商品貨幣論3 ―貨幣ヴェール説から貨幣数量説、そしてレッセフェールへ―
前回、貨幣ヴェール説には無理がある話をしました。
もし、貨幣に本当の中立性があるなら、
①貨幣に価値を見出すこと
②貨幣価値が変動することで商品が買えなくなること
③貨幣の所有量に偏在が存在すること
が、現実に起こってしまうのはおかしい、ということになるわけです。
結局、多くの知見を与えてくれるこれらの問題を解決するために、主流派の祖たちは「レッセフェール(自由放任主義)」という結論に行き着くことになります。
もし、貨幣発行量に変化があって、市場で混乱があったとしても
「それは一時期的」「短期間のこと」である、
という主張です。
どうしてそういう結論に至ったのか?
貨幣ヴェール説の綻びを弥縫(びぼう)する理論として、
貨幣数量説
という理論を紹介します。
読んで字のごとく、市場に存在する貨幣の数量が重要になります。
①貨幣量が市場に対して潤沢だと、貨幣の価値は下落します。
林檎1個⇔100円
で商品と貨幣が交換されていたものが
林檎1個⇔200円
でなければ交換できなくなるわけです。
林檎という商品は貨幣量に比して供給されず品薄になった、と言えます。
これは、貨幣価値が下落し商品価値が上昇した、と言える現象で「インフレ」ということになります。
②貨幣量が市場に対して品薄だと、貨幣の価値は上昇します。
林檎1個⇔100円
で商品と貨幣が交換されていたものが
林檎2個⇔100円
で交換できるようになるわけです。
林檎という商品は貨幣量に比して供給され潤沢になった、と言えます。
これは、貨幣価値が上昇し商品価値が下落した、と言える現象で「デフレ」ということになります。
この①、②は、
貨幣も市場の商品と同じように、
市場に潤沢であれば、価値が低くなり
市場で品薄になれば、価値が高くなる
という、至極当たり前の現象なのですが、これは貨幣ヴェール説なら、本来現れないはずの現象なのです。
古典派は、この貨幣数量説を「貨幣の一時的な増減による混乱現象を説明する理論」として適用して、貨幣ヴェール説の現実とは違う現象を説明したのです。
「貨幣は無価値なヴェールなのだが、突発的な貨幣数量の変化による、インフレ・デフレ状況は確かに存在する。」
「しかし、貨幣の需給バランスは時間経過と共に落ち着き、再び商品の価値がヴェールを透過して貧困層にも商品の価値が再び行き渡るようになるはずだ」という、
いうなれば
「経済的不均衡は、時間が解決する」
という結論に行き着くことになります。
更に言えば、こうした貨幣量が均一に行き渡っていない状態、
富の偏在は、市場を活性化して交換を促進すれば、時間が経過すると「均(なら)されて」改善する
という意見も一見、その通りに見えます。
現実には違います。
放置すればするほど格差は拡大し、市場取引が加速すればするほど貧困層が増え、現在の日本の衰退があります。
これが、
レッセフェール(自由放任主義)
の萌芽であり、その結果となります。
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