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時代を生き抜く力 ー これからの「教養」としてのアートとは

「スッパ抜かれたー!」

とは山ちゃんの叫びではない。
私の叫びだ。

理由はこの記事を読んだから。
ここに言いたいことが全部書いてあった。
本気でアートの時代がやってくることを示唆した記事だ。

「アートに正解はない」。東京国立近代美術館がビジネスパーソン向けの対話鑑賞プログラムを行う理由
https://bijutsutecho.com/magazine/interview/19984


「アート=答えのない世界」という観点から出発し、単に知識ではなく、今現在の自分自身の軸からアートの世界を眺め他者と対話する、という対話型鑑賞を,主にビジネスパーソンを対象とした有料プログラムとして東京国立近代美術館がスタートさせた。

ベストセラー『ライフ・シフト100年時代の人生戦略』(東京経済新報社)は,AI時代になっても人間が「絶対優位」な3つの力として「想像力」「問題解決力」そして「共感力」であると紹介した。また,文部科学省は育成すべき資質・能力として、最新の学習指導要領において、「自立した人格を持つ人間として、他者と協働しながら、新しい価値を創造する力(「主体性・自立性に関わる力」、「対人関係能力」、「課題解決力」など)」を掲げている。これらを育む教科として音楽・美術のアートの力に期待が寄せられている。

しかし,これまでの義務教育での芸術教科は,スキルの有無や正解・不正解が問われる授業が中心であり,求められる資質を育む機会が充分に与えられていたとは言い難い。そのため,スキルのある人,評価が出来る人しか,芸術を嗜むことに自信を持てず,特に、評価の定まっていない現代アートは,「よくわからないもの」として敬遠される傾向にあるように思う。

この文章でも書いたが、そもそも我々が生きる日常生活は「正解のない世界」だ。時間を巻き戻してやり直すことが許されないこの世界を生きている限り、進路,就職,結婚,終活などなど,人生の選択に対して自分が導き出した答えに「想像力」「問題解決力」「共感力」を駆使して納得し、他者ではなく、自分自身が「腹落ち」することが、唯一前に進んでいける方法のではないだろうか。その世界で生き抜く,つまり,これから最も必要とされる「想像力」「問題解決力」「共感力」を育むツールが「アート」だと,ビジネス界,教育界,そしてアート界が声を上げてきているのだ。

これは充実した内容が増えつつある子供向けのプログラム対して,大人を対象としたプログラム開発の改革につながることに期待する。先にも述べたように学校教育の影響もあり,アート鑑賞,音楽鑑賞はどちらかというと,知識やスキルを重要視した「教養としての芸術」ということに重きが置かれてきた。つまり,アートに対する知識や審美眼が重要であり,何か発言をしようにも「勉強不足でよくわかりませんが」などの,自らの知識不足や経験不足からくる自信のなさを表明した上で発言しなければ肩身の狭い思いをする,もしくは発言しない方がマシ,という雰囲気が蔓延していたように思う。実際,先日参加した対話型のアートツアーでも,ガイドに質問されても答えられない男性参加者がいた。

記事にも「ある年代以上の男性などは自分が知らないことについて話すのを嫌がりますよね。そこから崩していくのが対話鑑賞の手法なんです」と書かれてあるが,本来,何かを見たり,聞いたりして思考に結びつける作業は,自分自身にしかできない。そこを出発点とし,今自分ができる行動に移す。つまり,受け止めて,行動に移す(この場合だと言葉にする),ということができなければ,本来の意味である「教養」には結びつかないのである。

この教養について,筆者が参加した日本質的心理学会で,人間行動学者の細馬宏通氏は「教養=見えないものに頭をがつんとやられる」と説いた。何かに衝撃を受ける,ということに気がつく資質,と筆者は受け取ったのであるが,これは社会学者の宮台真司氏の言う「感染動機」にも通じる概念であるように思う。つまり,「何かに触れ,わっと自分の中に起こった『何か』を捕まえ,それに瞬時に反応し行動する能力」,それが本来の「教養」と言えるのではないだろうか。

参加したアートツアーの中で,話をふられても何も答えなかった男性とは対称的に,軽いノリでペラペラっと感想を言うおじさんがいた。あまりにもノリが他の参加者と違うので,最初の方は冷や冷やしながらその意見を聞いていた。しかし,ツアーの最終ワークでハッとさせられたのだ。現代の抽象絵画2点を目の前に「今日の気分でどちらの作品が好みか分かれてみましょう」とガイドから声がかかった。ガイドはそのおじさんに「どうしてこちらの作品を選んだのですか」と質問すると「オレが今日来ている服と色合いが似てたから!」と意気揚々に答えた。頭をガツンとやられた。何故ならば,おじさんは自分を出発点とし,その抽象絵画を見ている,目の前の作品を自分ごととして考え,発言している,と気付いたからだ。そして,自分からは絶対に出てこない意見だった。おじさんのお陰で,他者の視点を発見することができ,とても感慨深い気持ちになった。

教養とは単なる知識の詰め込みではない。自分ごと化し,そこから自らが導き出した行動,アウトプットできる能力だ。もうこれからは,アートを語る際に「勉強不足で……」という枕詞はいらない。自分ごととして見聞きし,そして発言してほしい。それが今の時代,アートが求める「教養」なのだから。

参考文献:
リンダ・グラットン, アンドリュー・スコット 池村千秋(訳)/『LIFE SHIFT ライフ・シフト100年時代の人生戦略』東京経済新報社(2016)
宮台真司『14歳からの社会学ーこれからの社会を生きる君に』世界文化社(2008)

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