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【自己紹介】はじめましてオリイです。脱毛症発症から現在まで。

脱毛症でウィッグ生活4年目のオリイです。今日はあらためて自己紹介を書こうと思いました。

脱毛症の発症から現在まで


26歳のときに発症

原因はハードワークと、もしかして当時飲んでいたピルも影響があったかもしれません(なぜなら私はホルモンバランスの変化に弱いようなので)。
直接的なトリガーになったのは、おそらくキャパオーバーな仕事を抱えたこと。1ヶ月間、連日深夜まで仕事をして、納期直前の3日間は食べる時間も惜しんで徹夜で働いて……ってそりゃあ体、壊しますよね。その仕事を納品したのが夏の初め。で、秋ごろに円形脱毛症を発症しました。
当時は手のひらサイズほどまで広がりましたが、おそらく半年ほどで治ったかなと思います。

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20代後半はちょっとした脱毛部ができたり治ったり

最初の「手のひらサイズ」の波がおさまってからは、1円玉〜10円玉サイズの脱毛部が出来たり治ったりを地味に繰り返していました。数も常に2、3個あったような。部位はたいてい、襟足、頭頂、こめかみ、あたりでした。
帽子は必要じゃなく、髪の毛の分け目で隠せる程度だったので「不便だな〜」とは思いつつもそこまで悩むほどではなく。一般的なヘアサロンでカットできるだけ、マシ。と思っていました。(カラーやパーマ、前髪のないボブなどは難しくて、でも仕方ないと諦めていた。こうして「小さな諦め」が上手になっていった)

30歳を過ぎて、悪化。初めてウィッグをかぶる

悪化の経緯はあらためて書きますが、私はもともとアトピーで、ある治療法を断念したことがきっかけとなったのか? 髪が一気に抜け始めました。当時は帽子をかぶれない仕事場にも出入りしていたので、その職場を辞めようと決めました。
今から考えれば、職場の人に相談して帽子をかぶらせてもらうなど、対策を練れたかもしれません。でも「髪の毛が抜けるから」とは言えなかった。恥ずかしくて。世間的な多分これは「ハゲ」を笑う風潮から来ているんだとは思います。見た目に出る病気って、内臓疾患とはまた異なる種類の辛さがあるのです。

辞めて数ヶ月すると、もはや帽子でも隠せないほど髪の毛の量は減っていました。そして、ついにウィッグをかぶることに決めたのです。
金額は20万円弱の人毛ウィッグ。ヘアスタイルは、明るめの茶色のセミロング。今はもう少し安く人毛ウィッグを買えるけど、当時はこれでも安い方でした。

32歳ごろに9割生えそろう

一番ひどい時で、頭髪の3分の2が抜けました。でも、眉毛やまつげは抜けることなく、人毛ウィッグを被ればバレることはなかった……おそらく。今書いていて気づきましたが「バレた」という言葉遣い自体が、とても後ろ向きな空気をまとっていますよね。このあたりの心情はもっと見つめたい部分です。

せっかくのこった3分の2の髪の毛は、名残惜しいですがすべて剃りました。鏡に映る落武者のような姿も、日々、さらに抜け続ける髪も、容赦なくメンタルを削る。坊主にしたときはむしろ清々しい気持ちになったことを覚えています。
このときの治療は、脱毛症治療が得意という鍼灸院に通いました。それが効いたのか、1年ほど経って、脱ウィッグ。襟足やこめかみに少々の脱毛部は残りましたが、ほぼ生え揃いました。

1年ぶりにウィッグを外し、自分の髪で、頭皮で風を受けてあるいた日のこと、その感慨深さは今も忘れません。1月のとても寒い日でした。

36歳で出産し、汎発性脱毛症に。全身の毛が抜ける。

20代後半の頃と同様、10円〜500円玉サイズの脱毛部位がちらほら、できたり治ったり。

状況が変化したのは35歳での妊娠。まもなく、頭頂あたりがまた手のひらサイズまで抜け落ち、常に帽子がないと外出できない状態になりました。妊娠後期までじわじわと悪化し、出産。そこからちょこちょこ生えてきて「ああ、また生えてきたな」と安心したのも束の間、産後6ヶ月ほどたって、ものすごいスピードで抜け始めたのです。

これまでに経験したことのない量とスピードでした。お風呂に入れば、排水溝に黒い塊が渦巻く。よくある「産後の抜け毛」なんて言葉では片付けられない。この抜け方は、明らかにおかしい。すぐにまた、坊主にしましたが、あっという間に頭髪はすべて抜け、まつ毛も、眉毛も全身の毛が瞬く間にすべて、1本残らず、なくなりました。

汎発性脱毛症になったのです。

その後。現在進行形でウィッグ生活、4年目

すべて抜け落ちたときは絶望的な気持ちになりましたが、乳児を抱えていますから、子育ては待ってくれません。落ち込んでいようと、授乳やらおむつ替えやら、目の前のお世話を放ってはおけない。

お世話に種類は変化しつつ、今、子どもは4歳。仕事も育休1年で復帰して、子育てと仕事の両立で余裕はなく、ここまでやってきました。落ち込む余裕がなかった。それが良かった面もあれば、一方で良くなかった面もあるなと思います。

4年間、治療をいくつか行いつつ、抜けたり生えたり波がありました。ただ、生えたといっても、ウィッグを外せるほどまでは至らなくて。2023年12月現在、頭髪は6割程度、まつげとまゆげはほぼ生えています。

波はあるけど、治療は続けています。自分を磨くことも。それらを前向きに取り組めるようになった経緯は、いくつかあるけど、また改めて! いろんな切り口から、少しづつ記事にしていけたらな、と思っています。

どうぞよろしくお願いします!

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