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清貴×西原さつきトークイベント

清貴さん2015年のTRPでカミングアウト

デビューは2000年。
公には言わずに活動してきた。
2010年から2015年まで5年間アメリカで音楽活動をしていた。

当時オバマ大統領が、マイノリティな人たちにも住みやすい環境を作ろうという流れがきていた中で、日本に戻りTRPでカミングアウト。

さつきぽんから清貴さんへの質問と答え

さつき「LGBTと言われる中で、後発のトランスジェンダーからすると末っ子のような感覚で、Gの人からどう思われているのか興味がある。」

清貴「確かにLGが先にやっているという感覚はあって、後から合流したっていう感覚はあるけれど、僕はLGBTでいえばGかなと思うけど、LGBTです!というような感じとも違う。人気商売なのでそれができなくなるとか干されるんじゃないかとかそういう不安が強かった。一回カミングアウトしたら、それを受け入れてくれる人もいれば嫌いになる人もいる。だからセクシャリティとかではなく、対人ととしてその人を見るってなったので、逆にセクシャリティのことを気にしなくなった。」

「実は双子の姉がニューヨークに住んでいて、そのKIKIDIVAさんが新宿二丁目で公演。
そしてこの二人は決して共演はできないという(笑)
人間としての根本は変わらないけど、その姿でないと表現できないことがある。」

さつき「結構見た目って表現とか生き方とかパフォーマンスに繋がると思ってる。」

清貴「子供の頃からDIVAと呼ばれる人たちに凄い憧れていて、歌姫とかマライア・キャリーとか、何故か男性なのに和製マライア・キャリーって言われてデビューしたんですよ。男性とか女性とかっていう感覚ではなくて、ただ好きでやっていた。でも周りから見るとすごく変わっているねって言われていて。髪がふわぁ~ってなって、風が前から吹き付けてドレスがふわぁ~ってなってるそのイメージで歌ってたのもあるんですよね小さい頃。
だから今もそういうイメージで歌う時があるんですよ。そうすると男性の姿だとなんか足りないみたいな、靡くものがないみたいな、って姉が言ってましたけど・・・(笑)」

さつき「女の子になりたいとか思ったことはなくて、小さい頃からキラキラしたものが好きだった。お姫様とか好きでドレス着て装飾品つけてっていう感じで、すでに女の子としての夢があったんですよ。だから女の子として綺麗になりたいと思っていたんです。
だから元々いた女の子を開放しているような感じ。」

さつき「男性として生きるか変えるか迷っていた時期があって、おじさんのまま棺桶に入りたくないと思って・・・。だから遺影の写真を自撮りで可愛く写ろう!」

終わりに

さつきぽんの実パパが暴走族の人だったそうなのですが、彼女の強さはそこから来ているのかなとも思いました。
性別を変えることに対して否定的な意見が多かった中、「養ってくれるわけじゃないのになんでこの人達の意見を聞かなきゃいけないんだ」(キャラ崩壊?)と一蹴したエピソードなど語ってくれました。
悩んだときはお風呂の中で考えて出した答えを正解にしていることも明かしてくれました。

清貴さんは今回のイベントで初めて知ることができ、この後行われたライブで歌われていました。
清貴さんにとっての「解放」は、公の場で自分のセクシャリティを語った時、KIKIDIVAとしてステージに立った時と語ってくれました。
カミングアウトする前は相手の間に壁が一枚ある感じで、恋愛話など相手の話に合わせながら会話していて苦しかったけれど、カミングアウトしてからはそれが解放されたといいます。

25分ほど行われた「清貴×西原さつき」トークイベント。
途中、ライダーの爆音?が鳴り響きつつも、無事終了しました。
GWにしては肌寒い日でしたが、駆けつけた方はここで勇気をもらったのではないでしょうか。TRP2019と合わせて行かれた方も多いと思います。
セクシャリティだけでなく、色んなマイノリティの人たちが、それぞれ個性として世間に受け入れられる日がくることを願っています。
また、会える日までがんばるぞ~。

以上、現場からの報告でした(笑)

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