だれかのために、じぶんのために

適材適所というか、得手不得手というか、そういうのはやっぱりあると思うんです。それでいうとわたしは、率先して前に立つよりも、そういう人を支えられる人でいたい。わたしがいなくてもそういう人はうまいこと立ちまわることができるだろうけど、わたしがいることでより魅力的になる、より輝きを増す…みたいな。

昔から、そういう気質だったと思う。
でも、どちらかというとガンガン前に立つタイプのひとと夫婦になって、より《だれかのために》精神が増した気がする。だれよりも近くで支えてあげたい、彼のやりたいをだれよりも応援したい。そんな一心で。

それは悪いことだとは思わないし、そういう立場として必要とされるなら、それはそれでうれしい。
でも《だれかのために》だけを突き詰めると、どうしても見返りを求めてしまうことも無きにしも非ず。やってあげてる、とまで横柄には言わないけど、少しぐらい感謝してくれてもいいのになーとか、もうちょっと認めてくれたらいいのになーとか。見当違いなことを思い始めてしまうのですよ。笑

そう考えると、やっぱり《だれかのために》ばかりだと苦しくなるんだなぁ、と今さら気づいた平成最後の夏。(言いたいだけ)


大学時代に、とある学生団体に入っていました。
なんだろうあれ、キャンプ企画運営団体…?笑
でね、100人近くの学生(社会人もいたかな)を集めて、いろんなことしたんです。今回関係ないので内容は割愛しますが、何が言いたいかっていうと、そこでは数名ごとのグループ単位で活動していて、わたしそこでグループのリーダーやったんですよ。まぁスタッフがリーダーやることになってたので、若干やむを得ず感はあったけど。

やっぱりスタッフだしリーダーだし、場をどうにかせんといかんなぁっていう思いはずっとあって、でもわたし正直リーダーとか得意じゃなかったから、どうしようかなぁって思ってた。なので、はじめましての自己紹介のときに、リーダーだけどそーゆーの苦手です!って公言したの。8人ぐらいのグループにはわたし含めいろんなタイプのひとがいたから、一応リーダーはわたしだけど、それぞれが得意なことを、それぞれ自由にやってもらってて…よくも悪くもゆるーいチームでした。笑

でも、結論から言うと、たぶんどこのグループよりも仲良かったと思う。(自画自賛!)

そう考えると、きっとリーダーにもいろんな在り方があって、その時々でどうあるべきかは考えなきゃいけないかもしれないけど、当時のわたしはそれなりにうまいことやってたんだろうなーって。

…ということを思い出して、なおさら少し、前に立つことを意識してみようかなぁと思ったのです。
たぶん、《だれかのために》精神を、すべてなくすことはできないし、求めてない。それはベースにありつつも、自分をうまく主張できるようになれたらいいなって。うまいことわがままになれたらいいなって。

そう思ってた矢先に、少しいい話が舞い込んできたので、幸先良いスタートが切れそうです!

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