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人が植物を使ってなにかを創る理由とは?(解答編)

皆様。いよいよこの記事の解答編をお送りします。

今回もたくさんの方に素敵なお答えをいただきまして、ありがとうございました!

前記事で書いた、僕の答えはこちらです。

人のために、動物のために、活用される植物の神秘は神そのものです。

水を吸い上げ、土に育ち、空気を作り出し、最後は火で燃えます。

偉大なる循環の中で、人を守る存在が植物だと、僕は思うのです。

人を守るために生まれる植物への感謝の印として人は、大切に育てる環境を整えて、大きく育てて、敬意を持ってそれを使って、表現します。お祭りもそうなのかもしれません。

で、結局、それでなにかを創りたいと思う気持ちがほとばしるから、創るのではないかと思います。

八幡様はそこから皆様のお答えに委ねましょうということで、なんと30人近くの皆様から素敵なコメントが入って参りました。

僕:「八幡様。どうですか? おりられ荘の皆さんの素晴らしさの一端が見えますよ!」

八幡様:「皆様、すでにお分かりのようで、流石です。それでは、正解を申し上げましょう」

僕:「ドキドキ! お願いします!」


八幡様よりお答え

あやこっこさん

あやこっこさん。その通りです。

植物とは、愛そのものです。それが大前提です。

堯友さん

堯友さん、その通りです。

植物は、人の命の永遠の願いと深くリンクしていきます。永遠の願いとは、いつまでも健康で美しく、若々しくありたい。元気でまっすぐ育ちたいということ。

植物はそれを何度も繰り返し実現しています。人は、そこにあやかりたいと思い、植物をお手本にして自らの姿勢を整えていきます。そして、愛が発動しやすい環境が生まれていきます。

愛が発動しやすい環境を作るには、その植物を近くに置いておくことが一番です。

ひろよしさん

ひろよしさん、その通りです。

いつも身近にあって、見ているだけで癒されて、とてつもないパワーを秘めている植物は人の体に優しい商品に加工もしやすく、無駄も少なく、温もりがあることで、人間の心のあり方と共振します。

例えば、大地に根ざす植物を、食べたり、鑑賞したり、化粧品にしたり、オイルにしたり、シャンプーにしたりと、人間の体に優しい製品が大地の力となって閉じ込められます。

nonさん

nonさん、その通りです。

人は、人の役に立ちたくて生きています。役に立つことによって嬉しくなり、さらなる創意工夫が生まれます。もっと喜ばせたくて探究心も生まれます。

さらに、植物を使って何事かをしようとするとき、あるいは何かを創る時に一番必要なのが、「これを使って何ができるだろう?」という想像力です。

その想像力に足して、人は昔、繋受力が身近にありました。つまり、話せない物と繋がって、その言葉や心を受け取る力があったのです。

植物が、私をこう使ってくださいという発信が、人間のひらめきに転化されて道具が創造され、家が創造され、料理が創造されたのです。そしてできたものを愛でて、植物の素晴らしさを再確認し、それを祝ったのです。

ねこっちさん

ねこっちさん、その通りです。

人間の心を喜ばせたいと思っている植物は、神の意向と同じです。神様は、人間に触れていたいのです。抱きしめたいのです。ずっと一緒にいたいのです。

身近にいて、いつも人間を見守り、使ってもらい、着てもらい、書いてもらい、食べてもらいながら、いつも一緒にいることでインスピレーションが止まらなくなっていくのです。

人間に気づいて欲しくて植物は健気に、静かに、いつもあなたの横にいます。

ポピットさん

ポピットさん、その通りです。

植物の個性は一定ではありません。厳密に言えば、個体によっても全く違います。同じように見えますが、人間と一緒です。育った土や、降る雨の性質や、そこに住む人間の性格によっても異なります。

そんな植物の特性を見抜き、その強さやしなやかさを使って、道具にしたり、器にしたり、家にしたり、食べ物にしたりと、使い方も変化します。

そうして生きてきた人間は、循環される命の不思議に感謝してお祭りを執り行ってきました。人の幸せを作ってくれる植物に対するお礼が、神道の基本です。

こうじさん

こうじさん、その通りです。

繋受力があった時代から、人間が美しいと感じる心は、植物とともに育ちました。受け取る力があると感動を倍にして与えてくれるのです。

例えば皆さん、子どもたちの運動会を見て涙したことはありませんか? 

競技に集中し、懸命に走る姿。転んだ友達を助けおこし、自分の順位など捨てて一緒にゴールする様。怪我をした人の元へ、救護班の子どもが心配な顔をして駆け寄っていく様。先生の颯爽と動く様子を真似て、自分も尊敬する先生のようにかっこよく動きたいと背伸びをする様。などなど、黙って動いている子どもたちの姿は、黙って人間たちを喜ばせ続ける植物と同じなのです。

子どもたちの美しさは、神々しく、それこそ奇跡そのものです。人間が見て全てが美しいと感じる理由は、見ている存在が、人間を尊敬し、愛しているからに他なりません。子どもが美しく見える人は、子どもに愛されている証拠であるということです。

美味カレーさん

美味カレーさん、その通りです。

植物は愛され、人間を愛し、お互いを大切にするからこそ、もっと喜ばせたいとなり、お互いに子孫を増やしていく行動に移ります。そうすれば、世界中の人が喜ぶと想像できるからです。農園ができ、工場ができ、産業が発達し、文化が広がっていき、生活も豊かになっていきました。

歴史は、植物とともに育ってきたのです。

とっちゃまさま

とっちゃまさん、その通りです。

人間の期待に寄り添って、この地球を守ってきた植物を消してしまってはいけません。蒸気を使ったり、鉄を精製したり、住宅の激増にともなって緑が失われそうになった時代もあります。それでも、植物はなくなりませんでした。むしろ、人間の力で再生されてきたのです。お互いに、諦めることなく、生命を全うさせようと努力してきました。

そんな人間も植物も、倒れるはずがありません。そうです。不屈の生命力を信じて、動く時が今です。

キヨナカさん

キヨナカさん、その通りです。

その生命力の源は、皆様もお分かりの通り、太陽の光合成、土の栄養が菌に支えられ増加し、水とともにミネラルを得ています。すると、二酸化炭素を酸素に変えて大気を生成し、人の生命を延ばすための住居になったり、燃料になったりして余す所なく使われ、その人間はもらった命に感謝をもって、今度は全力で植物を守っていきます。

Ohanaさん

Ohanaさん、その通りです。

それはまるで、チームでするスポーツ競技のようです。前衛後衛、フロント、バック、ディフェンス、オフェンス、ディフェンダー、ミッドフィルダー、フォワード、ゴールキーパー、ピッチャー、キャッチャー、ファースト、セカンド、、、それぞれがしっかりその場を守りつつ、試合をしていく競技のように、一人でも欠けたら試合が成立しないのが、人間と植物の関係だと言えます。

守り守られ、お互いを慈しみあう仲間である感覚が、ずっと一緒にいられる理由なのです。

AYAさん

AYAさん、その通りです。

仲間として、家族として、一緒にいてくれる植物は、自分を守ってくれています。そんな存在に対して、どんな気持ちが湧き上がるでしょう。そうです。AYAさんのおっしゃるとおり、深い感謝がそこには生まれています。それを受け取る植物も同じく、人間に大きな感謝を送っているのです。どうぞ受け取ってください。

海の檸檬さん

海の檸檬さん、その通りです。

植物は人間に生き方を見せて、教えてくれています。どんなに寒い冬が来ても耐え続け、自分の生き方を通す軸と、神聖な輝きとその美しさ。その姿に感動させられ、ずっと一緒にいたいと思わせてくれます。つまりそれは、愛に対する尊敬の念です。

とーこさん

とーこさん、その通りです。

一緒にいた思い出は消えません。柱の傷は一昨年の5月5日の背比べ〜♪ と歌われるように、木は人間の成長を見守ります。雨や風から守ってくれる大黒柱に、子どもの成長の証を残すことを、嫌とは言いません。むしろ、喜んで傷を受けます。寛大で、偉大で、絶大なる愛を持ち、人間を見守っています。

②さん

②さん、その通りです。

実相大学の一番最初にお話する内容になりますが、植物は人間を援護するために存在しています。そしてその植物を助けるのが人間です。持ちつ持たれつの関係性を、直接植物に聞いてみます。大先輩であり、人間たちの先生である存在を見過ごすことなく尊敬の念を深めることによって、たくさん教えていただけます。キャッチできるようになるための練習をしてまいりましょう。

5/19は都内の公園からスタートする予定です。完全体の植物から、不完全な人間にどんな言葉が降りてくるか、実験です。

romanescoさん


romanescoさん、その通りです。

神に近づく=人らしく生きる

です。神宿る植物に対して、尊い存在だと認めるならば、仲間である人に対しても同じように接し、お互いを愛せよ。ということです。植物を使うことの意味、すなわち人間であることを認め、その役割を全うすることであると結論付けられます。

あうん。さん

あうん。さん、その通りです。

植物は、人間らしく生きる皆様のことが可愛いのです。無償の愛とも言えます。それに対する感謝が、植物を使ってものを創ることに繋がります。そこに在ることで安心し、生きていく自信が湧き、守られている安心感が湧き、さらに喜びを共有したくて、植物を使い何かを表現し続けたくなります。

しろねこさん

しろねこさん、全くその通りです。

植物は、愛する人と同じ。愛情表現をしたいがために、想像力と創造力を駆り立てていく。

そんな愛情表現がこの地球にいっぱいになればどうなるでしょう。戦争など、すぐに終わります。愛する人を喜ばせる反対のことをする理由がなくなります。

植物がなくなってしまうことを想像できますでしょうか。なくなってしまったら、人間は生きてはいけません。植物が生える大地を無くしてしまっても人間は死に絶えます。水が汚染されても、空気が汚れ切ってしまっても、植物は死に、人間も滅亡します。

植物は、この地球の存在を維持してくれているのです。もしも人が戦争で相手国の植物を根絶やしにすれば勝ちを得ることができますが、同時に世界も滅びます。滅ばせないためにも、植物への感謝、愛情にお互いが気づくことです。

ずんこさん

ずんこさん、その通りです。

植物は、切られても復讐はしません。復讐は何も産まないことを知っているからです。植物が人間の命の鍵を握っています。つまり、植物は地球そのものということですね。

植物に感謝して生きることはすなわち、神に感謝して生きることになります。全ての宗教の根元にあるものが、食です。食べないと生きていけません。生きることで、人々の幸せが訪れます。

人が幸せでないと、戦争が起き、暴動も起きます。真っ先に奪われるのが、昔から食料です。つまり、植物です。宗教の違いで戦争が起きる歴史の底にある、みな同じく植物で生かされているという事実を忘れてしまっています。

キラリ☆さん

キラリ☆さん、その通りです。

いつも、神様は食べ物の中にあって、人間を観察しています。日本人が戦争を良しとしない理由は、植物の中に宿る神様に羞じるからです。

神様(植物)と一緒にいられる幸せをありがたく感じていない国は戦いを好む傾向にあります。自分の国に植物が少なくなってしまい、他国の植物を奪う国もありましたが、浅はかで卑しい行為になります。

神と共にあることを理解し、それを実践すれば、平和などすぐにやってくると思います。

にこさん

にこさん、その通りです。

植物には自衛本能があります。敵に襲われた場合、一瞬で危険信号を発します。すると、周りの植物は警戒し、それが森全体を包み込み、敵は身動きが取れなくなります。

さらに、敵に襲われた時、葉脈の中に毒を盛ります。食べられても苦味を感じたり、天敵を苦しめて、2度と近寄らせない工夫を施します。その逆で、植物をとことん愛することによって、人間の健康を取り戻すくらいの愛のつぶつぶを放出してくれます。

清濁併せ持つのが植物なのです。植物のエネルギーは絶大です。そのエネルギーと、人間のエネルギーは混ざり合います。親和性が高いのです。何せ、お互いに惹かれあって相思相愛ですから、気も合います。そこに喜びが満ちないはずがありません。

Yokoさん

Yokoさん、その通りです。

その循環が人間を生かしてきました。加工されても、食べても、燃やしても、それは人間に役立つエネルギー。『昔は、人と植物がもっと身近で、人が、植物からパワーを頂き、感謝のエネルギーをお返しするという循環があったのではと妄想しました』とのことですが、妄想ではないことがおわかりいただけるかと思います。

人間は、その力を使わせていただき、なにかを創りたくなるのです。そのエネルギーを永遠に感じるために。創ってそばに置いておきたくなるのも当然です。

ひょこさん

ひょこさん、その通りなのです。

その植物が育っていく場所。ここが重要になってきます。水が綺麗で日当たりもよく、風の通りもいい場所に繁栄する植物と、ジメジメして風もなく、蒸し蒸しした場所にも植物は育ちます。しかも好んで。

人も同じです。好みが違うのです。それから、その環境に合わせて変化していくところも人間と同じですよね。たまたま風で種が飛ばされて、今までとは違った環境に入って根をはってしまう植物もいますが、その根は腐ってしまうか、むしろ進化して強くなるかのどちらかです。自らが調和していこうとするか、調和を嫌って旅立つかの二通りですね。

明るい場所で伸び伸び、暗い場所で伸び伸びと育ったもの同士、調和できないかというとそうでもありません。盆栽は、風の強い場所の明るい場所で育つ松と、暗くてジメジメした場所で育つ苔がミックスされると美しさや風情が上がります。人間はそれを美しいと思える美的才能と、バランス感覚を持っていますので、植物たちに人気なのです。

まゆみさん

まゆみさん、その通りです。

皆様も、だんだんわかってきたかと思います。植物は、人にとって不可欠であり、癒しであり、生命線であり、戦争を止めるためのきっかけであり、愛そのものである。さらに、それは人も同じで、共振してリンクしているということ。完璧な共存・共栄の関係なのです。

ppperikoさん

ppperikoさん、その通りです。

その自然のエネルギーはいつも自分の周りに向けて発信しています。昔の人々はその声を聞いて判断していました。素直な心で聞けていたのです。

ファンタジーに思えるかもしれませんが、例えば、頭の中に思い浮かべた人から突然連絡があった! とびっくりすることが起きるのは偶然でもファンタジーでもなく、お互いのエネルギーが空中の見えないつぶつぶに繋がって、反応して、声や思いが伝わっていくのと同じなのです。

ねこつくしさん

ねこつくしさん、その通りです。

今回の皆様への問いの中に含まれていたものの中で、「木が含まれる漢字」に行き着いていただきたかったのです。

特に、人と木が繋がっているこの休。ここからさらに紐解いていけば、日本人がどれだけ植物と共に生きているかがわかります。

あなたの洞察のとおり、人が植物に敬意を表しながら、それを使い、あらゆるものを創ってきた大きな理由は、自分の周りの人々を幸せにすることが可能だからです。

れいなさん

れいなさんも、その通りです。

ありとあらゆる植物が、人間の生活に根ざしておりますが、その根っこにフォーカスしてみると、実は世界中が繋がっています。それは、菌糸のおかげなのです。

土を掘り起こすと白い線状のものがありますが、あれが菌です。それらが土の中で張り巡らされて繋がっており、全ての植物は一つに繋がっています。山などはその塊です。いつでも意思を持って動ける状態でいます。

例えば、人間が山に入った時、それを警戒と取るか、歓迎と取るか、で山側の受け入れ態勢が変わる場合もあります。繋がっているので、遠く離れた山の向こうにも、「今、人間が入ったよ」と連絡が行きます。

人間の行動はつぶさに観察され、ゴミを捨てていく人や、無闇に焚き火をする人は危険人物としてマークされます。そんな人は、山に来て、「ああ気持ちよかった」とは思わずに帰ります。虫には刺されるし、草で皮膚は切れるし、水は途中で汚れたり、足元が緩んで崩れたり。もうここには訪れたくないと思わされることが起き得ます。

森のネットワークは、人間のやることをしっかり見ていますので、マナーを守って行動することで危険をあらかじめ回避できることを覚えておいてください。これから行楽シーズンが増えますので、植物をみる目を慈しみの目に変えていけば、受け入れ態勢はすごいものがありますよ。

いつも、植物に囲まれて生きていることに気づき、ありがとうを伝えてください。悪いことが減り、いいことが起きます。

May Oさん

May Oさん、その通りです。

人間が人間として、自分がここに存在していることを植物と共に感じていられたら、一人ではありません。植物が、人の愛を感じて、人の言葉を聞いて、人の温もりを受け取っているとすれば、人も植物から受け取れるはずです。

見えないから見ない、聞こえないから聞かないでは寂しすぎます。植物が研ぎ澄ませて、洗練させてきた自らのデザインや色を惜しげもなく見せてくれているのは、その美を人に見てもらいたいし、褒めてもらいたいのです。

ルルティメットさん

ルルティメットさん、その通りです。

人が美しくなれば、心も比例して美しくなっていきます。人の美しさは、相手への思いやりに象徴されるように、誰かにとって大切なことや、大切なものを、自分もそれに共感して本気で大切に扱うことで生まれるものです。その美しさは、相手のことを一番に考える優しさでもあります。

いつもお世話になっていることに気づいただけで、あなたは美しい。

Yayoiさん

Yayoiさん、その通りです。

不純物のない自然には、つまりありのままの自然界には、何者にも毒されていない全てが宿ります。そこから生まれ出る愛は、人が生きるために必要な示唆に富んでいます。それを真似たり、参考にしたりして、自分の本来もつ力を再確認しています。実相大学の大きなテーマがここにあります。

あぴのりさん

まったく、その通りです。

周りのために生きることを選ぶことはなかなかに難しいものです。植物のように損得を考えずに、周りを潤していく美しさは人間として生活する上で至難の業です。

自分を使って、幸せになってください。素晴らしい人生を送ってください。と言い切れる人間になることで、周りも、自分も、成長することができます。その成長した暁には、花が咲き、実がなり、やがてそれが種になって世界を飛びます。

※これでコメントの参照を最後にいたします。5月1日 17:20現在まで

おわりに

僕:「八幡様。お一人お一人のコメントに、上乗せしてコメントを書いてくださいまして、本当にありがとうございました。バラバラのコメントなのに、続けて読んでも違和感がない書き方、正直申しまして、これが舌を巻く、ということなのですね。そんなの、僕には絶対的にムリムリです。感動しました」

八幡様:「感動したのは、私の方こそです。皆様の感じ方と読み取り力と、感応力と、わかりやすい表現の仕方が見事でした」

僕:「本当にそう思います。っていうか、毎回思います。僕なんかが先生するのって大丈夫なのでしょうか。みんなすごいんですもの・・・」

八幡様:「アニキは今まで学んだことを伝えるのも大切ですが、それぞれの思いに寄り添うことです。私が今回やったように、お一人お一人に、です」

僕:「あ! そういうことでしたか。気づかなかった・・・。僕への悟しも入っていたなんて」

八幡様「そして、皆さんに深く考えていただくことです。教え込まず、寄り添いながら、気づいていただくのですよ。基本をお伝えし、正しいやり方を伝授し、そして、自分で発見させてあげるようにすること。答えは簡単に言ってはいけません。そんな勉強は、頭に入りませんし、自分で繰り返し学ぶことを放棄してしまいがちです。自分で強い意思をもって続けて、最終的に結果を出し、またそれを試しながら、自分のオリジナルを創って行けるようにして差し上げてください。アニキなら、それができます。そして、アニキ自身が一番成長することになるでしょう。改めて、皆様にお礼を申し上げます。貴重なお時間を削ってのコメント、ありがとうございました。またお願いすることもあると思います。その時はまた、よろしくお願いいたしますね」

僕:「はい。僕もよおーく、わかりました。八幡様にそうやって鍛えられてきましたので大丈夫です。でも僕は、八幡様みたいに人を泣かしたりはしませんよ。厳しいスパルタは嫌いです」

八幡様:「お任せしますよ。私は、アニキが泣きたいからそうやっているだけですので。つまり、寄り添っているだけなのですが」

僕:「あ、はい、そうなんですよね(泣きたいなんて思ったことないし! なんてことは思っていても言わない。ていうか言えない)」

八幡様:「言わなくても聞こえていますよ。さあ、広島で待っているお客様を喜ばせてあげてください。自然豊かな街を、笑いの渦にしておいでなさい」

僕:「はい! 行ってきます! また機会を見て、写真と動画でここで紹介させていただきますね!」

あなたに、今日も幸あれ!!!


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