「動物化するポストモダン オタクから見た日本社会」を読んだ2022年のオタク:前編

はじめに

最近やっと多少難解な本が読めるようになってきたので、読んだ本の中から特に自分に直接的なトピックかつ衝撃度の大きかった東浩紀著の「動物化するポストモダン オタクから見た日本社会」について自分の中のオタク像/自分自身を踏まえながら書いてみた。
自分の感覚で「オタク」という言葉は嫌に神聖化されていて、その構造を理解する上でこの著書は今まで読んだ本の中で一番と言ってよいほど納得感があった。
しかし、2001年に1刷が発行されており20年が経っているので自分なりに現在の"オタク観"のようなものを考えて自分の中でアップデートできたらよいな。とか思っている。(烏滸がましさあるけど書いてみたいのでかく)

第一章: オタクたちの擬似日本

自分の中のオタク像

自分が持つオタク像にははじめにで書いた通り、嫌に神聖化されたイメージがある。このイメージは自分が生活を通してなるべき人間像に直結していて自分にとっての正しさみたいなものに重ねられている。
これは作内でも指摘されている

オタクたちは作品のメッセージよりもむしろ「趣向」を読み解くことに重点を置き、そのセンスは江戸時代の「粋」と直結している

「物語消費論」20-24項 「オタク学入門」224項以下

という岡田斗司夫の主張にそのまま当てはまり、結構衝撃的だった。
確かに自分の中にあるオタク像はある具体的な性質を持つものではなく、自分が持つ正しさ=江戸時代においての「粋」の構造を持っている。
その正しさが形を持った姿がある特定の分野に敬意を持って接する姿や、他者や環境に流されない芯の強さとなって自分のオタク像を形成している。

「オタク」に憧れるということ

この自分の中のオタク像の構造から、自分をオタクとして認識することができることが一つの自己承認につながっているとさえ思っており「オタク」というものに憧れている。
このような現象は自分だけに起きているわけではないと思っており、アニメやゲームなどいわゆる"オタクっぽい"ものを好む人だけではなく様々なジャンルで自分自身を「オタク」と揶揄しながらも自分を「オタク」と認識させたり相手を「オタク」として認識させることに肯定的な人が明らかに多くなっているような気がしている。
これらは作内でも指摘されている90年代の特定の世代のオタクたちによる「オタクであること」を積極的に意識したことの延長線上にあるように感じた。
刊行当時は「オタク」に対して

人間本来のコミュニケーション能力が苦手で、自分の世界に閉じこもりやすい

「週刊読売」1989/9/10号 中森明夫の紹介より引用 「おたくの本」90項

のような否定的な見方が強く、先ほどの「オタクであること」を肯定的に見る見方は、一般的にはあまり知られていないと紹介されており2022年の現状と比較するとやはり「オタク」が肯定的な意味を含む文脈で使用されることは増えているように感じる。

オタクと権威

ここからは自分のオタク像を引っ張ってきて思ったことを書きたいと思う。
まずは自分のオタク像に「信念を突き通し、権威に反発する姿」がある。
これは関連性は定かではないが、著作指摘されている
「1988-1989年に宮崎 勤が起こした連続幼女誘拐殺人事件による権威とオタクの分断によって発生した反権威の空気が強いオタク」影響されている可能性もあるのかもしれないと著書を読んでいて思った。
(正直自分は90年代後半に生まれ、学生時代にも特に強くオタク文化に触れて来なかったのでこの分断にはピンとはこなかった。何がこれを感じさせなかったのかはわからないが、この分断を感じなかったということは著者の意図する両者を風通しよく批評できる体制は少しは自分の中ではできている気がする)

自分の中の排他的精神

自分のオタク的性質に感じる点としてさらに

反権威の空気が強いオタクたちには、オタク的な手法以外のものに対する不信感があり、アニメやゲームについてオタク以外のものが論じることそのものを歓迎しない

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 p11 8-10行

で指摘された点がある。自分の中ではここまで強い反発はないが、「推し」という言葉に代弁されるオタク像への違和感は感じている。つまり、「オタク的な手法以外のものに対する不信感」はないものの「オタク的な手法の濫用に対する不信感」は強く感じる場面があるということだ。この辺りは結構2022年特有の現象だと思って面白いなとか感じた。
これはおそらく自分のアイデンティティにもなっているオタク像と一般的にオタク像の乖離から生じる不信感であり、自分の信念を示す「オタク」という記号が一般的に使われるものと一致しているために起こる完全に個人的な問題であり、かなり理不尽な排他的精神でありどうにかしたいと思っている。どうにかします。

前編おわり


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