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溝口彰子さん(視覚文化研究者)による作品解説文(ネタバレあり)

「おろかもの」劇場公開を記念して、「BL進化論」の著者として知られる溝口彰子さんによる作品解説文を公開致します!
本編のネタバレを含みますので、映画鑑賞後にお読み下さい!





男性映画人による、シスターフッドを称揚するフェミニスト映画

 SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2019の国内コンペティション長編部門で『おろかもの』を見て、心底びっくりした。脚本家と共同監督の3人全員が男性で、紹介文が<高校生の洋子は結婚を目前に控えた兄・健治が、美沙という女性と浮気をしている現場を目撃する 。衝動と好奇心に突き動かされて美沙と対峙した洋子は、美沙の独特の柔らかさと強さ、脆さに惹かれていく>となっている作品が、堂々たるフェミニスト映画だなんて、想像もしなかったから。
 しかも、ファンタジーにおける戦闘美少女や女子高生の間だけのびのび過ごすといった設定ではない。主人公、洋子(笠松七海)の兄、健治(イワゴウサトシ)が来月結婚することを知りながら、彼との愛人関係をやめられない美沙(村田唯)が、スラリとした美人なのに、なぜか自己評価が低く、過去の男たちと比べると健治は優しいから本気で好き、と語る姿には、ジェンダー・ギャップ指数が153国中121位の日本における女性たちのリアルで複雑な困難がうかがえる。そう、この映画にはステレオタイプな人物がいない。婚約者の浮気に気づいていながら事を荒立てずに結婚する榊果歩(猫目はち)の言動は、一見、「耐える女」風だが、健治と、そして洋子とも家族になりたいから、と語る彼女の眼差しには強く主体的な意思がある。
 初見で一番、印象に残ったのは、ラスト近くの、チャペルに真紅のベアショルダーのドレスを着た美沙が乗り込んできて、洋子が手を差し伸べて共に走り去るまで、たっぷりと時間をとって「タメ」を効かせて、美沙と果歩のにらみ合いから、洋子を含めた女性3人の三角形に持って行くところだった。そして、劇映画ならではの爆発力を持って音楽に乗って描かれる、手に手を取って走る美沙と洋子の姿がもたらす躍動感。環境音に戻ってからの、遠くのチャペルを見つめる美沙の美しい横顔と、正面を向いての、「ねえ洋子ちゃん、お腹すいた」というこの上なく現実的なセリフの、着地の見事さも。それだけで、美沙が健治のことを吹っ切って、洋子とは、単に友達関係というよりは緊密な、女同士の絆を保ったままで、そこそこ元気に生きていくだろうことが伝わってくる。これはシスターフッド称揚の映画なのだ。そのシスターフッドには洋子や美沙のような異性愛女性だけでなく私のようなレズビアンも含まれる、と感じられる。とりあえずは洋子の友達のシャオメイ(葉媚)が言うように、「いい百合」「クソ素敵」と言いあって、お腹が空いたら一緒にご飯を食べて、男に対して文句があったらちゃんと言ったり、ビンタしたり、キスしたければ一方的にしたりしつつ、強くなろう。そんなことを考えさせられる、画期的な作品。
 さらに褒めたいポイントをいくつか箇条書きで。 
* 俳優陣がみな、素晴らしいのだが、とくに、洋子が尾行してカフェで美沙と初めて会うシーンでの、美沙としての村田の、なんとも言えない不気味さは、『砂の女』(勅使河原宏監督、1964)における岸田今日子に通じる凄みがある。また、芳賀監督が語っているように、主演の笠松の顔のアップは見ても見ても見飽きない。顔といえば、健治役のイワゴウの曖昧な笑顔もすごい。
* 前述した疾走のシーンだけでなく、池のある公園といった屋外空間での抜け感と、室内で役を生きる俳優陣にドキュメンタリー風に密着する表現のバランスがいい。
* お墓まいりのシーンの、間接話法のセリフに脱帽。
* 「オレンジの背景の前で美沙の横顔をとらえ、表現主義的に美しく、彼女の内省を思わせるシーンだろうか?」と思ったら、カメラがパンしたらラブホテルの室内だった、のに驚いた。

 褒めてばかりなので、注文も一つ。今後はもっと英語字幕で見る人のことを意識してほしい。本作について具体的に言えば、シャオメイに、映画の序盤で何度か中国語を喋らせたほうが良かった。現状では、彼女が日本語は母語じゃないからこそ漫画で学んだ「変な」表現で喋っている、という面白さが伝わりにくい。
 
溝口彰子(視覚文化研究者)

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