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未知と無知のはざまで。

(※この記事は、2019年5月28日から続く原因不明の腹部の違和感について書いたドキュメンタリーnote(?)です)

前回のnoteで、自分はどうやら病気らしいと認めた。けれど、どこがどう悪いかはわからなかったので、2019年5月30日(木)に日赤病院の消化器外来へ向かった。早朝に家を出て、待合室で待つこと2時間。その間も全身の倦怠感や胃の圧迫感は続くものの、前日救急外来でもらった抗生物質があったので、それを飲んでごまかしていた。

病院というところに長時間いると、自分はあたかもこの中にいる人たちよりは体調がいいのでは、という錯覚に陥る。しかし、はたから見れば私もれっきとした患者なのだ。体を患うものとして、真面目に体調の悪いそぶりを見せなくてはならないのだ。(そんな決まりはない)
わたしは一体どこが悪いんだろう。この痛みや不安からは、いつのがれられるんだろう。そういった負の感情がウゴウゴしていて、なんだかつまらない。わたしって、こんなにつまらない人間だったっけか。まあ、つまらないとかは置いといて早く健康になりたい、早く人間になりたい。それだけがわたしの望みだった。

「172番さん、どうぞ」。大きい病院ではプライバシーを守るために、患者の名前で看護師が呼ぶことはない。全て数字で管理されている。その冷たさに、なんとなく安心しているわたしがいた。「別にお前らがどうなろうが知ったこっちゃない、これも仕事だから」というような思いが看護師や事務局、医者の顔からチラチラと伺える。このうがった考えは体調不良であるがゆえのものだ。
自分の番号が呼ばれたので診察室に入る。時計の針は12時を軽く超えていた。

診察室に入ると、大柄で足を伸びきったうつろ目の男が白衣を着て座っていた。なんだこの不潔で失礼な人間は。いくらお昼になってしまったからとはいえ、初診の患者に対する態度ではないぞ、と心の中でまあまあな悪態をつく。この時点でわたしの方がよっぽど失礼だ。

今日はどういった内容でこられましたか、とおきまりのセリフが来たので、前日と同じように経緯を話す。血圧を測る。ベッドに横になって触診。もう慣れたものだった。その後、担当医は重たそうな瞼を開けたり閉じたりしながら、わたしの輪切りされた腹を見ていた。
「CTを見る限りだと虫垂炎ではなさそうですね。触診や問診した限りだと胃潰瘍か潰瘍性大腸炎か…。酷い場合ですと大腸の全摘手術になりますから、一度大腸と胃の内視鏡検査しましょうか。この日とこの日が空いてますので予約しときますね。ほんで結果は6月27日にしましょう。それまで胃薬2週間分出しとくんで」

…え?大腸全摘ってサラッと言いましたけど、大腸全部とるってことですよね?!池の水全部抜くみたいなテンションですけどまあまあやばくないですか?なんで真顔なんですか?助けてください!

と、またにしても脳みその中ではいろんなわたしがけたたましく騒いでいた。いやいやいや、手術って。その前に内視鏡って胃カメラとか大腸カメラのことですよね?まさかこの歳でどちらも経験することになろうとは。

カメラも嫌だけど、一番嫌なのは大病が隠れていたり、病名がわからないこと。病名がわからない不安は、将来の不安とは全く違うものだ。もし手術になったらどうしようとか、もし大腸全摘になったらご飯どうするのとか、そういった恐ろしさが頭を埋め尽くすのだ。ああ、だったらやってやろうじゃないか。とことん調べ尽くせばいいじゃないか、日赤さん。

***

というわけで、明日(6月5日)はいよいよ大腸カメラだ。無事に生還できることを祈るしかない。わたしは、わたしたちは無知なのだから、未知なものを前にして震えることしかできないのだから、医師という徳の高い人間に、すがるしかないのだから。

次回「小林さん、はじめての大腸カメラ」(仮)です。乞うご期待。

サポートの意味があまりわかっていませんが、もしサポートしていただいたら、詩集をだすためにつかったり、写真のフィルム代にとんでゆきます。