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音楽の聴き方

 音楽についての呟きを見た。
「音楽の秘密は楽理を分析するようにしては解き明かされない」とある人は語っていたけれど、私は腑に落ちなかった。それを語ることができるのは、音楽を分析し尽くした人でないとならない。

 西洋音楽をやる人にとって、アナリーゼはして当たり前だ。広義での音楽をやる人にとってもフィールドワークや、解析を行うこともある。分析といってもいろいろな方法や深度があるのに、それらを一切しない人が何故分析することを軽んじてしまうのだろう。

「私は音楽を分析することはなく、このような音楽との付き合い方をする」
という話なら理解できるが。

 確かに「音楽の秘密」というものはアナリーゼしても解き明かされることはない。正確には、理論的に分析して分かることは明確に出てくるが、音楽の仕組み、成り立ちを知っても、それが「なぜ人は音楽を聴いて感動するのか」という問いを満たす答えにはなりきれない。
 だから音楽美学や音楽哲学があるし、理論は和声や対位法に留まることなく、音響学や心理学などまた違った視点から見ることができたり、深く掘り下げることができたりする。

 音楽の聴き方、付き合い方も多様だ。交流という形で聴く人、お酒のように快楽を得るために聴く人、音楽と一体化しようとする人、背景を知り、分析を試みて聴く人、聴き方を意識せずにふわふわと聴く人。どれか一つが正解だとか、適切であるとかはないと思っている。様々な音楽があるように、様々な聴き方があるということを知り、いろいろな聴き方を試みる、それぞれの聴き方で発見する、そういうことを私は人に勧めたいとずっと思っている。

 分析的な聴き方でしか見つけられないものがあるように、そうではない聴き方でしか見つけられないものがあり、そこに優劣を持ち込んでしまうのはひどく乱暴な気がしてしまう。ゆえに分析を安易に否定するような態度には危機感を覚える。分析が適さない音楽はあるけれど、適した音楽も存在するし、聴く時の条件によっては反転することもあるのだ。

 音楽の秘密に触れるためには、良く耳を澄ますこと、その一点しか今の私には言えない。

 芸術には答えがない。だからこそ鑑賞する度に何かを発見することができる。

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