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vol.62「なろう系の悲哀と気概」(『友達・棒になった男』安部公房/新潮文庫/1987年刊)

vol.62「なろう系の悲哀と気概」

みなさんこんにちは。
今週は邦文学です。

安部公房といえば、漫画『バーナード嬢曰く。』の遠藤くんが好きな作家です。

よって読みました。

この遠藤くんというキャラクターは、
太宰とかカミュが好きな、暗めの青年です。

あ、これは偏見を助長する物言いですね。

うそです。暗くはありません。
闇があります。

安部公房、『友達・棒になった男』。
では、どうぞ…。

本書は小説でなくて、戯曲です。

戯曲というと、シェイクスピアとか。
『人形の家』の…だれだっけな。

イプセンだ、ヘンリック・イプセンですね。

ああいった、演劇の台本のような形式です。

人物の名前が上に書いてあって、
その下にセリフがあります。

合間合間に、

役者がステージ上の、
どこに立たなきゃいけないか
役者の服装・小物はどうするか
しゃべり方は
「遅回しにしたテープのように!」

といった指示があります。

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戯曲というものを、
文字で読むのですから。

つまり情報は、
セリフでしか供給されません。

小説のように、
地の文の働きが大きくはないのです。

しかも、役者がステージから述べるわけですから、簡潔かつ明瞭で、インパクトがないといけません。

安部公房の筆力もあいまって、
思わず音読したくなるような文章です。

…よって音読しました。
楽しかったです。

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戯曲が三つ収録されておりまして。

『友達』
『棒になった男』
『榎本武揚』

の三篇です。

いっとう好きなのは『榎本武揚』で。
二番目は『棒になった男』です。

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『棒になった男』は、死神の話です。

死んだ人間は、

棒なり、ゴムホースなり

その人生を象徴する物品に変身します。

それを、

地獄の男
地獄の女

という二名の死神が、記録していく。

この二人は、
近頃死んだ人間が、
ほとんど〈棒〉に変わってしまうので、
すっかり飽きています。

辟易しています。

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〈棒〉になる人は、
どういった人生を送ったのか。

地獄の男が解説しています。

〈棒〉というのは、多様な使い方ができて、
しかも、多くの複雑な機械の構成物です。

とはいえ、それ単体では、「背中を掻く」くらいの使い方しかしてもらえない。

社会の歯車になりたくない

とか言うときの、「歯車」と似た比喩です。

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最終的に、元人間の〈棒〉は、
排水溝につっこまれて終わります。

単体では役に立たないので。

地獄の女は言います。

こんなの残酷すぎるわ

地獄の男は言います。

彼は彼なりに、
〈棒〉でいることに満足していたのさ

〈棒〉は言います。

満足だと…満足しているはずがあるか…

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とてもうっとりします…。
たいへんなじみ深いテーマの戯曲です。
それこそ、近代国家に普遍的な。

〈棒〉でしかない、しかも、
〈棒〉なるしかない人間の悲哀

それを戯曲にするという点に意義を感じます。

〈棒〉という、ある意味、情けない終わり方をした男をめぐって。

軽妙なセリフ回し
鮮烈なテーマ性

それに、お芝居ですから、
身体をともなった躍動感も添える。

醜い、劣った、卑しいものを、
美しく巧みに表現する。

そこに救いがあり、
そして「名誉」の所在が、
醜くも美しいものへ、移ります。

それは有意義なことです。

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ちかごろ「なろう系」という、
文学の流派が栄えています。

さえないプログラマとか。
陰気なゲーマーとか。
うだつの上がらない害虫処理員とか。

つまり現世で〈棒〉な人たちが、
異世界に行くことで「名誉」を得るやつ。

このムーブメントの火付け役は、たぶん『ソードアートオンライン』じゃないかと思います。

あれは、ゲームが遊びじゃなくなるおかげで、「ゲームが得意」という(かつては)不毛な特技が、命に関わる重要な技能になる物語ですけれど。

そこに「名誉」の移動があります。

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ただ、「名誉」の移し方には種類があります。

『棒になった男』は、
〈棒〉でいることに弁護はしません。

言い訳も、再評価もしない。

ただ悲しみに目を向けます。

戯曲の中心にすることで、
関心を向けるのです。

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いっぽう〈なろう系〉では。

〈棒〉であることが「良いこと」である。
そんな異世界を用意します。

で、何かしらの「理屈」がついて、
ゲーマーでもプログラマでも、
無双したりモテたりする理由が描かれます。

その場合、恋愛シーンも兼ねて、
たいていヒロインが説明しています。

主人公は〈棒〉でも、
ほんとはいかに「良い」人間か
ちゃんと知ってるよ

という言葉遣いが、たいへんポピュラーです。

『君の膵臓を食べたい』にも、
似た側面があるかもしれません。

主人公の良いところを、
ヒロインが「発掘」するわけです。

それ自体の妥当性は、
別にしますけれど。

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そう考えると、〈なろう系〉が流行ったノベルス業界は、

フィクション上に
「一億総活躍社会」を実現した

といえるかもしれません。

どんな人にも、
なにかしらの美点を発掘するのですから。

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〈なろう系〉が増える要因を考えた時に、

社会の生きづらさ

とか、政治的・経済的に考えても仕方ない気がします。

異世界で、
社長になったり、
勇者になったり、
魔王になったり、
ロボット開発者になったり、
究極の魔法使いになったり、
「彼女持ち」になったり

したがる人は、はたして

現実でも、なれるものなら社長になりたい

と考えているでしょうか。

単に、

「褒められる立場」「尊敬される立場」

に飢えていて、その具体例として、「魔法使い」とかが挙がっているにすぎないのでは。

「勇者」とか「魔王」とか、
具体性を明らかに欠いているモチーフ。

けれども、「純粋な名誉・権威」であるモチーフが人気な点に、その傾向が表れているように思います。

🤴🤴🤴🤴🤴

〈なろう系〉をやたら毛嫌いするのには、
ちょっと気を付けなければなりません。

単に「もっと褒められたい、認められたい」という。

〈なろう系〉のメンタリティを頭ごなしに否定する、ある種「マッチョな」思考を持っている人こそ、他者を「異世界に追い詰めている」のではないでしょうか。

〈棒〉でいる人は、
〈棒〉にならざるを得ない状況にもあります。

そのダブルバインドな状況に酌量をせず、
ただ「情けない現状」に目を向けさせるのは、
単に思考が浅薄であります。

🤴🤴🤴🤴

そもそもサイト「小説家になろう」は、
商業スペースではありません。

そこから文庫本が刊行され、
アニメ化、漫画化…と。

夢のある話です。

つまり、異世界に行かずとも、「現世で名誉を」手にする可能性が、そもそも〈なろう系〉に内包されているのです。

そして、継続的にサイトに投稿するという「行為」自体に、明確にアッパーな意志が込められているとは言えませんでしょうか。

ページが更新されているという厳然たる事実が、異世界を「単なる逃避」の場にはしていません。

異世界は現実の延長にあり、
むしろ新たな「マーケット」と言えます。

🤴🤴🤴

ここまで、〈なろう系〉の悲哀と気概を記してきました。

しかし、ブームには段階があります。

「オタキング」岡田斗司夫さんの著書によれば、オタクにも「第一世代」~「第三世代」があるようですが。

〈なろう系〉にも、「一次なろう系」「二次なろう系」があるように思います。

ここでの「二次なろう系」に、
ちょっとした警戒心があります。

ある程度〈なろう系〉が社会に受け入れられたタイミングで。

新たに参入してきた作品の中で、これまで述べてきた〈なろう系〉の悲哀に当てはまらない、新種が生まれているように思えてなりません。

🤴🤴

現世で冴えない俺が、
異世界ではこんなに有能!

という〈名誉の移動〉の側面が後退して、
単に異世界で放埓な振る舞いをする作品が、
まじってきている気がします。

異世界で賞金首を殺害して、
その賞金で美少女を奴隷にしたり。

異世界で戦争(という名の)蹂躙戦を展開したり。

『北斗の拳』の悪役みたいですが、
そういったことを主人公にやらせて、
さらに

主人公は実はいい人なの、
ちゃんと知ってるよ

という〈なろう系〉の文法を拝借してもいる。

ここではもはや、「異世界に逃避する・しない」の問題ではなくて、単に人権の問題、自由・正義の問題があります。

「ちゃんと知ってるよ」ではなくて、
奴隷も戦争も、ふつうにダメです!

🤴

ある表現のジャンルが拡大すれば、
そこから逸脱するものが出て、
そのジャンルはいっそう豊かになります。

vol.60「パイオニアはジャンルを代表できるか」では、「サイバーパンクSF」というジャンルをもとに、そういったお話をしました。

その条件は、
ジャンル内部の作品同士で、
相互批評がなされていることです。

『ニューロマンサー』から『攻殻機動隊』
そして『Ghost in the shell』になる

しかし、
〈なろう系〉という流派自体が、
ある悲哀を共有する中で、

「許容」「共感」「同情」

といった寛大さに拠っているところが大きいようで、相互批評が働きにくいみたいです。

いったいここから、〈なろう系〉はどういった発展を遂げていくのか。

それとも、「二次なろう系」が幅を利かせた結果、社会からの風当たりが強くなって、潰れてしまうのか。

ここで重要なのは、
「良識」とか「品性」ではないでしょう。

人は自分の欲望に、悲哀に、
どれだけ関心を向けられるか。

〈なろう系〉という文化形態は、
安部公房的な内省を経て、
分水嶺に到達しています。

はたして…。

(おわり)

…われながら。

面白い視点で書いたものだなと思います。

たぶん〈なろう系〉の作品を書いたり、
出版している人達といった「内野」は、
ぜったいこんなこと考えてません!

ならば、こういった批評・評論というものは、
いったいどこから生まれてくるのでしょう。

外野ですか。

でも〈なろう系〉は、
外野が内野になりうる文学流派ですから…。

じつに新しい、興味深いです。

では、次の水曜日にお会いしましょう。

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