吉藤オリィ

元不登校のロボット研究者.分身ロボット「OriHime」,「NIN_NIN」,視線入力…

吉藤オリィ

元不登校のロボット研究者.分身ロボット「OriHime」,「NIN_NIN」,視線入力PC「OriHime eye」,車椅子向けアプリ「wheelog」視線入力車椅子, 分身ロボットカフェ など開発. 新書籍「ミライの武器」発売中.

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2010年7月7日に"OriHime"というロボットが生まれて10年。10分で振り返る10年の軌跡

2010年6月22日、当時22歳の私は一人ひそかに作っていたロボットに名前を付けて世の中に出す事にした。 オリィという私の名前を少し入れ、遠く離れて会いたい人に会えない織姫と彦星の伝説から。 カテゴリ名は何にしようか。 テレプレゼンスにするか、アバターロボットにするか、アルターエゴ、コピーロボット、ゴースト、リモートetc… 色々悩んだが、横文字だらけの優しくない世の中、年齢関係なくわかりやすい名前にしようと。 2010年7月7日、命名 分身ロボット 「OriHime」

    • 三昧な新年のあいさつ&近況報告

      早くも2024年の1%が経過しようとしている1月3日の夜ですが、皆様新年あけましておめでとうございます。 年末年始は極力TVもSNSも連絡も絶って開発と勉強三昧。まとまった時間をとれた事で前々から学びたかった技術と知識を色々仕入れる事ができた。これまで出来なかった事が出来るようになったのは喜びだが、それ以上にまた日々のひらめきを足して加工して出荷していける事が楽しみだ。 昨年、余命宣告された友人が言っていた。 「今まで嫌いな人も我慢して付き合ってきたし、自分より優れた人を

      • 36歳を迎えて

        幼い頃、ひきこもりの経験が辛すぎて、生きる力を一度失しかけたが「俺はこの研究の為に生まれてきた」というアフリカ系の高校生研究者と出会い、その死生観いいな私も導入しようと決意したのが17歳中頃。がむしゃらに研究に生きていたら36歳になっていた。 12歳の頃に不登校ひきこもりになり3年半孤独になる 15歳の頃に電動車椅子の改造を始める 18歳の頃に人生の研究テーマを「人類の孤独の解消」に決め 21歳の頃、OriHimeを発表 24歳の時、研究室を株式会社にして独立 27歳の時、

        • できない事は、価値になる。

          「おまえ秘書なんだから珈琲いれてくれよ」「じゃあ、それができる身体作ってくれよ」「それもそうだな」 今は亡き寝たきりの親友とそんな談笑し、親友の身体としてガレージで大きな分身ロボットを開発しはじめ、寝たきりでも働ける「分身ロボットカフェ」は生まれた。 「あなたは何ができますか?」 我々はいつも問われてきた。 他の人にできることができないとき、 「できることが当たり前だ」「他の人は皆やれている」「君は努力が足りない」「なんでできないんだ」「できなくて可哀そうだ」等

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        2010年7月7日に"OriHime"というロボットが生まれて10年。10分で振り返る10年の軌跡

          「孤独の解消」を生涯のテーマに決めてから倍の時が流れて

          「僕はこの研究をする為に生まれてきた。この研究を成し遂げ、この研究をしながら死んでいくんだ」という高校生に出会った。17歳の時だ。 2005年の5月、アメリカでの高校生の科学コンテストISEFで、一緒に折紙を折っていた懇親会での出来事だった。 あのことがきっかけで、「私は孤独の解消の研究に命を捧げよう」と誓った。 あれから、17年と6ヵ月が経ち、今日35歳を迎えた。 あの決意した17歳と6ヵ月から、ちょうど倍の時間が経った。 当時の世の中には「早いうちに人生を決めた方がい

          「孤独の解消」を生涯のテーマに決めてから倍の時が流れて

          国際的な賞を貰いオーストリアまで招かれるも、式直前にコロナ陽性になってすぐ近くのホテルからロボットに代行してもらった話

          世に名誉な賞は多々あれどアルス・エレクトロニカ(Ars electronica)とは大層な賞である。オーストリアのリンツで開催される芸術・先端技術・文化の祭典で、メディアアートに関する世界的なイベントとして有名だ。 10年前はまったく理解されなかった”分身ロボット”という概念や、呼吸器をつけた寝たきりでも働けるという発想が、Ars electronicaで最高の栄誉である「ゴールデン・ニカ賞」として国際的に評価された事をとてもうれしく思い、海外へ活動を発信する良い機会だとオ

          国際的な賞を貰いオーストリアまで招かれるも、式直前にコロナ陽性になってすぐ近くのホテルからロボットに代行してもらった話

          ALSを、いつまでも社会に参加し続けられる病気に。

          いつか書きたいと思っていた、長岡教頭先生について書こうと思う。 いつものように開発をしていると、研究所に電話がかかってきた。 「教頭先生がALSという難病になってしまった。先生になんとか卒業式に参加してもらいたくて、OriHimeを貸してもらえませんか。」 広島県立御調高校の生徒会からの電話だった。 高校の教頭先生である長岡先生がALS(筋萎縮性側索硬化症)になっていて、それでも頑張って通勤されていたが、全身の筋力が動かし辛くなりいよいよ車の運転もできなくなった事で休

          ALSを、いつまでも社会に参加し続けられる病気に。

          寝たきりの親友と語り合っていた「寝たきりでも誰かと出会えて、誰かの為に仲間と働ける未来」

          たとえ寝たきりでも誰かと出会えて、誰かの為に仲間と働ける未来を作ろう   寝たきりだった亡き親友、番田雄太とOriHimeでそんな話をした。 寝たきりで社会人経験もないのに無理だと呆れられ、夢だと言われ、それでもやりたいんだと動き続け、5年半。   2021年6月、たとえ寝たきりでも働ける「分身ロボットカフェ」常設実験店がオープンした。 分身ロボットOriHimeを自宅や病院からリモート操作して働き、新たな働き方、社会参加方法を研究する実験カフェだ。 OriHimeを遠隔操

          寝たきりの親友と語り合っていた「寝たきりでも誰かと出会えて、誰かの為に仲間と働ける未来」

          ALSになっても視線入力だけで絵を描き続け、人類の可能性を更新し続けた仲間の物語

          私達には尊敬する大好きな仲間がいた。 ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、呼吸器を装着して寝たきりになる中でOriHimeを知り、導入してから3年間、365日毎日自分の身体として使い続けた榊浩行氏だ。 ALSが進行し、筆を持てなくなり、話せなくなり、ついには眼球しか動かせなくなっても、視線入力だけで数々の絵を描き続け、更にはOriHimeで出社して仕事を続け、「共に生きて行こう」とSNSでメッセージを発信し多くの方を励まし、チームOriHimeとしてかけがえのない仲間だっ

          ALSになっても視線入力だけで絵を描き続け、人類の可能性を更新し続けた仲間の物語

          本気を出すと疲れるが、疲れずに生きのびるくらいなら本気を出し切って燃え尽きたい。

          つかれた 本気で、疲れた しかし、いい疲れだった 10月28日、私達の「分身ロボットカフェ」は、本年度の応募総数2,431点、ACC日本最大の広告賞「ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS 2020(ACC賞)」、クリエイティブ部門でグランプリ(最高賞)を頂いた。 「寝たきりの先へ行く」 私が寝たきりのALSの患者さん達と出会って7年、寝たきりや外出困難の多くの仲間らと共に目指していた夢のひとつだった「分身ロボットカフェ」のコンセプトだ。 寝たきりの仲間

          本気を出すと疲れるが、疲れずに生きのびるくらいなら本気を出し切って燃え尽きたい。

          閉店してから「行きたかった」、亡くなってから「会いたかった」という後悔の苦み

          最近、友人や知人の中に店を畳む事になった人が何人かいる。 その一人から聞かされた、「閉店しました。これまでありがとうございました。」とSNSにあげたところ、一度も来てくれなかった人達から「えー行きたかったのに!」とコメントがあり、「あんなに来てほしいと言ってたのに・・・」と感情の叫びの書き込みをぐっと我慢したという話。 私も期間限定イベントを企画したり手伝う事があるが、何か月もかけて本気で準備して全力で宣伝してみんな来てくれー!と呼びかけていたのに、全てが終わってから言われ

          閉店してから「行きたかった」、亡くなってから「会いたかった」という後悔の苦み

          今は亡き寝たきりの親友と語り合い、実現させてきた現実と目指し続ける未来

          私には番田雄太という寝たきりの親友がいた。 人生で最も影響を受けた3人を挙げろと言われれば彼は入るだろうし、最も影響を与えた3人を挙げろと言われれば彼が入るだろう。 4歳の時に交通事故による頸髄損傷となり、首から下を動かす事ができず学校にもほとんど通う事ができなかった番田が、2013年の冬に顎を使ってPCを操作し、OriHimeの研究をしている私に1通のメッセージを送ってきたのが出会いだった。 この文章を全て顎を使って入力していた事を当時の私は信じられなかったが、それまで

          今は亡き寝たきりの親友と語り合い、実現させてきた現実と目指し続ける未来

          ALSと出会って7年。ALS患者の皆とつくり上げてきた可能性のバトン

          今や「ALS」という病気は多くの人が知るほど有名になった。 アイスバケツチャレンジも話題になったし、ドラマにもなったし、有名漫画でも取り上げられ、世界初のALSの寝たきりの国会議員も登場した。 だが、未だ原因もはっきりしていない不治の難病であり続けている。 解っている事は、呼吸器を装着しなければ診断を受けてから個人差はあるものの2年~5年ほどで呼吸ができなくなり死亡してしまう事、感覚や思考には何の影響もないまま身体の動きが眼球などの一部を除いてほぼ動かなくなってしまう事、年

          ALSと出会って7年。ALS患者の皆とつくり上げてきた可能性のバトン

          「最近の若者はマッチの擦り方もわからん」と若者を嘆く先輩方は、木を擦って火をつける方法がわかんし、SNSやVRがわからんのだ。世代の違いを嘆くべからず。みんな常識知らずであることを認識し、謙虚にあらゆる世代間で教え助け合うのがダイバーシティだ。

          男女平等はよく聞くけど、老若平等とは聞かない。 なぜだろう 外国で、海外に不慣れな日本人が日本人同士で固まるように、 どうも世代においても、同じ世代の方が価値観や話題、趣味、笑いのセンスなどが近く仲良くなりやすく固まる傾向がある。 年上を敬い、敬語を使ってきた人が年下からタメ口をきかれるのは腹立たしいかもしれない。あるいは年下とどう接すればいいかわからないかもしれない。 だが、外出ができなくなった老後、同年代あるいは年上しか友達がいないという状況は大変だ。自分が動けなくな

          「最近の若者はマッチの擦り方もわからん」と若者を嘆く先輩方は、木を擦って火をつける方法がわかんし、SNSやVRがわからんのだ。世代の違いを嘆くべからず。みんな常識知らずであることを認識し、謙虚にあらゆる世代間で教え助け合うのがダイバーシティだ。

          テレワークにより失われがちな用事のないコミュニケーションの方が人として本質で、非合理的な冒険こそ人生を前向きにしてくれる話

          いま世界的にテレワークが増えているしこの状態はしばらく続くと思うけど、テレワークの真の課題は仕事ができるかではなく、出会いと仲間意識、承認が生身の時と同じように得られるかどうかだ。 同僚が隣にいて、話に頷いて貰える事、微笑んでくれたり視線を送ってくれる僅かなリアクションがどれだけ重要な事か。一見無駄な身体性、雑談のコスパの良さを、そろそろ多くの人が解り始める頃だ。 偶然の出会いや、働く中で人に喜ばれている”実感”をリモートの中でどう実装するか。いまは亡き寝たきりの研究仲間

          テレワークにより失われがちな用事のないコミュニケーションの方が人として本質で、非合理的な冒険こそ人生を前向きにしてくれる話

          車椅子が戦車に。車椅子の友人達と全力でサバゲーを楽しむ方法を研究してきたので報告する。

          オリィです。 今月は開発している視線入力で立ち上がって走り回る車椅子がバズったり、 車椅子スケートに行ったり、 5年以上前からやってる、車椅子アプリ「WheeLog!」を使った車椅子体験イベント「WheeLog!街歩き」を横浜で主催したり 単純に車椅子に乗ったり改造したりするのが趣味なのと、仕事柄、車椅子の友人達が多いのでオフの日になっても日常的に車椅子乗りの仲間と遊ぶ事が多い私だが、そんな友人達とやってる遊びの中でも特に楽しい「車椅子サバゲー」が、ゲームとして非常に面

          車椅子が戦車に。車椅子の友人達と全力でサバゲーを楽しむ方法を研究してきたので報告する。