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なにがなんでも、っていう気持ち。

復職して一週間が経った。今は時短勤務で10時から15時まで、お昼休憩を抜くと4時間勤務だ。今までの働き方と比べると、なんだか4時間っていうのが一瞬に思えるのかなと思ったのだけれど、全然一瞬じゃない。長い。どう考えても長い。机に居座るだけでも、つらい。心臓がいたくていたくて、たまらない気持ちになる。すぐにつかれたり、気持ち悪くなる。だからわたしは、15分に一回くらい、デスクトップの上の時計をチラチラ見る。あと何時間と胸に唱える。復職1日目の朝に、「あなたなら大丈夫」と言ってくれたばあちゃんの声を繰り返し脳内で再生する。

なんでこんなにダメになっちゃったのかなって、トイレで泣いちゃったりする。じぶんは、ほんとうのじぶんはどこに行っちゃったんだろうって、薄暗い森の中をさまよっている気持ちになる。それでもお腹は空くし、たくさん寝たいし、お風呂にも入りたいし、外に出たいし、なんでも知りたいって思うわたしがいる。心臓の中にいるわたしに問いかける。「ほんとうのわたしって、どこにいるのかな?」。心臓の中にいるわたしが答えた。「いつだって、わたしはほんとうのわたしだよ」。うん、そうだね。そうじゃなきゃね。

今はね、落ち込むことが多くって、なみだがでる日もあるんだけどね。

「なにがなんでもしあわせになりたい」って、思うんだよね。

コピーライターの巨匠の一人である岩崎俊一さんのコピーには、「しあわせ」とか、「幸福」って言葉がたくさん出てくる。本来、そう言った普遍的なことばというか、きわめて抽象的なことばはコピーにふさわしくない、と先輩に教わった。岩崎さんレベルにならないと、幸福は言っちゃいけない、みたいな風潮もあるように感じる(わたしだけかもしれないけれど)。例えばこのコピーだ。

外が寒い、という幸せ。
(イズ・ステージ 積水ハウス 1994年)

わたしはこのコピーが好きだ。BUMP OF CHICKENの名曲スノースマイルの歌詞で「冬が寒くって本当に良かった 君の冷えた左手を ぼくの右ポケットにお招きするための この上ないほどの理由になるから」に近しいものを感じるから好きだ。一瞬で積水ハウスの家は暖かいことがわかるのが好きだ。そして、その幸せを感じる人を、ありありと想像できるから好きだ。コピーはスピードとはよく言ったものですよね。うん。好きだなあ。

そうそう、だから、わたしは、じぶんの幸せをね、なにがなんでも諦めたくないんです。そのために、今を生きているのかもしれないってくらいに。未来、それは1秒後なのか1分後なのか一時間語なのか1日後なのか一年後なのか十年後なのかわからないのだけれど、というかずっとずっとしあわせな気持ちで生きていきたい、って気持ちだけは、どんだけ腐っても忘れないようにしなきゃな、って思う。

なんか、noteを書いてるといつもなにを言ってるのかじぶんでわからなくなる。でもまあいっか。へへへ。

とりあえず、ペチカを5年やるってくりこさんが言ってくれたから、それまでは確実に生きるよ。うん、生きる。パフェも食べてないしね。
わたしはイチゴたっぷりで、バナナとチョコレートをかけたいです。アイスはそこそこに、味のないフレークをどっさり中に入れたい。カラースプレーっていう毒々しくて、華々しさの象徴みたいなチョコをうえから振りまきたい。アイスはね、バニラがいいな。テッパンだもの。

会社の窓から見えるさくらはきれいだった。よかった、そのきれいって思う気持ちは、わたしのなかでしっかりと根を張っているんだ。
やっぱりいちどは、テッパンのじんせいを生きてみたいよ。わたし。

サポートの意味があまりわかっていませんが、もしサポートしていただいたら、詩集をだすためにつかったり、写真のフィルム代にとんでゆきます。