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春のそわそわ 2019

薄手のシャツを羽織り、外に出ると、柔らかな日差しと少しひんやりした風が優しく僕の顔を撫でる。
日の高いうちに、新緑香る公園を散歩したら、それはそれは気持ちのいいことだろう。
そんなことを考えながら、いつものように車に乗り込む。

春というのは、実に不思議な季節である。
寒い冬が終わり、次第に暖かくなってくる。
身にまとう服に比例するように、心も軽くなるような気持ちになる。
軽くなった心は、穏やかさとともに、どこかふわふわした毎日を演出する。

「もう暖かいね」と、人々を油断させる日々の合間に、時おり訪れる寒さ。
外に出た途端、激しく襲いかかる強風。

新しい場所。

別れ。
出会い。

変化の季節は、やはり落ち着かない。

良いことも悪いことも、
希望も不安も、
喜びと悲しみも、
安らぎと怒りも、
あらゆる感情が渦巻いて、
その一つひとつを意識させる季節。

昨年、このノートの記事で、そんなそわそわする時期を「そわそわ期」と名づけた(まんまである)。

春には、いろんなことがある。
統計的には、別にそんなことはないかもしれないし、
どんな時期にも「いろいろあるなぁ」と思うことはあるだろう。
けれど、やっぱりそんな気がする。

穏やかに、平和に過ごしたい。
誰もがそれを願っていても、ほんのひと時、そこから片足だけを踏み出したくなる時があるのだろう。
それが春なのかもしれないし、その思いが実現するのが春なのかもしれない。
あるいは、ほかの季節に踏み出した足が、いつしか引き戻せなくなっていることに気づくのが、春なのかもしれない。

いずれにしても、春は変化の季節だと、根拠なく思う。
でも、行動を起こす季節というのとは、また違う。
たとえば前の年の夏や秋、冬のうちに起こした行動が、
変化という形で表れるのが、きっと春。

自由なように見えて、
もう事が動き出してしまっているから、
流れに身を任せるしかなかったりする。
だから、そわそわする。

ようやくまた、自分で行き先を決められるようになる頃。
僕たちの住む街には、蝉の声が響き始める。

きっと、行き場のないそわそわは、その頃には形を変えているはず。
過ぎ去るのを待たれる季節といえば、きっと圧倒的に冬だっただろう。
でも今年は、新しい気持ちの準備をしながら、過ぎ去るのを待つという感覚で、残りの春を送ってみるのはどうだろうか。

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