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名もなき家事。大変なのはわかるけど、でも。

1ヶ月の家事を労働として月給に換算すると
なんと42万円にもなるとのことです。

でも実際、一人暮らしをしている人は全部自分でやっていることでは?と思うのです。誰にも気づかれないし、誰にも褒められないけれど、ちゃんとやってる。とは言え、私は生活するのに必要な最低限の家事しかしていませんし、一人分をやるのと家族の分すべてをやるのでは負担が全く違うことはもちろんわかっています。自分なりにこだわったりルールを決めたりしながらやっているから、そんなに負担ではないのかもしれません。

一緒に暮らしていく人が自分の思っていることと違うことをしたり、思うようにやってくれないということ自体がストレスになるのかな。それから、自分がやっていることが当たり前だと思われることに腹が立つんだろうな。と理解はできます。

異論反論はたくさんあるとは思いますが。言います。あまりにも、家事が大変、専業主婦は大変、みたいな主張が増えすぎているのでは。

手伝ってもらいたい場合は、手伝ってって言うべきだと思う。
手を出さないでもらいたいなら、自分がやるって伝えればいい。
大変なら大変って主張していいと思う。

目立たない家事はやっぱり大変だし気がついてほしいと思うけど、相手も何か見えないところで何かしているってこともあるのではとも思う。例えば旦那さんが職場で、何かストレスを受けて帰ってきているかもしれないとか、何かを我慢しているのかもしれないとか、大変な仕事が一つ終わったところなのかもしれないとか、そんなことを全部察してほしい、気がついてほしい、褒めてほしいって言われても、言ってもらわなきゃわからないですよね。それをしないで自分のやってることだけ主張するのはちょっと違う気がするというか。

職場のなかでだってあります。例えば、いつも自分がゴミ袋やシュレッダーのゴミを片付けている気がするって感じることがあります。でも、私以外の人だってやっている。それが見えないから、自分ばっかりって感じてしまう。コピー機の紙を補充してくれているのが誰かなんて普段考えていないし、トイレットペーパーをちゃんと使わない人にイライラする反面、いつもそこに次のトイレットペーパーを補充してくれている人のことなんか考えもしていない。自分ってホント自分のことしか考えられないのです。

名もなき家事。名もなき仕事。名もなき役割。
今も自分に見えないところで何かをしてくれている人がいるかもしれない。だから自分も見えないところで誰かのために何か行動する。それが評価されるかされないかはわからなくても、誰かのためになるということが明らかなのであれば、私は進んでそれをできる人でありたいと思います。

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