「書店万引き」という「窃盗」

「古本屋がカバーだけを窃盗された」という記事を読んだ。
幸いにして犯人は捕まったようだが、カバーだけの価値が警察には分からないので、窃盗と認定して貰うのに苦労したというニュースである。

私は「万引き」という言葉を廃するべきだと常々考えている。
実態としては「窃盗」なのに、あたかも罪の軽いように思われるのは、様々な問題がある。

例えば、書店での「窃盗」について考えてみたい。

1、「書店窃盗」の一次的な損害

一般的に書籍を販売することで書店の得ることのできる”取り分”は、定価の20%であるとされる。
20%の粗利益率の商品を主力として販売業を営むことの苦しさは、想像に難くないが、それでも営業を続けてくれている書店には感謝しかない。

さて、ここで定価600円(税込み648円)のマンガが「窃盗」の被害に遭ったとする。
書店の被害額は600円。この損害を挽回するためには、同じ600円の本ならば5冊売らねばならない。

時には600円のマンガをシリーズ10冊6000円分「窃盗」する者もいる。
そうなると、挽回のためには50冊の本を売らねばならなくなってしまう。
50冊分の利益が飛ぶと言うことは、50冊売ってもただ働きだ、ということ。

これだけの被害をもたらしておきながら「窃盗」を「万引き」と言い換えるのは、やはりおかしいと思う。

2、二次的な損害

「窃盗」を現行犯で捕まえた場合、警察へ通報することになる。
ここで書店員は事情の聴取を受けることになるが、これもまた、書店への、大きな負担となる。

多くの書店では今や労働時間が完全に払底している。
入荷商品の陳列、レジ、発注、売場メンテナンス、返本ピックアップ、返本梱包、客注の管理、その他諸々の作業は、定時までに終えることが難しい。

そこに「窃盗への対処」が加わる。
利益の発生しない業務で、従業員、それも「警察に説明出来る従業員」が束縛され、労働出来なくなるということの被害は、書籍が「窃盗」されたことに加えて、更に大きな害を書店に与えることになる。

また、現行犯では発覚しない場合も同様だ。
大規模な「窃盗」があった場合、同様の被害がないか、売場全体をチェックし、監視カメラを再確認する業務が発生する。
ここからは、1円の利益も発生しない。
それはつまり、書店への損害なのである。

3、「万引き」の呼称を止め「窃盗」と呼ぼう

書店員も人間であり「人を見たら泥棒と思え」の精神で働きたい人は一人もいない。
しかし、現状での書店の置かれている環境は、1冊の「窃盗」から書店営業全体が瓦解しかねないほどに、危機的な状況にある。

旧い書店が店を仕舞うときに感じる寂寥感は、とても大きい。
それと同時に、この街に新しい書店はもうできないかもしれないという恐怖もまた、心の小さくない領域を占領してしまう。

先ず「万引き」の呼称を止めようと私は言いたい。
書店の営業を傾かせ、遂には生業の継続を断念させる最後の一押しになるような犯罪を、軽微に思わせるような言葉は使うべきではない。
「窃盗」は「窃盗」だ。

書店のみならず「窃盗」の害が減り、それによって店を閉める書店が一店舗もなくなることを、願うのみである。


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