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仮面ライダークウガ考 【12】クウガの残したもの

 さて、いよいよこの考察も最後となった。
 ここでは、クウガと今までのライダーたちの差異を中心に、総括的な考察をしてみたい。
 ただし、内容がいささか、今までの考察と重複する部分もあるかもしれないのは、ご容赦 願いたい。

 まず、クウガと今までのライダーたちの差異について考えてみよう。
 最も決定的な差は、クウガは、孤独のヒーローではなかった、と言う点だろう。
 クウガは、たった一人で孤独に耐えて戦い続けるヒーローではなかったのだ。
 たしかに、五代雄介は、不死身に近い肉体と、クウガの姿、そしてそこに付随する様々な 力を手に入れた。そこにあるのは、ヒーローであるための条件だろう。だが、彼は半ば望んで その力を手に入れ、自らの意志でその力をコントロールしようと常に努力し続けて来た。そして、 彼の周囲には、彼を支え、理解してくれる人々がいた。それらが、彼を、孤独のヒーローではなく していたのだと思う。
 むろん、人間は、周囲にたくさんの友人や家族がいるからと言って、孤独ではないとは限らない。
 五代もまた、「五代雄介」であることの孤独、そして同時に「クウガ」であることの孤独は、 当然ながら感じていただろうとは思う。
 けれど、それは彼がヒーローであるがゆえに持った孤独ではないと私は思うのだ。
 誰もが、多かれ少なかれ、「自分自身であり続けるために」持っている孤独と同じものだったろう と思うのだ。
 日本おいて、その特異性がヒーローたる条件であるのは、そしてそこに、特異であるがゆえの孤独、 が付随するのは、日本人が和を重んじ、その中で突出していることを嫌う性質があるがゆえだ。
 ヒーローがヒーローたる条件――その不死身の体や、様々な力は、ヒーローとしてもてはやされる 一方で、異質なものとして、人々からは敬遠される。「2」の「一条薫についての考察」の項でも 書いた通り、それゆえに、今までのライダーたちは、常に他の登場人物から一線引かれた存在であり、 当人もまた、それが当然だと感じるに至っていた理由だろう。
 これはおそらく、海外の作品には少ない傾向ではないだろうか。

 たとえば、アメリカ産のドラマの中に、「600万ドルの男」とその姉妹編とも言うべき 「バイオニック・ジェミー」と言う番組がある。幾分、古い番組ではあるが、これらは、設定的には ライダーに似ているが、話の作りは、「クウガ」の方に近いように思われる。
 「600万ドルの男」も「バイオニック・ジェミー」も、主人公は事故で体の一部を損傷し、アメリカ 政府が極秘に開発していたバイオニックと言うものを損傷した部位に補われた、一種のサイボーグである。
 だが、これらの主人公たちは、そもそも自分がサイボーグとなったことを悩んだりしない。アメリカ人が 脳天気なのだと言ってしまえば、終わりだが(爆)そのせいばかりではなく、彼らの場合、周囲の人間たち の多くが、彼らがサイボーグとなったことを受け入れ、理解してくれていることが大きいだろう。
 むろん、主人公の周囲の人間が、ほとんど政府の関係者である、と言うことも理解の助けにはなっている だろう。が、ジェミーなどは、バイオニックによる右手の、普通ならありえないような握力を、何も知らない 人間に見られても、「私、力持ちなの」の一言でかたずけてしまっている。
 ちょうど、五代が「俺がクウガなんだ」とわりと平気で言ってしまっているのと、似た感じである。
 むろん、アメリカ人の全てが、寛容なわけでもなく、大らかなわけでもないのは、たしかだ。だが、様々な 人種や宗教の人間が渾然としてくらし、地域によっては、まったく違う気候や風土を持った国にくらす人々は、 日本人よりは、はるかに「他者と自分との違い」に寛容であるように、私は思う。
 五代の中には、そう言う「大陸的な」寛容さが存在しているように私は感じる。
 もしかしたら、幼い頃の五代にとって、日本は住みにくい国だったかもしれない。
 突出した人間を嫌うと言うことは、同質であること、平均的であることを好むと言うことであり、同時に、 「自分と他者の区別がつかない」と言うことでもある。
 彼が、冒険家たりうる理由は、そのあたりにあるのかもしれない。
 だが、それでも彼には、ちゃんと彼が彼であることを認めてくれる人々がいた。
 桜子やみのりや、おやっさんがそうである。
 彼らは、すでに「五代雄介」と言う人間が、そうであることを認めていたがゆえに、彼がクウガとなっても 関係なく、そのことを受け入れたのだ。
 それは、言ってみれば、ジェミーの周囲の人間が、彼女が彼女であることを認めていたがゆえに、友人たりえ、 更にサイボーグとなっても、なんらその態度が変化しなかったこととそっくり同じなのではないだろうか。
 これは、番組中で五代と出会い、そのパートナーとなる一条についても同じことだ。
 彼は、五代がクウガとなったから、共に戦っていたわけではない。むしろ、五代の五代である部分に魅かれて、 共に戦うことを決意したのだろう。
 ここのところこそが、今までのライダーたちと、クウガとの一番の差異だろう。
 殊に、1号ライダーからスカイライダーあたりまでは、ほとんどがライダーと周囲の人間との関係は、 主人公がライダーとなってからのものであり、彼らにとって、主人公は人ではなく、 「仮面ライダーと言うヒーロー」であり「敵と戦うのは当然の人」である、と言う認識だった。 そして、その認識こそが、彼らが「孤独のヒーロー」であることを助長していたと言えるだろう。

 ただ、「ブラック」に関してだけは、少し違う側面を見せている。
 言ってみれば、「ブラック」には「クウガ」の萌芽のようなものが存在しているのだ。
 たとえば、主人公・南光太郎と親友・秋月伸彦との関係がそうだ。
 彼らは、幼馴染であり、兄弟のようにして育った親友同士だった。それが、秘密結社ゴルゴムによって 改造され、光太郎は仮面ライダーブラックに、伸彦はシャドームーンとなり、敵味方に分かれて戦う 運命となった。
 その二人にからむのは、ゴルゴム側を別にすれば、伸彦の婚約者だった女性と、伸彦の妹である。
 なんとなく、「クウガ」を彷彿とさせはしないだろうか。
 もしも、光太郎と伸彦の関係が、五代と一条のように濃密に描かれていれば、当然ながら、二人の 敵対の図と言うのは、いやが上にも盛り上がっただろう。
 ただ、惜しむらくは、キャラクターの肉付けが、今までのライダーの枠を出ていなかった点だ。
 光太郎は、「苦悩するヒーロー」を渋く演じ切っていたし、伸彦は、「過去を忘れた悪役」に徹して いた。
 おそらく、ここにもう一つ何か要素があれば、「ブラック」もまた「クウガ」に勝るとも劣らない 作品になったような気はするのだが。
 とは言え、「ブラック」が「クウガ」たり得るのは、いささか時期が早すぎたのかもしれない。
 思えば、あの頃は今ほどに時代は混迷しておらず、誰もがもう少し未来に希望を抱いていた。
 そして、同時に誰もが、今まで通り、「肉体的に強い男」こそが「ヒーロー」なのだと信じていた 時代でもあったから。

 ともあれ、「クウガ」はみごとに花を開かせ、過去のライダーたちの歴史を塗り変えた。 孤独ではないヒーローもまた、ヒーローたり得るのだと。
 ここまで書けば、もうわかってもらえるだろうか。
 「クウガ」の果たした最も大きな役割とは、今までの画一的なヒーロー像を払拭したことだ、と 言うことが。
 時に、物語の方向性は、主人公のキャラクターで決まってしまうことがある。
 もしも、五代が本郷猛のようなキャラクターだったとしたら、「クウガ」はもっと違った番組に なっていただろう。だが、おそらく、それでは製作者たちの意図したことは、形にならなかったのだ。
 「クウガ」は幾つもの、強いメッセージ性を秘めた番組でもあった。だが、そのメッセージを形と するためには、今までとは違うタイプの主人公が必要だったのだろう。そう、この閉塞した時代に風穴を 開けられるような。そして、それが五代雄介だった。
 彼は、かつての「力」やステロタイプな「男性」を象徴したヒーローたちの持たない、精神のしなやかさ、 を持っていた。それがすなわち、彼の「強さ」だったのだ。
 そして、おそらくは、それこそが製作者たちが最も視聴者に伝えたかったことでもあろう。
 そして、そのことが「クウガ」をヒーロー番組のターニングポイントと成したのだ。
 かつて、アニメが「機動戦士ガンダム」によって、今までとは違った方向性を見出したように、 特撮ヒーロー番組もまた、「クウガ」によって、新たな方向性を与えられた。
 この後に作られるヒーロー番組の中には、当然ながら、その方向性をたどる番組も登場するだろう。
 だが、見出された方向性をたどると言うのは、けしてキャラクターや設定をまねることではない。 同じものをなぞり、ただ踏襲するのでは、いずれはそれも新しくもなんともないものと化し、ただの ステロタイプに成り下がる。
 むろん、マンネリズムによる視聴者の安堵感は当然、考慮するに値することではある。
 また、ヒーロー番組の主な視聴者が子供であることも、視野に入れておく必要はあろう。
 だが、それでも。せっかく「クウガ」によって拓かれた新しい道を、けして閉ざしてほしくはない。
 アニメが、「ガンダム」によって拓かれた道を更に開拓し続け、新たな方向性を模索し続けた結果、 「エヴァンゲリオン」と言う、新たなターニングポイントを生み出したように。特撮ヒーロー番組も また、成長し、進化し続けて行ってほしい。

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