巻き込んで

「地域の様々な人たちを巻き込んで」と嬉しそうに言う人たち

NPOや市民活動、地域活動の世界でよく使われる、「地域の様々な人を巻き込んで…」というフレーズがあります。

「地域の様々な人たちを巻き込んで、お祭りを開催しました」
「地域の様々な人たちを巻き込んで、どんどんつながりが出来ました」

こんな風に、たいてい肯定的に使われます。

「地域の様々な人たちを巻き込んで」成功した例は、たくさんあります。僕自身、そういう動き方をしたこともあります。

ただ、僕はこのフレーズがあまり好きではありません。

「様々な人たちを巻き込んで」ということを肯定的にとらえているのは、「巻き込んだ側の人たち」ではないかと思うからです。

NPOは“善いこと”をしていると思う?

いくつかの大学で、講義のときにこう尋ねてみました。

「NPOって、どんなイメージ?」

学生の大多数は「良いことをしている」「いい人たちが集まっていそう」などと答えていました。NPOは、いい人たちがあつまって、社会のためにいいことをしている──。あなたはどう思いますか?
学生たちは、目の前で講義している僕がNPO法人の代表者なので、気をつかってくれたのかもしれません(笑)。

そのあたりを差し引いても、世間的には、「NPO=善いこと」と、認識されていると思います。

「いやいや、NPOなんて聞くと、かえって胡散臭いよ!」

という方もいるでしょう。

この前も「相棒」を観ていたら、悪徳NPOの理事長が、右京さんに捕まっていました。「なんか胡散臭い」という潜在的な思いがあることを前提に組まれたストーリーですね。ただ、こういう認識が成り立つのは、そもそも「NPO=善いこと」という認識が広まっているからこそ、ですよね。

NPOが陥る「独善」の闇

世の中から“善いこと”だと思われているというのは別にいいのです。でも、活動している当人たちが、「自分は善いことをしている」と単純に考えてしまっては、大問題です。

「善意でやっている」と「善いことをしている」は、別のこと。

前者は、自分の動機が善意だ、というだけのこと。後者は、その過程と結果が善だという客観的指標が必要です。だいたい、自分が善意でやっているからといって、それが何なのでしょう? そんなこと他人にはまったく関係ありません。

世の中のだれにとっても、“善い活動”などありません。また、それを目指さなくてもいいと思います。

東北の震災に、たくさんの支援が集まりました。その一方で、貧しい国への支援が減ってしまったかもしれません。

だから意味がない、ということではありません。意味があるのは、疑いようのないことです。でも、もしかしたら、その陰で苦しんでいる人がいるかもしれない。そういう俯瞰が、活動する人には求められる──自戒を込めて、僕はそう考えています。

「善いことなんだから応援されて当然」という勘違い

「自分の活動は善いことなんだ」と単純化してしまうと、「だから、応援してもらって当然」という短絡を招きます。

「善いことなのだから、行政から支援があって当然」というようなことを言うNPO・地域活動の人は、すごく多いです。

行政が団体支援を行うためにはお金がかかり、財源は税金です。そして、世の中には、困っている人、苦しんでいる人が大勢います。にもかかわらず「自分たちの活動には、支援のお金がまわってきて当然」と考えてしまう。

こういうの、気を付けたいなと、心から思います。

官僚や政治家が受け取るお金にはものすごく手厳しいのに、自分たちが受け取るお金は「善いことなんだから当然」だと無批判に考えるのは、客観性に欠けています。

活動への評価は時代と共に上下する

先ほどの「NPO? なんか胡散臭い」という反応が示すように、上がったものはやがて下がります。実際の活動は変わらなくても、周りの目というのは変化するものです。

長く同じ活動をした経験から、僕はそれを知っています。

子どもたちの居場所スペースをつくった1997年、取材の記者の方に、こんな風に言われました。

「不登校の子でもなくて、障害のある子でもないんですか? う〜ん、普通の子のために、居場所が必要な理由がわかりません」

時代が変わると、まったく同じ活動をしていても…

「なるほど。それは素晴らしい。ここに来られる子はしあわせですね!」

すごい変わりようでしょう?

でも、われわれがやっていることは同じなんです。他者からの評価など、その程度のものです。上がったり、下がったり。視野の狭い独善は自己批判されるべきですが、トレンドや社会的風潮に安易に合わせず、晴れの日も雨の日も、淡々と活動していくことも大切です。

そもそも「巻き込む」必要なんてある?

「様々な人たちを巻き込んで…」と言うとき。

かかわる人がどんどん増えると、わぁ〜っと盛り上がりますよね。感動することもあるでしょう。でも、感動や盛り上がりばかり追いかけていると、道を見失います。かかわる人が急に増えるというのは、「場」にとっては危機なのです。解像度が低くなり、粗くなり、いろいろなことがいい加減になりがちです。また、「意識の高揚感」というのは、なんとなくいろいろなことが「まぁいいか!」となりがちなので、「取り扱い注意」です。

大勢集まって盛り上がるのも楽しいですが、見るべきものは盛り上がりではなく、本質です。あなたがやろうとしていたことは、その盛り上がりのなかで、本当に達成されていますか?

「様々な人たちを巻き込んで…」と言うとき。

まず、相手にとっては、それがどんな意味を持つのか、考えてみましょう。そして、自分が相手を都合よく利用しようとしていないか、ちょっとだけ内省を。

いっしょにやりたい人には、「巻き込む」という一方的な形でなく、普通に話を持ちかけ、説明し、どんな協力をしてほしいのか、なにを一緒にやりたいのか、正直に伝えましょう。

そして、なにかの加減で周囲からの評価が変化しても、晴れの日も雨の日も風の日もどんなときでも、その場を必要とする人のために、胸をはり、やるべきことをやるのです。

\Question/
あなたは、なにかの活動に巻き込んだり、巻き込まれたりした経験がありますか? そのときどう感じましたか?

長田英史(おさだてるちか)|プロフィールNPO法人れんげ舎代表理事。「場づくりクラス」講師。まちだNPO法人連合会会長。
1972年、神奈川県茅ヶ崎市生まれ。和光大学経済学部経営学科卒業後、同大学人文学専攻科教育学専攻中退。教育学や心理学、運動論、身体論などを学ぶ。1990年、在学中にかかわった「子どもの居場所・あそび場づくり」の市民活動に学生ボランティアとして参加し、卒業後は就職せず、それを仕事にする。いわゆる中間支援組織ではなく、自らも現場で活動する「プレイヤー」として、「場づくり」の哲学とノウハウを共有し続けている。
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