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「わからない」ことから出発できる喜びー私が現代アートに関わる理由

「ちょっと,話聞いてる?」
「あ,うんうん,わかるよ。君の気持ち,わかってるよ」
「違う,何もわかってない。それに簡単にわかってるなんて言ってほしくない」
「じゃ,なんて言えば良いんだよ?」

ああ,男女のすれ違い。
よくある,男女の痴話喧嘩の会話から始まった今回の小噺。
この会話が,どうして現代アートと関係あるの?
と思った方もいらっしゃるかもしれません。

しかし,この会話,私には現代アートとの付き合い方と似ているなー,と思ったのです。

私がこれまでアートと呼ばれるものを,時には愛し,時には憎み,時には離れながらもなぜずっと付き合ってきたのかというと,自分の知らない世界に連れていってくれる存在だったからだと思います。自分では見えないモノの見方や聞こえ方,考え方を知るたびにワクワクします。自分の予想を超える何かに触れる感覚が快感なのです。

しかし,なぜか周りからはこんな声をよく耳にするのです

「現代アートってよくわからない」

苦笑いして,困った表情で言います。

今までは「わからない」という人に対して,どのように返答したら良いかわかりませんでした。長らくピンとくる言葉が見つからなかったのですが,最近なってようやく見つけました。

「うん,わたしもわからないよ!」と。

わかるか,わからない,と問われたら,「わからない」と自信を持って答えます。そして,私は「わからない」からこそ楽しい!と思っているのだと。
もしかしたら「わからない」ということで困っている人は,「わからない」ということから始まる喜びへの出発点であることに気がついていないかもしれない,と思うようになりました。

とは言っても,この「わからない」って状態って辛いですよね。
今の時代,なんでもGoogle先生に聞けば大抵のことは教えてくれるし,ネットの海に潜れば,簡単に狙った獲物をゲットできる。

しかし,いつの時代も人生はそう甘くない。

進路,就職,結婚,出世,ライフスタイル,終活,云々,人生における正解なんて誰も教えてくれません。

だからこそ,「わかる」にすがる気持ち,私も痛いほどわかるんです。どうやったらスラスラと論文が書けるのか,本当にわかりたい!!
わからない,わからない,わからない,と深く潜っていく辛さって,ドンドン自分の首を締め付けていくんです。

締め付けて,もうヤバイという手前でやっと気が付きました。
「わかる」んじゃない。どれだけ「知りたい」と思うかなんだと。「わからない」から逃げるのではなくて,そこで踏ん張って,自分から一歩踏み出すことが楽しくワクワクすることなのだ,ということをやっと思い出したのです。

人と人との関わりもそうだと思いませんか?

「わからない」ということから逃げずに,一歩前に踏み出せた時,相手との新しい関係が築けるのかもしれません。

現代アートで出会う作品もそういう存在であると私は思います。

それでも,作品を前にした時,一歩踏み出せないこともあると思います。それは人との関係も同じ。相性の問題と割り切りましょう。しかし,「わからない。でも・・・」と少しでも思ったのならそれがチャンスです。

あなたの知らない何かがあなたを待っています。

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