「土下座」と「謝罪」考。

こんにちはプチ鹿島です。

『仰天保釈 田口淳之介土下座』(日刊スポーツ)。

土下座、という行為。

芸能人や有名人の「謝罪」や「謝罪会見」はいつからこんなことになったのか。

過去に自分が書いたものを振り返ってみると、ひとつのピークがわかります。

それは「2013年」です。

この年、実は「土下座」も注目を浴びたのです。

当時の原稿を抜粋してみましょう。

この頃はある衣料品チェーンの従業員に土下座させ、その写真をネットで公開した客が強要容疑で逮捕されたという仰天ニュースもありました。

原稿を読むと今の空気と違って「謝罪」に注目が集まっている様子がわかります。

2013年10月10日公開・東スポWEB

『ガス抜きとして利用される謝罪会見』


かつては身分が上の人に対して粛々とおこわれていた土下座。

今のような謝罪の意味を持ち始めたのは戦後からだという。

NHKのスタッフの方が言っていた。

先日NHK「クローズアップ現代」「氾濫する“土下座”」という回にコメント出演したのですが、スタッフが土下座の歴史を調べたらそうらしい。

考えてみれば近年の「炎上」「クレーム」「謝罪会見」。

これらの延長線上にも土下座がみえる。

今、SNSを利用すれば誰もが同一空間でフラット。しかし平等な空間であるほど周囲との差違や優位性を確認したくなってくるのが人間の性。

本来なら自分の本分で獲得すればよいのだが、今はそんな面倒なことをしなくても「消費者」「視聴者」などと名乗れば無条件で大事にされる。先方はペコペコしてくれる。そう、私のようなものにでさえ!

ツッコミ社会の究極の恥辱は土下座。その恥辱見物は「謝罪会見」にもつながる。

だから芸能人や企業の謝罪会見はガス抜きとして逆利用されてセレモニーになってゆく。

極端なことを言えば「土下座をさせるか、させられるか」の強烈な時代になった。なんだろう、このギスギス感。

さて土下座について考えるとある「職業」だけ特殊なことがわかる。

政治家である。

選挙に出る候補者には有権者の前で簡単に土下座する人が昔からいた。

おそらくあの人たちの土下座はまったく意味合いが違う。土下座=最大の恥辱ではない。

究極の恥辱を自分からすることで相手に承認してもらう。相手に「腹」を見せたご褒美に一票を恵んでもらう。あれもまたセレモニー。

土下座をする政治家にとってそれは「終わり」ではなく「始まり」。

いざ当選となって先生と呼ばれるようになると有権者に見せていたはずの「腹」を、ひそかに元に戻す。

腹芸とはまさにこのことではないか。

有権者にマニフェストがあるとしたら「土下座をする候補者は信用ならない」というのを入れておきたい。※2013年10月10日 


最後は政治家の土下座考になりましたがこの年2013年は「土下座」ブームでした。

「半沢直樹」(TBS系)という、とんでもない視聴率を叩き出したドラマがありました。堺雅人さん主演。

半沢直樹と土下座について書いていたのがこちらです。

2013年9月26日公開

『半沢直樹』考。

ドラマ「半沢直樹」最終回。関東地区では平均視聴率42・2%を記録。

半沢直樹は「倍返し」から「10倍返し」、遂には「100倍返し」と叫んだ。

つまり、バカなんだと思う。

ここで言うバカは軽蔑のそれではなく「バカみたいにわかりやすい」という意味でのバカだ。

言ってみればメガ牛丼のようなもの。

どう考えても過剰だと思いながら、その特異なわかりやすさに我々は目と話題を奪われるのだ。

考えてみてほしい。メガ牛丼がブレイクするには真面目に牛丼を食す人だけではダメ。大量の浮動票、野次馬も必要だ。

「メガ牛丼」が登場したとき、どれぐらい「バカ」なのか画像だけとりあえず見たい人が続出した。私もそうだ。そうしてみんなで楽しんだから話題になった。

言ってみれば「半沢直樹」にもメガ風評が吹いたのだ。多くの野次馬が駆けつけた。

香川照之さんや片岡愛之助さんのメガ演技。その演技は初回から熱心に視聴する人だけでなく「ああ、これか・・」とわざわざ確認しにきた視聴者も集めた。尻上がりに視聴率が爆発したのはそんな理由もあるはず。

「半沢」の最終回、香川照之演じるヒールの大和田常務は土下座する前に異常にヒザをカクカクさせていた。迷いと屈辱を表現していたのだろう。

「半沢直樹」の特異さは、あのドラマとも比較して論ずることもできる。

ここで同時期に放送されていたNHK朝ドラ「あまちゃん」を思い出したい。

「あまちゃん」では、演技指導する監督役の古田新太が手本として「生まれたての鹿のように」と、ヒザをカクカクさせていたシーンがあった。あの過剰さはコント的な笑いをドラマ内で発生させていた。

しかし「半沢」香川照之のヒザカクカクは迫真の演技としてのものだった。

正真正銘、”息を飲むクライマックス”での演技だったのである。

王道としてのヒザカクカク。この”メガ牛丼”、凄い。

そんな「半沢直樹」を時代劇の痛快さと比較する人が多い。しかし半沢は果たして勧善懲悪と言えるのか?善人なのか?

原作を読むと「基本は性善説。しかし、やられたら、倍返し。それが半沢直樹の流儀だ。」と書かれている。

しかしドラマではいったん怒ったら土下座までさせる。一線を越えてる感がある。その濃い味付けの意味を考えてみたい。

ツイッターをやりながらテレビを視聴する人も多い今、主人公が「完璧な善人」だと浮世離れしている。半沢直樹みたいに少々意地が悪くてツッコミがスペシャルな奴のほうがリアルなのではないか。

あと、あれだけ多くの人がなぜ録画ではなくわざわざリアルタイムで「半沢直樹」を視聴したのか。

一種のイベントだったのかもしれない。

それはスポーツのような明るく爽やかなイベントではなく「公開処刑」に近い、暗い衝動を刺激する覗き見行為だったのではないか。敵役の土下座謝罪をリアルタイムで見たいという。

さらに「実力派の堺雅人が主役」という事実は、うるさ型の視聴者こそ満足した。主役の演技に信頼感があったからこそ他でも遊べた。見続けられたのだ。

「半沢直樹」は過剰さを見せつつ、一方でリアルをうまく取り込んだといえる。※2013年9月26日


このコラムを読んでくださったのか、先述のNHK『クローズアップ現代』から出演依頼が。特集は「氾濫する“土下座”」(2013年10月8日放送)

土下座がよく出てくる「半沢直樹」はなぜウケたのか?を聞きたいというオファー。

オンエアで使われたのは以下の言葉。

「土下座を見たら面白いけれど、どきどきするんですけど、ドラマ自体は。
見てはいけないものを見てしまった、後味の悪さを感じたことは事実。
それで見るのやめるかっていったら、次も見てみたいと思うんですよ。
言葉悪いですけど、『公開処刑』。
だからこそオンタイムで、みんな、あんなに集まって…。」

※今でも番組ホームページで確認できます。

この年は謝罪会見もピークでした。

「半沢直樹」の放送の半年前、ある芸能人の雲隠れに話題が集まりました。

2013年4月11日公開のコラムを抜粋します。

そもそもオセロの中島知子さんはなぜあれだけ騒がれたのだろう。

「占い師」?「家賃滞納」?「大家が本木雅弘」?

いや、自分の興味で言うなら「現在どういう状態なのか」という点だった。もっと言えば「どういう姿になっているのか」という興味本位。

以前ホリエモンの仮出所も「中に入っていたホリエモンの姿が見たい」という野次馬が絶対多かったはずだ。マスコミに毒婦と呼ばれた女性の裁判にあれだけ人が集まったのも「実際どんな人?」という下世話が集合したのである。

見えないと見たくなる。下世話な欲望。

古くは「あさま山荘事件」ではないか。

私はリアルタイムでは見ていないが、立てこもりをひたすら中継したら視聴率が50%を超えたという事実は「連合赤軍のゆくすえ」を考えながら見た人よりも「中はどうなっているのか」「早く連中の顔が見たい」という視聴者が恐ろしく多かったのだろう。

そしてクライマックス。顔が晒される。視聴者の夢が叶った瞬間だった。

不祥事を起こした有名人は「世間の皆さまにご迷惑をおかけしました」と会見しその一件のピークを迎える。見事なほどに。

しかしいくら本人が神妙に謝罪していても、世間(私)はどうか。

「暴行されたという歌舞伎役者の顔は実際どうなっているのか」のほうに興味が集中していた。

世間にご迷惑をかけましたというが、こちらは迷惑だったなんて思っていない。むしろ下世話な暇つぶしができたくらいだ。

でも、謝罪会見のセレモニー化がすすむ。

お約束をやることで世間の興味を一気に鎮めるのだ。

今回の中島知子さんは会見ではなく独占インタビューという形を選んだ。その結果視聴者はピークを迎えることができなかった。わかりやすい節目をつけなかったから世の中が焦れた。

念のために言うが、会見をするしないは本人の自由である。

でもピークを迎えることができなかったせいで世間のモヤモヤは静かに続いたままになった。

勝手な理由だが、我々世間はそもそも勝手なのである。※2013年4月11日


この半年後、今度は板東英二さんの会見がありました。

ここでひとつの「進化」がみられたのです。

2013年11月14日公開分から抜粋します。

今年は多くの人が謝った。

世の中もあいかわらず見たがった。「バイトの冷蔵庫写真でネット炎上続出」もあった。

謝罪会見は今も続く。

以前このコラムで「ツッコミ社会の今こそ土下座は最大の恥辱。だから芸能人や企業の謝罪会見はガス抜きとして逆利用されてセレモニーになってゆく。」と書いたとおりだ。

先週は板東英二さんの会見があった。

謝罪会見がここまできたかと感じさせたのは「この20年近く植毛をやってきた。カツラが経費で落ちると聞き、植毛も…と思ったら、美容整形と同じだった」という告白。

謝罪会見という「公開処刑場」でさらに新しい恥を公開し、びっくりさせて乗り切る作戦にみえた。

徹底して見世物になろうというのは新しい手だった。

「世間の皆様にご迷惑をおかけして申し訳ありません」は謝罪会見の常套句だが、世間の側は別に迷惑だと思っていない。謝るほうも謝られるほうもお互い期待していない。

セレモニーのためのセレモニーだからこそ、謝ると決めたなら早めがよいのかも。※2013年11月14日


以上、過去に考えたことを振り返ってきましたが、今の空気と全然違うことがわかります。

昨日の田口被告の土下座をみたとき「そこまでしなくていい」と思った人の方が多いのではないか?

むしろ、それを大々的に報じているように見えるマスコミ報道のほうにツッコミが向いているように思います。

これって実は重要なポイントです。

先日の山里亮太&蒼井優結婚会見のときも、アップデートされてなさそうな質問を出す記者のほうにSNS上のツッコミが集まりました。

イチローの記者会見のときは「どの記者が質問をしたのか」という興味で私もネタにしました。

イチロー引退会見で読み取れた、
番記者たちの“地獄”と信頼関係。
NumberWeb『月刊スポーツ新聞時評』

芸能人や有名人の会見そのものより、それを「どう報じるか」のほうに目線が移行しつつあるのだと思います。

「古さ」に対してのツッコミ、とも言えます。

誰もが発信できるメリットです。

しかし、芸能人側のほうが「セレモニーとしての謝罪」をまだ大仰に考えているフシもあります。

過剰に対応してしまう人もいる。きのうの田口淳之介氏がそうです。

でも、そこまで私(世間)はもう謝罪なんて求めてません。芸能人の堕ちた姿を喜んで見たいとも思いません。治療して再出発すればよいだけだと思います。

以上、自分の原稿を振り返るという手法で「土下座」と「謝罪」を考えてみました。

それにしても、来年放送が決まったという「半沢直樹」続編は今度はどんなムーブメントを提供するのでしょうか。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。





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