を稼ごう)という気概もないテキストの群れはその日その日思い向くままにポンと書かれて発信される。 ただそれだけの存在だ。 その原型となるものはネット黎明期から確認されているし、その多くは商業的な付加価値を得るためにマンガへと進化し

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ツイッターは「試食」、noteは「バー」なんじゃないか説

 Webメディアを飲食の世界でたとえてみました。  まず、ツイッターは「デパ地下やスーパーの試食コーナー」です。  いろんなお店が軒を連ねていて、いろんな食べものが並べられています。あなたは無料でお店のものを試食できます。「うん、これはおいしいね」「んー、これはいまいちかな」。おいしいなと思ったら「いいね」をしたり、連れやまわりの人に「ここ、おいしいよ」と教えたりします。 (おいしかったらその場で買えるじゃないか!というツッコミはなしでお願いします。そこはぼくも論が弱い

何の因果かぼくらは出逢って。

何の因果かぼくらは出逢って、時間を共にしてきた。 探り探り、お互いのことを知った。 触れあうことで、自分の意外な一面も知った。 キミはぼくに、新しい価値観をくれた。 それは、「ぼくはぼくのままでいい」ということだ。 キミと出逢う前に、ぼくは自分の人生を、だいたい折り返し地点まで生きた。 だからその間、好きになった人もいたし、好きだと言ってくれる人もいた。 付き合ってきた人も、人並みくらいはいたと思う。 いつも、カッコつけるために頑張っていた。 彼女にあわせて、たくさん虚

スキでもないのになんでスキって言えるの?

noteで読まれるコツ。フォローやスキ(♡)を増やすコツ。 ってさ、ただ書いてるだけじゃダメなの? スキでもない記事にスキって言って、読みたくない人をフォローしなきゃいけないの? やっぱりどうしても人に売り込んでいく努力って必要なの? 結局、売り込まないと読まれないのって内容が万人受けしないからなんじゃないの? だったらなおさら売り込まないと、読者予備軍の母集団形成をしないと読まれない.... と、いう理屈は、分かった。 Twitterでフォロワーを増やすコツもn

「何度でも読みたい」マガジンのすヽめ

実は、ここ数か月、「何度でも読みたい」というマガジンにお気に入りのnoteを追加して、時々読み返すということをしている(そう、"読みたい"だけじゃなくて、本当に何度も読んでいるんです)。 いつも、好きな本の特に好きなページや心に響いた言葉のあるページに付箋をつけるような感覚で、noteをマガジンに追加している。 そして読み返すときは、付箋のついたページを開くような気持ちでnoteを開く。 何かに迷ったときや答えがほしいとき、そのときの自分にとって必要な言葉は大体、付箋の