【聞きかじり@カラダの事】その1ことのはじまり:筆者のスナフキンな健康の旅路

「しぬまでいきるから大丈夫」これは筆者が30代の頃、余命いくばくもない友人が、かける言葉もない状態の私をみかねて、笑って私に発してくれた言葉。シンプルでとっても大事な言葉だと今でも思っています。

そして、亡くなる2年前まで入院も大病もせず健康だった父。彼が87歳で他界するまでの2年間、闘病に付き合い(本当につきあっただけ)。その後、母も癌を煩いましたが、おかげさまで現在は、日常を一人で過ごせるほどに回復。二人の年老いた親の生き様(死に様)を見るにつけ「死ぬの大変だこりゃ」(※両親目の前にして言いました:当社実績)と思い。若くてこの世を去った友人に「死ぬまで生きるは当たり前だけどかなりハードル高いよ」と思わずつぶやいてしまいました。

50才を超え、おかげさまで筆者はとても元気です。両親からもらった、アホみたいに元気なこのカラダを、最後のひと呼吸まで
、できるだけ良好にカラダと繋がって
生きるため。めんどくさがり屋の筆者が試す
、カラダや心に良いことのあれこれをこれから綴って行きたいと思います。


<お仕事から始まったカラダのこと、そして女性とカラダのこと>
美容や健食などのPR制作物に関わりつつ、40〜60代以上の女性たちと多く関わってきました。マーケティングする上でペルソナとしていたのは自分です。

・良いとわかってもやらない
・知識を得ても試さない
・なんなら試して良さがわかっても続かない
・そのワリには、もっと何かいいものないかというアンテナは貼る
・一度良さを知ってもすぐ忘れて続かない。
・続けようと奮起はするが、言い訳のほうが優秀。
・勝手にアレンジする
(※あらためて申し上げますが、上記はまんま筆者のことです)

もうすぐ40代になろいうかというところで、仕事で文字通り忙殺され、先に気力が低下していくことは実感しました。30代は元気で徹夜しても平気でしたが、40代はそんなふうにはいかないよーと、年齢の近いちょっとパイセンの女史たちからも言われていた矢先にそれは突然訪れました。「やばいこのまま大病したら、チキンな私は一発でココロとカラダをやられる!」そんな漠然とした危機感で、たまたま出会った女性に「均整」という整体が近所にあることをきき、ここからいろんなカラダの旅が始まりました。


<はじめての腰痛を旅先の京都ではんなりと諭され、そこから最終的にインドでアーユルヴェーダ「パンチャカルマ」を体験する旅に>

40代後半。出張直前に大きなソファーをどかし、一人でカーペットを入れ替えたところ、翌日から少し腰に鈍い痛みを感じました。腰痛やぎっくり腰の体験がない筆者は、安易にその痛みを「筋肉痛」と思っていました。ところが出張先の京都に到着する頃には、腰には明らかに違和感と痛みが。乗り合わせたタクシーの運転手さんに状況を話してみると「お客さん、ソレ筋肉痛とちゃいますよ。腰痛か、ぎっくりごしちゃいますか?」と促され、移動途中でドラッグストアに立ち寄ってもらい、腰のサポーターを買うことに。その夜、ベッドで横になるという動作はどうするのだっけ?と自分のカラダに尋ねないと動かせないほど痛みがでてしまい。これが腰痛というものかと身を持って知りました。少し軽くなってはいましたが、自宅に戻って、たまたまランチの約束をしていたお友達から、トレーナーさんを紹介してもらって治療をすることに。
そのトレーナーさんは、さまざまなトレーニング方法を身につけていらっしゃり、健康ヲタクといっていいほどの研究熱心な方でした。ピラティスやジャイロのトレーナーライセンスもお持ちで、いろいろなアプローチをしながら、カラダをリリースしてほぐしてくださり、私に合わせた自分でトレーニングができる方法も教えて持ちかえらせてくださる方でした。

当時、そのトレーナーさんを紹介してくれた女性は、年齢を感じさせない元気な方でこれまた健康ヲタク、さらに自分が体感して良いと思えるものはものすごく深堀りするタイプの方でした、その中でもアーユルヴェーダは現地のインドやスリランカでコーディネートができるほど詳しい。そんな彼女も50代の時、原因不明の体調不良に襲われて、医者にいっても抜本的な改善がみられず、やっとカラダに良いと知る体験ができたのがアーユルヴェーダだったそうです。私も50代直前だったため「こりゃ"おはち"が回ってきた」と思うに至り、毎年彼女が行っているツアーに参加することに。1年目は9日ほど、2年目は2週間ほどの滞在で、本来なら初心者がその日程では受けられない「パンチャカルマ」を、彼女のツアーだからと現地のドクターが協力して行ってくれたのです。(「パンチャカルマ」は五業のデトックスという意味、このデトックスの体験は別の機会にご紹介したいと思います)

食事も全てカラダのために作られており、採れたて出来立て作りたてで出されます。その人の症状や特徴に合わせて調合されたハーブ由来の薬、午前と午後のトリートメントもその人にカスタマイズされ、ヨガのトレーナーは毎日検診してくれる常駐のドクターと、滞在時トリートメントを施してくれる専属のセラピスト。
カラダのためだけに1日を過ごすなんて体験も初めてでしたが、自分のカラダが変わっていくこと、起床と共に行う2時間のヨガは初日はハードでしたが、続けていくうちにカラダがどれだけしなやかに動くかなどカラダが動くことが楽しくて仕方がないほどになりました。


<帰国後に頭をもたげたのは、すげーいい体験をしたけど、日常に戻ったらあっという間に普通になるのよ。これどーしたらいいんだろうね問題>
帰ってきて、第一に考えたのが、自分のカラダの維持と日常生活に、取り入れた学びを少しだけでも続けていくことです。
しかーーーーーーーーーーーーーーし、んなのできるわけないっしょ!
というのが本音。
さりとてインドのドクターやトリートメントしてくれた女史を雇ってここにつれてきたところで(んなことはできませんが)同じものは再現できないわけで、、、、自分でできることから始めるしかないと、最初に始めたのがリトリートで行われていたアイアンガーヨガでした。このヨガ実はとても珍しいもので、日本にトレーナー資格を保有している方がめっちゃ少ない。ということで、たまたま探して沿線に見つかりましたが、やっぱり沿線。しっかり通うまでには至らず。何もかもが手探りとなりました。そんな中、探しながらも自分で決めたことは、

・自分でできるトレーニングで最適化し常に更新する
・そのためにもカラダと親和性を高める行為は率先する
・食物はヒステリックにならない程度に美味しいと思う基準で見直す
・食べ方も続けられる範疇で見直す
・そして続かなくても落ち込まない
・きっと全くならないと思うけど、ストイックにはならない
・やる事に満足するのではなくなんのためかを常に考える
(着たい洋服のため…など、日常レベルのゴール※日々変化してよし)
・身近な友達にお伝えできる程度の知識と伝授力を持つ。

ということで、カラダに何ができるかをさまざまな方面から体験と共に学ぶことにしました。なんでもいいと思うことは教えてもらうし、やってみたいと思うことは続く範囲で学びに行く。(でもトレーナーになりたいわけではないので、自分のカラダがみれてないのに人のカラダみれないでしょ)遠方の母などにちょこっとずつ教えられるようなところまで、自分のカラダでフィードバックを取りながら。良いと思えること少しづつ覚えていこうとおもいました。その中で大枠この2つが実体験として形づいてきました。

・昔のMacintoshよりもカラダには個体差がある
・だけど骨も筋肉もついてる内臓は大体同じなのでカラダの事を解いてることについては、基本軸は一緒のところがある


さらに学ぶにつれて、そのトレーニングや、カラダを使った習い事が自分と相性がいいか、その習い事のどの部分が核なのか、ということがわかってきました(わかった気になってるだけかも)。
そこで今後、カラダのために何かを始める時に、予備知識ではありますが知っておくといいかなーってことをまとめて行こうと思いました。

これは自分の備忘録であり、友人にお伝えするために書き溜めていくものでもあります。流派や背術法などを超えて、なんかした方がいい事、ココロとカラダの方面から、それぞれまとめていけたらいいなと思っています。

誤字脱字と思いが先走ると理解に苦しむ書き物になることが多々ありますが
ちょっとずつ書き直してまとめていくので、たまに思い出して立ち寄っていただければと思います。

だいぶかきかけですがちょっとそんな感じです。


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