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言葉を自分のものにする

しゃべったり、ものを書いたりしている中で、ふとした瞬間に「あ、この言葉、初めて自分で使ったな」ということがある。

それを意識するのは、ちょっと意味が掴みにくい語や、最近見かけるようになったカタカナ語など、ひと目では概念を理解できないような言葉である。

そういう言葉は最初、辞書的な意味はわかっていても、どうにも使いこなせないというか、腹落ちしていない感じがする。
文章のなかに出てきてもそこで少し止まったりして、なんとなく「引っかかる言葉」となってしまう。

その言葉は、必ずしも難しい言葉というわけでもない。
例えば、ここ数年「タスク」という言葉を見かけるようになった。
「仕事」とか「業務」みたいな意味で、別に難しい言葉ではないはずだ。

ただ厄介なのは、単純に「仕事」と言い換えられないところである。
というよりは、そのまんま言い換えられるとしたら、新しい言葉としての意義がない。

仕事は仕事でも、「やるべきこと」とか「仕事を小分けにしたその一つひとつ」みたいなニュアンスがそこに入ってくることで、「タスク」という言葉が使われる意義が生まれる。

でも、それはあまり明文化されない部分であって(されたとしても、それだけではわかりにくい)、自分の肌感覚で理解していくものである。

実際に、新しい言葉でも、繰り返し見たり聞いたりしているうちに、だんだんとその使い方とかニュアンスが掴めてくるのだろう。
あるとき、すとん、と腹に落ちてくる。

そうすると冒頭に書いたような「初めて使ったな」ということが起こるのだ。

以降はその言葉で引っかかることはなくなって、新しいニュアンスを持ち、新しい概念を規定する、むしろ非常に便利な言葉として使うことができる。

僕はこれを「言葉が自分のものになった」と勝手に表現している。

そして、それをきっと、「ボキャブラリーが増えた」と言うのだろう。

たくさんの文章、それも色々なジャンルの文章に触れるひとつの意義は、ここにあると僕は考えている。

ビジネス系のネットニュースでよく見かける言葉でも、ファッション誌ではめったに出てこないし、小説でよく見かける言葉でも、論文ではめったに出てこないからだ。

あらゆるコミュニケーションに、表現力は欠かせない。
効率的かつ的確に物事を表現するには、ボキャブラリーは欠かせない。

だから、(ノンバーバルな側面を除いて)本当にコミュニケーション力を鍛えようと思ったら、書き言葉・話し言葉問わず、ある程度いろいろな文章に触れておくことが大切である。


なんだか教訓じみた結論になってしまったが、もともとこの文章を書き始めたのは「言葉の意味が腹落ちすると、ちょっと気分いいよね」ということを書きたかったからだった。

そのくらいゆるい事を書いていないと、嫌になる。
だからちゃんと言わせてもらう。

言葉の意味が腹落ちすると、ちょっと気分いいよね。

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