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【3】捨てない諦め

 ある想いを保持するという選択と捨てるという選択があったとき、諦めるというのは後者のことを指すのだろうか。諦めること=捨てることだけを意味するのかを考えてみたい。

過去の諦め
 僕は周期性ACTH-ADH分泌異常(現在はもしかしたら違う名前で呼ばれているかもしれない)という病気で入退院を繰り返していた時期がある。幼稚園の年長から小学校を卒業するくらいまでの時期だ。
 中学に入ると入退院はしなくなったものの発作が起きたら自宅で療養するなど、学校には通えない生活が続いた(病気のほかに学校が怖くなってしまったからという理由もあったけれど)。
 そんな状態だったから、小、中学校時代は、「普通の」学校生活を送ることは諦めていた。

違う姿で出会う
 高校からは、とりあえずは学校に通えるようになっていた。中学時代の出席日数があまりに少ないために、受験できる高校は限られていたけれど、そのうちのひとつに入学して無事3年間の高校生活を終えた。
 その3年間は、小、中学校で諦めた「普通の」学校生活との出会い直しだったように思う。もちろん、高校の学校生活は小学校や中学校のそれとは同じものではない。けれど、過去の諦めが違う姿で目の前に現れたと捉えることはできる。そういった過去の諦めとの出会い直しというものがあるんじゃないだろうか。だとすれば、諦めることは捨てることだけを意味するのではないのかもしれない。

捨てない諦め
 諦めるのは怖いことだ。諦めると諦めたものは戻ってこないと感じてしまうから。諦めること=捨てることだと感じてしまうから。
 諦めると捨てるが一致する場合ももちろんある。けれど、捨てない諦めというのもあるのだ。一旦手放す、一旦しまっておく。そういう諦めもあり得る。その諦めは、姿を変えて再度目の前に現れることがある。
 必ず出会い直しがあるとは限らないし、出会い直しているのに気づかなかったということもあるだろう。けれど、捨てない諦めもあるのだと思っていると、諦めることが少し怖くなくなるかもしれない。諦めないことによって見えていなかったものが見えるようになるかもしれない。

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