万物は波動である Lv.1
「万物は波動である」というテーマで文章を書いてほしい、と、奇特な友人から依頼を受けた。
「奇特」には、「言動や心が特にすぐれているさま」という意味と、「非常に珍しく、不思議なさま」という意味があるらしいが、今回は後者である。
この友人は実に奇特で、どのくらい奇特かというと、「万物は波動である」というテーマでの文章を依頼してくるくらい奇特である。
しかも、難しいテーマだから3年くらいのスパンで書けばいいと言う。
3年クラスのスパンで書く文章ってなんだろう。
一般的な博士論文より長い。
どんな超大作を求めているのか、考えただけで恐ろしい。
奇特な友人の話はこれくらいにして、ひとまず、何の知識もない今の段階で、「万物は波動である」について考えてみることにした。
ということでの、「万物は波動である Lv.1」である。
「Lv.」は「レベル」と読む(ドラクエをやっていたから非常に馴染みのある書き方なのだが、そうでない人にはどう映るんだろうか)
思考と学びを重ねて、少しずつレベルを上げていこうという魂胆だ。
こんなことを繰り返していけば、もしかしたら3年後には日本の第一人者になって波動拳くらい撃てるようになっているかもしれない。
さて。
まず波動というのは何か。
波である。波の動き。
余談だが、今「なみ」と打ち込んでスペースキーを叩くと「並」と出てきた。
たしかに、僕はきっと「波」という字よりも「並」のほうをよく使う。
というよりも「波」の字をよく使う人ってそんなにいるだろうか。きっと漁師かサーファーくらいだろう。
さらに余談を続けると「りょうしかさーふぁー」と打ったところ、「量子化サーファー」と変換された。
波動のことを書こうとしているときに「量子化」を引っ張ってくるとはなかなかに気の利いたPCだが、僕がこの記事で「量子化」のキーワードを出せるのは、きっと「万物は波動である Lv.86」くらいの頃だと思うのでスルーさせていただく。
Lv.1だからこんな内容でいいだろうと思いつつも、今までにここに書いてきた文章から(同時に、おそらくnoteというプラットフォームからも)あまりにも空気感がかけ離れていて不安になる。
こういうのをきっと「波に乗っていない」と言うのだろう。
ただ、思い浮かんだことを書き込んで、書き込む中でまた思い浮かんだことを書いていくこの記事の書き方は、まさに「波に身を任せている」と言える気もする。
どうやら、波にも大小があるようだ。
大小というよりは、次元の高低か。
こんないい加減に書いていてもこれくらいの結論が導き出せるんだから、波というのももしかしたら大したことないかもしれないぞ。
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