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マメのこと①_残った時間について

※こちらの日記はorangestarの日記に2107/11/17に投稿した記事です。

http://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2017/11/17/233957



今日、朝、ふと、マメ(うちの4匹目の猫)の身体が妙に軽いなと思って、体重を測ったら4.2kgだった。この間測ったときは(そしてずっと長い間)5.6kgだったので、これは何かあると思って病院に連れて行った。見た感じは全然異常はなくて、脱水もなく食欲もあった。

病院でも、見た目と触診では分からなくて、半年ぶりに血液検査をした。30分待って結果がでて、体重減少の原因が分かった。慢性腎不全。ずっと、数字のところが見えなくなって、でも残り時間を刻んでるタイマーの、残り時間の部分が開示されたみたいな感じ。

猫にとっての慢性腎不全は宿命のようなところがあって、なるのを予防することもできないし、進行を止めることもできない。ある意味寿命に近いようなもので。体重が、一時期に比べるとすごい減ってるというのは今日気付いたのだけれども、数か月かけて減って行っていたのだろうという先生の見立て。でも、早く発見していたとしてもどうしようもないっていうこと。(体感としては先週は普通に重たかった)

マメは、猫の種類はメインクーンで現在7歳。メインクーンという品種は、そもそもこの種類の病気にかかりやすい品種で、また、マメちゃんの場合は、生まれつき片方の腎臓が動いていなかったらしく、こうなることはもうずっと分かっていて、だから、ああ、もう、そういうことなんだなあって思った。覚悟は、結構前からしていたのだけれども、やっぱり、カウントダウンが始まると、辛い。

今の、ここまで体重が減った状態は、人間だったら人工透析を始めましょうか、というレベル。腎臓の75%が動いていない状態で、それは改善することはない。で、今から、治療としてできることはない。っていうことだった。家に帰って、とりあえず今の段階でご飯を食べているか、水を飲んでいるか、確認して、これからの食事量もちゃんと食べてるかみて、食べれなくなったら、点滴や食事を変えたりなどして食べられる状態にして、ということをしていくということ。血液検査も今後は無い。好転することはないので血液の状態を調べても仕方がないっていいうことらしい。この状態であとどれくらい、ということは言えないけれども、5年生きるということは絶対にない。3年生きたという子もいるけれども、急に悪くなるということもある。半年から1年、それくらいを考えておいてということだった。

色々な事を考えてしまう。今年の春に1匹目の猫であるオシオが他界したばかりなのに早すぎるとか、やっと、彼女がいない生活にも慣れてきてみんな落ち着いてきたのにとか、長男が、その後ものすごく情緒不安定になってしまって、今回も、とか。子どもに死を体験させた方が良い理解させた方がいいっていうようなそういう考え方の人もいるけれども、自分はやっぱり辛いことはない方が良いし、人や、親しい生き物が死ぬっていう事はその子供の10倍近く生きてる自分でも、いまだに理解できないし整理できないし、受け入れるとかそういうの無理。避けれる物なら避けた方が良いって思う。生きて残る側になっている限り避けられないんだけれども。

マメちゃんは、ホームセンターのペットショップから引き取ってきた猫だった。生まれた時は40万の値がついていたのだけれども、ずっと売れ残っていて、処分される寸前に、他色々な道具と一緒にワクチン二回分病院代込み10万円で身請けしてきた。どんどん値下がりして成長しないようにベタベタのごはんを食べさせられているのを嫁がずっとみていて。ホームセンターのペットショップ許すまじな話は色々あるんだけれども、とりあえずマメちゃんはそのペットショップのケースの中でいつもお腹を空かせていて、メインクーンなんだけれども成長期に十分な栄養を摂れなかったせいで、メインクーンにしてはかなり小さめな猫になってしまった。(だから名前もマメ)。年末。今日売れなければ処分されるということで、そのペットショップのバイトがその猫を抱いて泣きながら店内で買ってくれる人を探していた。それで、店の人と話して引き取ることにした。

それまで一番下だった、イリっていう猫がお姉ちゃん風をふかし始めて色々教えたり一緒に遊んでいたり、(マメが発情期を迎えた時に、「弟なんかじゃない!」みたいな感じで、姉弟的な関係性は終わってしまった)ずっと、一人で暮らしていたから猫同士のじゃれあいの距離感とか力加減とかが分からないで孤立したり、あと、猫と猫間の適切な距離感が分かんないで、ケンカになったり。マメちゃんが一人だけ猫しぐさが分かんないまんまだった。あと、やたらと毛布をふみふみする猫だった。ビニール袋をとにかく舐めたがる猫で、早い時に親元から離された猫ってこうなるらしい。胴体ががっしりしていて、猫って結構踏んだりそういうことがあっても、内臓の位置がぐにぐに動くので大丈夫なんだけれども、他の猫みたいに溶けたりしないので、そういうところで不安だった。甘えるとか人間が好き!っていうのを隠さないので、猫というよりも小型犬みたいな猫だった。メインクーンっていう品種はそういう猫らしい。

次男と自分の事を兄弟と思っている節があって、次男におやつを上げていると隣にやってきてずっと次男の顔を覗き込んでいる。座る次男と目線の高さがほとんど同じで、すごく仲がいい感じに見える。

2か月くらい前に、小さい衣装ケースをおもちゃの片づけるようにとかって、高いところに置いておいたのだけれども、そこに入り込んですごい今までにないくらいに安心していて、小さい頃の経験からああいう場所が一番安心して落ち着くのかなっていう話をしていた。衣装ケースを本来の用途に使ったら、不満そうな傷ついた顔で見てきて、だから、結局その衣装ケースはまた高い場所に置いて、マメちゃんの寝床として使ってる。

オシオがいなくなってから、それまではずっと仲が悪かったごまととても仲が良くなって、今日も、病院に連れて行こうとしてマメをかごに入れたら、一番怒ってきたのはゴマだった。帰ってきても一番先に猫挨拶してたし。

もう何十年も生きてるのだけれども、悲しいことに慣れない。どうやって良いのか分からない。これから来ることに覚悟が決まらない。そもそも覚悟って何か分からない。自分は神様を信じていないし、死んだ後の意思(幽霊とか死後の世界とか天国とか)を信じていないし、宗教もなくて死んだら無になると思っているし、実際そうだと思っているから、死んだら死んだっきりだと思ってる。死んだ相手は、もう辛いとか悲しいとかないので、悲しいのは残った側だけの問題なんだから、特に自分が悲しいと思わないと悲しいことはないので自分一人だったら悲しいっていうのを感じないようにすればいいんだけれども、生活してると他の動物とか子どもとかは悲しむし、いなくなって辛いひとがいるのが辛い。会えなくなるのは、例えば引っ越しとかしたらあえなくなるのと同じなのに、そしてそれっきり会えないことっていうのは普通にあるのに、死んで二度と会えなくなってしまってしまう事との違いが自分には頭では分からない。

最後辛いことになるのなら楽しいこととかなくていいと思うし、特に何もなくってずっと洞窟の中で暮らすような人生がいい、楽しいこととかは最後辛いことになるから。そういうのは間違ってるとか言ってくる人はいるしそれが正しいのだろうけれども、できるだけ平らな方が良い。

マメちゃんはうちに来て幸せだったかどうかっていうと、幸せだったのには間違いないと思う。ずっと上機嫌な猫だったし。

残ってる時間、できれば楽しく過ごさせてあげたいし、多分、あげられるし、本人は最後まで幸せでいられると思うしいさせてあげられると思うから、なにも辛いことはないはずなんだし、だれも悲しまなくていいはずなんだけれども、やっぱりこういう事には慣れない。

たぶんこれからも慣れない。

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