【母と私の備忘録】抗がん剤を終えて3ヶ月01

抗がん剤の期間から、朝の時間にほぼ毎日母と電話をするようになった。

目的は
・母の不安や不満のガス抜き
・経過を聞きながら、自分で観測する癖をつけてもらうため
・次の抗がん剤や、主治医と問診の時に補足できるように

だけど、一番の理由は
「私に最も近い遺伝子が生命を終える方向になった時に
どんなことが起きて、どんなマインドになりやすいか」
母にも伝えてあるが、彼女のために使っていると彼女が恐縮するたび、「全然自分のためだよー気にしないで」と話て、この理由を伝えている。何をすることも無駄にはならず、すべて私自身のためになる。生きてるだけで人(特に娘)の為になってるってすごいことですよ。母上殿。


最初の頃は、母の一喜一憂につられたり、しんどくてやめたい問題に喧嘩しながら話をすることもあったが、今はお互いに穏やかに話すことができるようになった。大笑いしながら電話をきって母が穏やかに過ごせていること、彼女が日々の生活が自分でこなせている事に心から喜びの言葉を発するたび、私も元気をもらう。長生きもやなことばかりではなく、長く生きると心をどのような方向に昇華していくとより美しく生きれるかなんてことも学ぶ機会となっている。「何事も、慣れることで、次の気づきが生まれる余裕ができる」ようにできているようだ。

人は誰も、赤子で生まれ、成長して成人となり、緩やかに衰える。
この流れの中で、赤子と老人の家庭内のポジションは似ている。
「生きてるだけでありがたい」存在となる。
子供を産んだ当初は、この存在の他に「手のかかりよう・気にかける時間」も同様であると思っていた。そして、赤子は成長という先があるだが、衰えるほうは手をかけても閉じていく方向になる。時間を注ぐことに並走する人間は精神がやられないか?についても気になっていた。

年齢を経て、子供が成人し、自分の事を考える時間がもてる今、私自身も折り返したら「しっかり死ぬ方向のお年頃」となった。自身の老いというものがより身近になってきた。
いろんなことでジタバタはしたものの、結果「死ぬ」ってすごく大事なサイクルのひとつであると思うようになり、「死ぬまで自分のカラダを使い切って上手に旅立ちたい。なんなら『あ、俺そろそろ死ぬな』なんて空気も感じてゆるやかに準備できるようになりたい」という目標ができ、「並走者、精神やられそう問題」はあっさり解決。それは闘病中の父に、私がかけたことば「誰も死んだことないからわからない。わからないから一緒に考えよ」にも大きく反映された。こうして肩の力が抜けて今じゃすっかり「精神やられそうにない」に着地した。

後父の他界、母自立心目覚める、母のがん治療始まる。の流れで、親と並走することで、より死ぬについて考える機会が増えた。人生をゆるやかに終える方向の私に一番近い存在が「ただ生きている」を今、謳歌して喜んだり、悲しんだり、笑ったり、泣いたりする様がとても可愛いとも思う。
今まさに母は私にとってゆるやかにほんわかと「生きてるだけでありがたい存在」になった。まあよく喧嘩はしてます。にんげんだもの👩‍❤️


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