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気づいたらおばあさんと並んで歩いてる

東京で一番長く住んだ街がある。
住み始めた頃から、家の向かいに住むおばあさんとよく顔を合わせるようになった。
朝会えたら「おはよう」と言ってくれて、
夕方会えたら「おかえり」と言ってくれる。

一人暮らしの私には、それがとてつもなく嬉しくて、いつも心から沁みていた。

ある朝そのおばあさんに会った時に、どちらからともなくそのまましばらく並んで歩いたことがあった。するとおばあさんが
「時間、大丈夫?私歩くの遅いから急いでたら気にせず先に行っていいからね」
と気を使って言ってくれたけど、急ぐよりも一緒に歩きたいと私は思った。遅刻しない程度にね。

「この家は昔こうだった」とか、「私も昔はこうで」とか、住んでる街の私の知らない周辺のことをおばあさんは教えてくれた。
二人横に並んで歩きながら、いつもの挨拶以上の会話を初めてした。
私は二世帯住宅で生まれ育って祖父母がいつも近くにいたからか、こういう時間が妙に落ち着いたりする。

でも、気づいたらおばあさんと出会わなくなった。
「まぁたまたまそういうこともあるか」と思ったけど、あまりに会わなさすぎるから、「引っ越したのかなぁ」と思った。私の家の前によく止まっていた施設の送迎バスも来なくなった。

そのバスがそのおばあさんを迎えに来ていたのかはわからないけど、「施設に入ったのかなぁ」とか勝手に想像しながらも、顔を合わすことがなくなった事実を受け入れるしかなかった。温かくかけてくれた挨拶もなくなったから、朝も夕方もなんとなくいつも寂しい気持ちになった。

それから数年経ってもあの家の前のおばあさんは記憶に残っているし、一緒に歩いた道は毎日通る道だったから、余計にね。

そんなある日、その街の別のおばあさんが私に話しかけてきた。話を聞いていたら気づくと並んで歩いていた。
自衛隊病院で働いていたことがあり、今は80歳で
「次男坊と一緒に住んで、隣に長男夫婦と孫たちが住んでいるのよ」と話してくれた。
「毎朝、孫が『来たよ』って来てくれてね。幸せだよほんと」
「素敵!」と思わず言ったら
「素敵じゃないよ」
っておばあさんは照れながら私の腕を触ってきて、その満面の笑みがとってもかわいかった。

台湾生まれで戦後家族4人で東京に来る時に、一隻前の船が地雷で沈没したらしい。
「だから遠回りしてすごく時間かかったんだよ」
って教えてくれた。

それは物理的な遠回りの話だけど、どれだけ時間がかかったとしても、いろんな苦労があったとしても「幸せだよほんと」って言える人生は素敵だと心から思った。

私はおばあさんたちが話しかけてくれるおかげで、自分にも置き換えたりしていろんな人生の豊かさを教えてもらっている気がする。

しかもこういう時間があったから、あの街に長く住めたんだろうなぁと思う。新しい街でもやっぱりおばあさんと話すようになっている。池にいる亀と鴨についてや、街の歴史をたくさん教えてくれた。

生まれ育った人から聞くその土地の話は、今想像できないことばかりだから面白いし、何より話しているおばあさんが、みんなイキイキしててかわいいんだよね。
それだけで私は元気をもらえるんだよなぁ。

それにしても、私はなんでそんなにおばあさんに話しかけられるんだろう。

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