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商品貨幣論4  ―フランスの経済学1・フランソワ・ケネー―

さて、レッセフェール、という言葉は英語ではありません。
「フランス語」です。

アダム・スミスはイギリス人であり、先に述べたデイヴィッド・ヒュームも、のちの著名人デイビッド・リカードもアルフレッド・マーシャルも、多くの「イギリス人」が名を連ねます。
このように経済学ではイギリスの系譜が重視されがちなのですが、実のところ、古典派経済学は「フランス」を抜きにしては語れません

日本人にとって絶対王政と言えばルイ14世が有名でしょう。彼はフランスに膨大な富を集積し、巨大なヴェルサイユ宮殿を造成した専制君主です。

しかし、彼がどうやって膨大な富を集積することができたのか?という点においては忘れられているかもしれません。
これは当時のルイ14世の財務総監(財務大臣)コルベールによって推し進められた

「重商主義」政策

が、原因となります。

この重商主義政策、簡単に言うと政府が輸入関税を高くして輸入を制限し輸出を増やし、金貨銀貨を蓄財し、国内産業を保護した政策となります。

一見、単純な保護貿易であり、現在の日本の行き過ぎた新自由主義的貿易の立場から見れば良い政策に見えます。
しかし大きな問題がありました。
それは
当時の大商人というのは貴族や王族、聖職者と密接であり、得た富が特権階級間で還流する一方で、

市民・農民にはフランスに得られた富は何も還元されないことにあります。

重商主義政策は、確かに富国強兵政策だったのでしょうが、フランス国内政策においては身分による格差拡大政策であり、食料を生産する農民は、そして付加価値を与える職人や市民労働者たちは、被支配身分として変わらず貧困だったのです。
いえ、寧ろその貧困度合いは年々、今の日本と同じように

「重税」

という形で重くのしかかることとなりました。
徴税した富を貿易で儲けるための原資にしているわけですから当然です。


さて、
この当時より少し前、ヨーロッパは思想潮流として、非合理な神学と民間習俗から距離を置き、合理的な人間の科学的理性に重きを置こう、とする

「啓蒙思想」

という考えが流行していました。
ロック・ルソー・モンテスキューなどの思想に代表される「近世」から「近代」の幕開けとなります。

この思想は乱暴に言いますと、「人間賛歌」の思想であり、人間が合理的に神の頂きに至るまでの(つまり、良い人間であろうとする)姿勢を示した思想と捉えることができます。

これを更に乱暴に政治面での一端を述べますと、
「身分が高く、お金持ちの人が貧しい人に助けを差し伸べることで、『優しい開明的な立派な偉人』として評価を受ける」
という側面があります。

つまり

「身分の高い人間だからこそ、貧困層を救わねばならない」

という思想が生まれてきます。

ここから、重商主義で疲弊した国内の市民・農民を救おうとする

フランソワ・ケネー

という人物が発した

「重農主義」

と呼ばれる経済学的思想が誕生することになります。
このケネーの主張をまとめた出版物「経済表」は1758年。
アダム・スミスが「国富論」を出版したのは1776年のことですので実は、ケネーの方が早いのです。

アダム・スミスは旅行中に啓蒙主義者のケネーとも親交がありましたので、

フランソワ・ケネーの重農主義がアダム・スミスの根幹になる経済思想となった

ことはほぼ間違いないと思われます。

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