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強がりに聞こえるのは重々承知で。

結婚するとかしないとかの話

前に途中まで書いたけどやめたやつを、もう一回開いて書いてみた。

世の中には、結婚していない女性の叫びがいろんなところに溢れている。私自身の周りでは、結婚ラッシュや出産ラッシュも一段落し、「あなたはいつなの?」って聞かれることもむしろ減ってきた気さえする今日この頃。それでもやっぱりいろんな会話の最後にこういう話になることはまだまだ多い。聞かれれば「いい相手がいればね〜!」と適当に答え、「じゃあいい人見つけないとね!」って話になり、その話はだいたいそこで終わる。

自分と結婚したいと思ってくれて、自分も結婚したいと思える人がいるのであれば、しないこともないだろうけど、私には一般的な結婚願望というのはあまりないのかもしれない。ひがんでいる訳でもなく、諦めている訳でもないけれど。

まず、自分が誰かと結婚している姿が単純に想像できないというのが1つ目の理由。結婚式をあげたいとか全然したいと思わない。むしろ恥ずかしいからしたくないと思う。これは歳のせいも少しはあるかもしれないが、中学生とか高校生とかのときからずっと思ってた。子どもがほしいという思いも特別にはない。教育に携わっているものとしては、その責任を大きく感じすぎて、自分の子どもを育てるなんてこと、全然想像できない。家事も得意じゃないし、誰かと一緒に生活することで迷惑かけるんじゃないかって思うことが多いから、今の生活のままでいいのかもしれないとさえ思っている。少し前まではそうでもなかった。一緒に暮らして、結婚を考えたことがある人もいた。結婚したらああしたいこうしたいっていろいろ想像できていた。でもそれがいつからかなくなった。

2つ目の理由としては、周りを見ていてこうなりたくないって思ってしまう自分がいる。結婚しました、子どもが生まれました、子どもが◯歳になりました。それが全部、同じに聞こえてしまう。学生時代、社会人になってからも、皆それぞれに志すものがあって、将来こうなりたい、あんなことをしたいって熱く語っていたのに、家庭ができたら話題がぜ~んぶ家族のことになっていく。それを否定するつもりは全くなくて。単純に幸せそうでいいなって思う。でも、今までのみんなはどこに行ってしまったの?って正直思ってしまう自分がいる。Facebookも、LINEのアイコンも、Instagramも、赤ちゃんの写真ばかり。ママ、パパになった話ばかり。子どもたちが〜した、って話ばかり。子育てをしている人たちは本当にすごい。每日みんなに見えるとこでも見えないとこでも、その小さくも大きな存在のために必死で働いて、育てて、守って、戦っているのはよくわかってる。何度も言うけどそれを否定するつもりは全くない。ただ、誰かの夫や妻、父親、母親であるという、ん〜なんていうか、ラベルというか、その役割というか、それしか入ってこない。自分も結婚したらそうなるのかな?って思うと、じゃあいいやって思っちゃう。

最後に、この歳になっても”まだ”結婚してないんだね、って可哀想な目で見られることが面白くない自分が面白くないって思ってる。ややこしいけど。私は結婚しないんです。したいと思わないんです。とわざわざ言うことやそういう素振りを見せることが、強がってるとか可哀想だって見られることはわかってる。だから、いつかいい人が現れて結婚したいって思っているという風に適当に返事しちゃう。でも、本当はそんなことしてる自分はあんまり好きじゃないから、こんな風にいろいろ吐き出してるんだろうなって思う。

強がりに聞こえるのは重々承知で言う。朝から夜まで目一杯、力振り絞って仕事して。帰ってきて一人でいる時間はだらだらしたり何もしないでいたり、ふらっと何処かに出かけたり、たまに夜更かししたり、信じられないくらい長い時間寝たり。それでも時々どうしようも寂しくなって誰かと一緒に過ごしたくなったりもする。そんなときだけ自分から声かけて、人に会う。でもそれにもまた疲れて部屋に戻って、最後は一人で、眠りにつく。思いっきり誰かのために働いたあと、誰の目にも触れず、誰にも迷惑かけずに自由にできるこの時間を楽しみながら生きていたっていい。趣味や、こだわりや、人に見せられるようなもの、話せるような特別なことがなくたって、心が休まる時間があればそれで十分だ。って、私だけは私の気持ちに賛成してあげようかなって思ってる。

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