転勤は悪なのか

この記事が流れてきたもので一読し、転勤という制度がある会社に勤めているものとして考えのまとめ。最近弊社でも話題にことかきませんからね。

個人的には転勤についてはアクティブ派です。
自分自身の居住地の変遷でいうと、広島→東京→狭山→札幌→調布→世田谷、という流れで、今見返せば地方は札幌のみで、その転勤もしてよかったと思っている。

最後の元大学で就職部長を勤めた人の分析が強烈。
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「その会社の仕事が好きだとか、仕事に成果を求める学生が少なくなりました。残業はしない上に、楽をしても給与がもらえるという働き方改革が学生をダメにしているんです。転勤を敬遠するのは、社会の中で自分を試そうとせず、スタートからリスクを避ける学生が増えたということです」
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働き方改革=楽をしても給与がもらえる、という結論はひどいだろと思うし
スタートからリスクを避ける学生が増えた、というのも本当にそうなの??と思った。

この問題を「キャリア及びライフプランの問題」と切り離して考えてしまうから、「転勤=リスク」とかいう図式になってしまうのではないか。

強制的な転勤は悪であるが、そもそも、その会社の転勤を含めたキャリアプランが魅力的に映るかどうかなのでは?

「誰も知り合いのいない場所で働くこと自体が良い経験」であることは事実だが、ただただ「地方にも拠点があり、人員が必要だから」という理由だけで人員配置をコロコロ変えられる時代ではなく、
なんのために転勤をして、その後のキャリアになにがあるのか?を重要視していかないと駄目な時代で、
特に弊社はそうですが、地方の拠点の営業はより厳しくなり、地方の拠点が減っていく結果(それはつまり、今までのやり方では会社自体が危機を迎えるということ)、「地方での仕事」に対する考え方を変えていかざるをえなくなる。

2〜3年で皆が転勤を繰り返すことは、人脈も一度リセットされてしまうわけで、まさに賽の河原のようなことが往々にして起きてしまい、2〜3年の短スパンを想定した企画だけが立ち上がっては消え、立ち上がっては消える。なんともったいないことか。

東京のコピーを再現していた頃とは違い、現在は、よりその地方らしさを尖らせていくべき時代なのに、「人材をかき混ぜて」平均化させてしまう「転勤」という方法はそれに沿ってはいない。

なので

・完全なる希望制
・地元人材の積極的な採用

をしていくしかない。

まあ自分みたいに特にモチベーションもなく転勤をして、その結果良い経験につながる人間も一定数はいるとは思うが
希望制をとって地方に行く人間がいなくなることと並行して、地元人材も枯渇していく、その2つの減少が臨界点に達するタイミングはそれほど遠くない未来なのかもしれない。



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