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(👩‍🌾発信することの難しさ)

(はじめに。オルディー、ビジョの可愛い話ではなく、人間の独り言です🙇‍♀️)

毎朝「おはよう」とオルディーとビジョに言葉をかける。もちろん彼らは私の目の前にはいない。
オルディー、朝ごはん終わったかな?美味しかった?
ビジョ、運動終わってご飯食べてるかな?今日はお休みかな?
オルディーとビジョのいる場所のお天気を確認する。
暑いかな、寒いかな。

ビジョに関しては、レースにいつ出るのかをいつも気にかけている。
やっと、いつ確定するのかが分かって、自分のスケジュールの立て方も工夫できてきた。
レースは晴れ舞台。現役で走る姿をこの目で見られるのは、回数が限られている。だからどんなに交通費がかかっても、時間がかかっても、疲れても、できるだけ仕事を調整して競馬場へ行く。仕事でどうしても行けないときもあるけれど。
レース翌日の朝に携帯が鳴らないことを毎回願う。元気に走ってくれてありがとう。

オルディーとは週1回、または2回会えるけれど、それ以外の日は想像の世界。今日は何してるかな?マシン運動はしてるかな?お利口にしてるかな?
寝る前には必ず馬房前に設置してあるカメラを見る。ホッとする。
今度会いに行ったら馬着を洗濯して、丸洗いして…と、なるべく快適に毎日過ごせるように、週1,2で出来ることを事前に計画しておく。
乗り運動は、次は先生に会えるのがいつだから、その時に自分自身もこれが出来るようになりたいとか、これを見てほしいと、毎回目的意識をもってやろう、など色々考えている。

他のお馬オーナーさんたちも、きっといろんなことを考え、行動されていらっしゃると思う。

どんなことにも「絶対」はない。細心の注意を払っても怪我や事故はある。競馬でもそう、乗馬でもそう、馬を扱ううえでもそう。でも、リスクばっかり考えていたら成長できない。リスクを理解し、対策し、ベストを尽くしていく。そのことに意味があると思う。

私の乗馬にネガティブな印象を持っている知人がいる。理由を問うとやはり大怪我を心配してくれているらしい。有難いが、そればかりを考えていたら、乗馬はできない。やらなければいいと考える人もいるだろうけれど、人馬のコンタクトのすばらしさを経験してしまった今、どうしても後退することは考えられない。むしろ私としては、それを理解できないその人のほうを気の毒に思う。
ちなみに、私は乗馬以外の別のとある運動を20年ほどやっている。こちらも常に怪我とは隣り合わせ。杖をついて仕事に行ったことは何度もあり。でも「怪我が怖いので(この運動を)やめる」という発想はまったくないし、これからもずっと続ける。しかしこちらも、定期的な体のケアは欠かさない。できる対策はやる、そのうえでベストを尽くす。

先日ビジョが初めて連闘になった。その時に一部ネガティブな声があった。
編成が変わったことで連闘になり私も当然心配したが、連闘が無理ならレースに出てこない。出さない。
「連闘」の2文字がネガティブな印象を持つのも分からなくはない。ただ、これだけ色々考えて実行している中の一部だけを切り取られて「心配」だけをされるのは嬉しくなかった。関係者に失礼だし、連闘だと分かって先生とはきちんと話をしている。その辺も一緒に発信しなくてはならなかったのかなぁとも思うところもあるが…

それぞれの馬たちを想い、薄皮のようにいろんなできことを重ねてきて今がある。その一部分だけを切り取って「かわいそう」「心配」的な言葉や感情を投げかけられるのは、嬉しくない。悲しかった。

これからも色々気を付けながら発信していきます。