私を引き留める分身について。

 どうもこんにちわ。前回投稿した初めての記事で、「週に1度は書きたい」なんてことを言ってから3週間めの投稿、おりひです。意志の弱さたるや。

 その間に、「博士の愛した数式」で有名な小川洋子のエッセイ集、「とにかく散歩いたしましょう」を読了しました。
私の読書量は決して多くなく、年に数冊読むかどうか。ですがこの方の短編小説は大好きで、何冊か読んでいます。エッセイを読むのは初めてだったけれど、よりファンになってしまいました。
独特の着眼点や想像、くすっと笑わせるような文。私も、こんなふうに日常を記してみたい。

 本の中から私の頭へと移り住んだ小川さんの一部を、勝手にお師匠として仰ぎ、文章を書きたいと思った次第です。

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 私の中には、「何もしないこと」を信念とする分身が巣くっている。私が会社の先輩に話しかけようとしたとき、疑問をぶつけようとしたとき、誰かを飲みに誘おうとしたとき、Twitterでなんてことのない言葉をつぶやこうとしたとき…等々、ありとあらゆる場面でそいつは「でもさあ」と言いながら私の二の腕を掴み引き留める。そいつはその行動を取ることで生じる不利益を掲げては、私が瞬発的に行動することを食い止める。逡巡させる。
 私が長らくそいつの言うことに耳を傾けてきたからか、そいつは行動に伴う不利益を明確にしないまま条件反射で私を引き留めるようになった。

「昨日の雪、大丈夫でしたか?外出されていましたけど…」

 そんな他愛もない一言でさえ、発することを引き留める。コミュニケーションとして、無言でいるよりはそんな言葉をかけるくらいが自然であるはずなのに、という場面だ。

 最近はそんな分身に嫌気が差し、どうにかこいつの引き留める手を振り払えないかと躍起になっている。
 迷ったって結果行動することしか選択肢にないなら。無用ないし悪化するかもしれないけれどやったほうがいいような気がするなら。もう行動をして、失敗ならそれを改めればいいじゃない。という気持ちに変わってきている。失敗を何よりも恐れる分身の抵抗はすさまじい。「そんなことをしたら煙たがられるよ」としきりに言う。けれど、こいつをコントロールできなければ私は一生受け身の人間だ。

 会社で周囲の人と話していくうちにわかったことがある。それは、「他人からの評価というのは、たとえ道徳的に問題のない性格の人であっても、仕事という関わりの中では必ずしも好印象を与えるとは限らない。皆それぞれに他人の負の側面を感じている」ということだ。
 初めから失敗や周囲を気にしていたって、相手に負の感情を抱かれるときは必ずある。それなら、ある程度は傲慢にならなければこちらが消耗するだけだ。もちろん、仕事のやり方で傲慢の度が過ぎれば、それは当然疎まれるだろうが、不必要に謙虚になりすぎることもないのだ。と悟った。

 私は、私に不動を強いる分身を拒絶するだけの理由を手に入れた。…ただ、意識が行動に反映されるにはギャップがあるのも確かだ。今は分身の手をやっとの思いで振り切っているような状況である。
 私がこの分身に「あとで話は聞くから」と気軽に言えるようになるのはいつのことだろうか。

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ORIHI

言葉につよくなりたい
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