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かぐや様は告らせたい完結祝い。責任のエピローグ

ついに"かぐや様は告らせたい"が完結した。
無事完結したという嬉しさと同時に、終わってしまったかという寂しさを感じずにはいられない。終わらない物語が終わってしまう瞬間というのは寂しさが付きまとうものであり、日常コメディ作品に纏わりつく宿命と言っていい。
その寂しさを紛らわすため、”かぐや様は告らせたい”への感謝と共に後半の物語について語りたいと思う。

キャラクターたちへの責任

22巻の表紙裏に書かれた文章が全てであるが、読者としての解釈をするならば、キャラクターの着地である。正直キャラクターが消費されるだけのギャグマンガというものは沢山ある。作者が着地させたくてもページが足りなかったり、諸々事情で話に入れられなかった事も多いであろう。それは作者がキャラに対する思いが希薄というよりは我々読者があまり気にしていない、需要が少ないということに尽きると思う。ギャグマンガなら尚更である。
この10巻以上に渡る長いエピローグは、いちファンとして感謝の気持ちで一杯である。感謝で一杯なのだが、作品としては各々の着地をせずにコンパクトに纏める方法もあったはずだと思っている。
”だがしかし”
はコンパクトに纏めてある。赤坂アカの感覚だったらおそらくかなり闇を掘っていたと思う。"だがしかし"も掘れるような要素は散りばめていたし、後半は少し掘っていた。
いしかわじゅんも稲中を指して言っていたが、大ヒットするギャグマンガはどこかしら闇がある。”かぐや様は告らせたい”も”だがしかし”も闇がある。その闇を解決するには漫画を描くしかないし、連載を続けるしかない。でも闇って読者にあんまり人気無い。だって元々ギャグマンガだし。めちゃくちゃ辛い状況である。

"だがしかし"108話の衝撃

他の漫画の話をして申し訳ないが、これが世間に受け入れられた影響は”かぐや様は告らせたい”にも多大な影響を与えたと思っている。
どういう話かというと、ヒロインが居なくなって主人公が意気消沈する。108話以降もヒロインが居ない。という話だ。
ちらちら含みはあったものの、キャッキャウフフの幸せギャグ空間が一瞬にして吹き飛ぶというのは少年誌ラブコメにおいて歴史的瞬間であったし、それが受け入れられたというのも偉業であったと思う。

"かぐや様は告らせたい"の覚悟と偉業

前述した22巻のコメントを読むと”かぐや様は告らせたい”は作品として纏めるのではなく、各々のキャラクターを着地させるということ意識していたと読み取れる。それは作品の完成度よりもキャラクター達への責任を取った覚悟であるし、”かぐや様は告らせたい”ではそれが正解だったとファンとして思う。”だがしかし”と違って、告らせたい漫画であるから。キャラクター達の底を出さなければそれは告白ではないのだ。
そして”かぐや様は告らせたい”ではそれをやってのけた。全てのキャラクターを着地させ、描き切ったのである。本当にありがとう。

脳天直撃するラブコメが4年周期でやってくる俺統計があるので、そろそろ次のラブコメが来るはずである。
その時に”かぐや様は告らせたい”を思い出すだろうし読み返すだろう。
その時もまたこのように文章を書き散らし、精神の安定を図ろうとするのだろう。

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