2019ねん8月の月記

じまんの上司がいつ仕事状況を聞いても「余裕っす」と言うからわたしも真似っこしてみることにする。
きょうは仕事終わりに「天気の子」見にいくぞ。やっとだ。気分あげるためにグランドエスケープ聴いてる。

天気の子よすぎた。映画を観終わってしばらくは全てのものが映画の描写に見えると思う。

昨日夜道を歩いていたらヒトツバタゴの花(通称ナンジャモンジャ)が咲いていて、恋人に「ポップコーンみたいでかわいいね」と言ったら「あなたのその感性がかわいいよ」と言われた。ええ…?

ねむたすぎてオフィスで二時間寝た。後悔はしていない。なにかを書こうとしてわすれちゃった。寝るとなんとなくきもちがすっきりする。きょうははやめに帰ろう。

ウンナナクールの下着がかわいくて大好きだ。ノンワイヤーのブラが楽チンすぎて好きすぎて、もうワイヤー付きのブラには戻れない。家にあるワイヤー付きのブラには申し訳ないが、わたしはノンワイヤー党に入党いたします。秋の新作もとびきりかわいい〜!

「この世界の片隅に」がNHKで放送されて、観た。劇場当時から気になっていたんだけど、「戦争映画は苦手だなあ」という想いがつよくて、敬遠していた。
この世の中にある、ありとあらゆる戦争映画が苦手だ。火垂るの墓も、硫黄島からの手紙も、なんならアイアンマンまで、戦争とかテロとか武力とか、そういったテーマがにじむ作品をみるのが耐えられなかった。風立ちぬも。HSP気質だからかもしれないが、ものすごく物語に引っ張られるのだ。いいも悪いも、ぜんぶ。だからこそ、戦争というテーマで語られると、近ければ祖母の幼少期を想い、満州にいった曽祖父を想い、遠くで言えばアンネ・フランクだとかHIROSHIMAとかいろんなものが頭を埋め尽くしてしまう。その状態に陥ると、もうなにもかもが恐ろしく思えて仕方がなくなってしまう。そんな自分がきらいだし、そんな戦争がきらいなのだ。
でもその考えが浅はかだということを、「この世界の片隅に」で教えてもらった。この映画は戦争を生き抜く人々を描いたのではなく、生活をしていたら戦争が起きてしまったことを描く物語。たんたんと生きて、生きて、その先にかなしみも怒りもあって、国民というひとまとまりの群像じゃなく、ひとりの人間としてキャラクターは生きていた。姪が目の前で死んでも、親が死んでも、子供が死んでも、腕がなくなっても、家がなくなっても、絵が描けなくなっても。生活はつづくのだ。ごはんも食べるし、好きな人とキスもするし、明かりを灯すのだ。こんなに身近なのだ、生き死にのちかくに、勝手に戦争がころがりこんできたのだ。
泣いた。もう涙が出ないと思うくらい泣いた。やっぱり心は持ってかれたけど、観てよかった、そして、戦争映画が苦手という理由でこの映画を敬遠しているひとにこそ、すすめたい。

夏の夜に恋人とパピコのホワイトサワー味を分け合うことをしたので、すでに8月を堪能した感がある。

朝起きた時、海に行きたいという気持ちが抑えられない。

今月末に退職する同期と後輩たちとでカラオケオールをした。オールなんてひさしぶりだったので(仕事以外で)それはそれはたのしかった。その次の日、後輩女子2人と犬山の花火大会に行った。浴衣を着て。後輩が買ったチーズハッドグを一口もらうとか。川べりで三人寝転んで花火をみたりだとか。あー、これぞ夏!っていう1日を過ごせたので、もういうことはない。たのしいな、夏。以外と、夏すきかもしれない。

好きな人とスヌーピーミュージアム展(@名古屋市博物館)に行ってきた。展示のほとんどが撮影OKだったのだけれど、来場者のほとんどがスマホ越しにシュルツの原画を見ていて、うわあきもちわるい、と思ったりして、反抗してぜんぜん写真を撮らないでいた。みんな、あとからその写真見返すのだろうか。さいごグッズ売り場でTシャツを買いそびれたのが悔やまれる。Tシャツのためにもう一回いこうかなあ、とさえおもうほど。
展示に行く前に支留比亜珈琲店に行った。コメダよりも山小屋!ってかんじで、人もまばらで、いい空間だった。おちつくなあ。喫茶店、すきだなあ。

思いつきで大阪は心斎橋のトムとジェリー展に行ってきた。アニメーションのセル画とかいろんなかたちになったトムがいて面白かった。ずっとトムとジェリーを眺める日を設けたいな、やっぱりすきなのは天国と地獄だなあ、お手伝いさんがつくるケーキやゼリー、ほんとうにおいしそうだよなあ・・・。

何日も一緒にいても全く苦じゃないひとがいるのはありがたいことだ。

いろいろ、うまく生きますように。

終戦記念日のきょう、大型台風がちかづいている。甲子園の試合は中止。この夏をなんども思い出すのだろうか、と考えたりして。

学生の時から大好きな2.5次元のミュージカルを鑑賞。オタク人生ではじめて一列目、いわゆる神席を引き当てたのだけれど、近すぎてどうにかなりそうだった。目の前に!推しが!いる!!同じ値段でいいんですか…って気持ちになった。はあ。

恋人と浴衣を着て花火大会に行くという往年の夢が、齢26にして叶うかもしれない。

急にどさっとタスクが増えて体が追いつかなくて、1日でこころがつかれてしまって、泣きそうになっていたら、恋人が崖の上のポニョの劇中にでてくる魔法のラーメンをつくってくれた。そのあと、たくさん頭を撫でてもらって、いっしょに雪見だいふくを食べたらすこし、楽になった。いつだってわたしを幸せにしてくれるひとを愛そう。

仕事で考えるときに、いろんなものを同時に考えていて、脳が疲れる。違うことを考えている時に、あ!って他のことを思い出して、急いでメモに残して、肝心のいま考えてることはなんだっけ?そもそもどのタスクを優先的に行うべきなんだっけ?といちいち頭がフリーズするので頭悪いなじぶんって思ってしまう。しごと上手になりたい。

効率よく、というか集中して仕事ができた日の次の日ってぜったいになにも生み出せなくなる。

きのうたべた餃子のお店がおいしかったなあ。水餃子、焼き餃子、らあめん、ピーマンとからあげのみそいため。おまけでつくってくれた里芋の焼き餃子がとってもおいしかったんだ。思い出しただけでおなかすく。またいきたいなあ。

すきなひとたちが軒並み東京にいて(または東京に引っ越してて)、こころがおれそうになる。こういうときにSNSはほっとする、やさしいろうそくの灯りみたいな。わたしにはわたしのくらしがある。わたしは、わたしのくらしをするまでだよね。

きのう、会社でスイカ割りした。わたしは割れなかったけど、ゴリラみたいなデザイナーの上司が叩き割ってくれた。スイカ、あまくておいしい。ってか、スイカ割りできる会社ってなんなの。

きょうは!ラピュタがやるぞ!

夏のおわりがちかづくたびに、フジファブリックの「若者のすべて」が脳内で再生される。ちょっとさみしい。あんなにきらいなのに。

サポートの意味があまりわかっていませんが、もしサポートしていただいたら、詩集をだすためにつかったり、写真のフィルム代にとんでゆきます。