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ポケットに銀歯

とれた銀歯をポケットに入れて、歯医者へ向かいました。

歯ってどう持ち運べばいいのでしょう。小さなジップロックがあればそれが正解に近いと思いますが、あいにくうちにそのようなものはありませんでした。仕方なくワンピースのポケットにそのまま入れていきました。深いポケットなので大丈夫です。

むかし、R-1の容器をさかさに振って、中から何かを出そうとしているマダムを、歯医者で見かけたことがあります。カラカラと音を立てていたので、中身は歯に決まっています。

自宅に空のR-1はありませんでした。ハンカチに包んで持って行こうかとも考えましたが、歯医者のあの椅子に座って、先生や歯科助手さんの前で、そっとハンカチをめくり銀歯を捜す自分の背中を想像してみたらなんだかおかしくてやめておきました。

結局ワンピースの左ポケットにそのまま入れて向かいました。

それで私は、順番が来て、倒れるあの椅子が倒れて、頭上の先生にご挨拶をした後、仰向けのまま左のポケットに手を突っ込んで銀歯をつまみ、いつでも差し出せるようポケットの中でスタンバイすることにしました。

けれども先生はいつまでたっても「取れた銀歯はどうされましたか?」と仰らないのです。銀歯は持ってこなくて良かったのかもしれません。

レントゲンを一枚撮らせてくださいねと丁寧な先生が仰るので、私はいったんポケットから手を出し、先生の後に続きレントゲン室へ向かいました。

レントゲン室に入ると、よだれかけのような形をした重たいエプロンを着けて座ります。よだれかけタイプなので、横と後ろがフリーです。放射線は前からしか飛んでこないのだろうかと疑問が湧きましたが、先生も専門外のことを聞かれても困るだろうと黙っておきました。

大きな口を開けて、同じくらい大きな器具を口に入れました。「少しだけそのままでごめんなさいね。」丁寧な先生は仰いました。

大きな口を開けた私は思い出します。あ、ちょっと待って。「あ、ほっほはっへふははえ。」どうされました?「ほっほ、はっへ。」大丈夫です?いったんお口はずしますね。

私はポケットから銀歯を取り出し「銀歯を…」と小声でささやき渡しました。人見知りが前触れなく発動すると、私はたいてい、言葉が足りなくなります。「銀歯を…」わいろ渡してるみたいだなと思いながら差し出しました。

先生の手のひらに銀歯を乗せたあと「レントゲンなので…」のようなことを、覚えていませんがたぶん言ったはずです。

「お預かりします」丁寧な先生がぺっこり頭を下げたのにつられ私もぺっこりしました。

先生は、器具を私の口へ戻したあと、手のひらに銀歯をのせたまま、そのままレントゲンのボタンを押しました。私は口を開けたまま、あれ?と思いました。

銀歯はレントゲン室に持ち込んでも良かったみたいです。もしかすると私は空港の手荷物検査と混同しているかもしれません。いいえやっぱり空港だって銀歯なら問題ないはずです。

銀歯を返してもらわずに帰宅したのに気付いたのは、その日の晩、歯を磨いていたときでした。

銀歯を返してください、と次回言うのも変ですし、返してもらえたところでなんの用途もありません。銀歯とのお別れがそっけなかったのが悔やまれます。もう捨てられただろな。それともリサイクルかな。

銀歯、持って行かなきゃよかったかな。

でも銀歯が手元に戻ったところで、私の性格上、収納場所を考えるのにそれなりの時間を費やしてしまいそうな気がしたので、潮時だったと前向きに捉えることにします。バイバイ銀歯。トップ画はルンバです。

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