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vol.65「マンツーマンの効用」(『世界史概観』ランケ 鈴木成高・相原信作:訳/岩波文庫/1941年刊)

vol.65「マンツーマンの効用」

みなさんこんにちは。
今週は歴史の本です。

歴史学というと、哲学以上に「まさしく教養」な印象を受けます。せっかくだから、語って語れる知識は欲しい。
しかし、教科書を読んでいるのでは、なんだか格好がつかない。よって、困った時の岩波文庫。

ランケ、『世界史概観』。
では、どうぞ…。

宗教改革。フランス革命。大シスマ、とか。高校の授業で見知った単語が、並んで登場する本です。

ときは19世紀、ドイツの歴史家ランケが、バイエルン王マクシミリアン2世に、マンツーマンで講義をした。速記係が記録したものを書籍化し、日本語訳を経たのが本書です。

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アレキサンダー大王の家庭教師がアリストテレスだった、というのは有名な話ですが。偉大な人物に教育をしようと思えば、その道の第一人者に家庭教師を頼む。王様を擁立しようと思えば、それだけリッチな教育環境が必要だったわけであります。
いっぽう、四民平等以来、万人が一市民となった日本人に提供されるのは、集団講義形式の授業ばかり。思うに、

一人の教師が前に立ち、
その前に生徒が整列する

という形態は特殊なものであります。僕は塾で、マンツーマン講師のアルバイトもやっているのですが、あれは不思議な働き方です。
確かに東北大生一般は、それなりに受験で点数をとっていますから、知識量だけは保障できるのかもしれません。しかし、そのへんをうろついている野良大学生を捕まえて、高校三年生や浪人生の指導に充てていいものでしょうか。

教育とは単純な知識だけではなく、より専門的なスキルが必要なのでは…?

そんな懸念が頭をよぎりつつ、ちゃっかり雇ってもらっておるわけです。

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本書のおかげで、今は懸念は晴れています。といいますのも、マンツーマンは集団授業とは違い、講師は知識以上に、全人格を生徒に提供するからです。

「学業」という営為を継続するためには、さまざまな要因が必要になってきます。まず勉強を始める時点で、「やる気」「最適な教材」。勉強途中では「穏やかな環境」「効率的な復習」。一日の勉強が終わったら、「自己評価」「明日以降の計画」。
これらの大半は、集団授業でまかなえます。予備校では教材も環境も、洗練された「商材」として提供されます。「やる気」も、教壇に立った講師の魅力で、なんとかなったりします。
問題は「自己評価」です。他者による評価は、受験生活の過程で多すぎるくらい手に入ります。偏差値、判定、チューターのコメント、家族からの嫌味…などなど。しかし、「自己評価」がこれら「外部からの評価」から自律しているかというと、まったくそうではありません。

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入学試験には多くの問題点があります。現代文ではときおり、正解の選択肢は一つに絞れません。英語の試験では、そもそもリスニングの比率が少なく、スピーキングはまったくない。なのに、論文執筆を想定した英語教育をしている…とも言えない、なぞの体制で教育がなされています。
そもそも、受験問題の作成者は、基本的に「正答」や「解説」を発表しません。これでは、外部の専門家を相手にしたら、その批判に堪えきれないようなことが「正解」になっていると、作成者側が認めたようなものです。
正解が本当に正解なのか疑わしい。それでも、受験生や予備校講師は、入試問題に

「もっともらしさ」をこじつけ、
自分を納得させ、思考を停止し、

高得点を追い求めなくてはならない。つまり受験は、〈ゲーム〉化しているのであります。〈ゲームプレイヤー〉は、〈ゲームルール〉を疑ったところで、なんの得もしません。

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しかしこのゲームは悪質で、豊かな生活を手に入れようと思えば、万人がこのゲームに参加しなければならない。さもなくば中卒。中卒でも幸福な人はたくさんいるでしょうが、「進学できる」という選択肢を持った学生が、「中卒でもいいや」という判断をなしうるほど、モデルが一般化されてるとは言えません。
受験に相対したとき、人間はすべて〈ゲームプレイヤー〉たらざるを得ない。そして、プレイヤーの価値は、スコアで決まります。プレイヤーにとっての「自己評価」は、「自己による評価」ではありえません。それでも、「現在スコアが低いプレイヤー」が、絶望せずに学習を続けるためには、スコアと〈それ以外〉という、複数の根拠を持った「肯定的評価」を下す視点が必要です。
ただのスコア評価では、「いまスコアが低い」人をモチベートできない。そもそもスコア評価は、Webサービスだけで提供できますから、人間の教師はいらない。しかし家族・友人の視点から受けとる、愛だけがほとばしる「お前は大丈夫だよ」という「評価」も、「スコアというリアル」に直面する人間にとっては、慰めにはなりません。ここで、〈人間的〉〈機械的〉両面のはたらきを果たす、マンツーマン教師が必要になります。

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まず、〈人間的〉〈機械的〉の意味を確認します。
ここでの「人間的はたらき」とは、さきほどの例に挙げた「家族・友人」的立場が提供する「根拠不明のなぐさめ」、「お前は大丈夫だよ」を指します。模試の結果分析においては、客観的に試算することが求められますから、進研模試のアルゴリズムが

点数低いしE判定だけど、大丈夫だよ

なんてことを言いだしたら信頼性に関わります。よりプライベートに近い立場から発言しなければなりません。
いっぽう「機械的はたらき」は、試験結果をありのままに受け止め、今後の計画を立てることを指します。…今はスタディサプリで代用できるようなことです。
この両面を同時に充足させなければ、学生は受験という「仁義なきゲーム」を継続できません。意味をもたないゲームに、意味をもたせてプレイを続けさせる。それには、集団授業よりはマンツーマン指導の方が向いている気がします。

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なぜって、集団授業では、知識を提供する「機械的はたらき」と、プライベートな「人間的はたらき」が、時間的に分離してるからです。授業中、教師は生徒全員に対して、つまり「誰にともなく」発言している。しかし面談では、生徒個人に対して発言している。この〈発言対象のズレ〉は、「発言の意味合い」を左右せざるを得ません。面談のとき、生徒の心中には

先生は「お前は大丈夫だよ」と言ってるけど。こないだ授業中に、先生が「これくらい解けないと、受験落ちるぞ!」って言ってたところ、僕、間違えちゃったのよね。

という、「(人間的な)無根拠な愛のささやき」と「(機械的で)根拠を持ったスコア評価」との間の矛盾が引き起こされます。これはそのまま、教師への不信にもつながります。
ですがマンツーマン指導では、発言すべてが「生徒個人」に向けたもので、意味合いのズレが生じません。

こないだの模試はひどい点数をとったね。でも、あれから「間違った問題」を解くための訓練を続けてもらったから、次の模試は大丈夫だよ。論理的に大丈夫なのさ

という、「(人間的)愛のささやき」が「(機械的)根拠あるスコア評価」と一体化するのです。

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さて、最後に本書『世界史概観』の話をして、本稿を閉じましょう。この本では、〈ランケによる(一方的)講義パート〉と、〈ランケとマクシミリアン王の対談パート〉が交互に展開されます。
〈講義パート〉では世界史の知識が、大量に羅列されます。高校の世界史の授業を、そのまま稀代の歴史家によって、上質にしたようなものです。
いっぽう〈対談パート〉では、ランケはよりプライベートなものいいをして、「マクシミリアンは王様として、これらの知識をどのように扱ったらいいのか」を、マクシミリアンの質問に答えつつ、親身に答えます。まったく、マンツーマン指導の鏡です。

本書の最後にランケは、マクシミリアン王にひとつの教訓を与えます。

第一に、今の時代を理解すること
第二に、善の道を理解すること

この教訓は、「人間的な愛のささやき」と、「根拠にもとづいた機械的(論理的)事実の評価」の、見事なハイブリッドになっています。
端的な事実を機械的に処理し、人間的に意味付けをして、時代を理解する。また、人間的な善の意思を、事実に照らし検証する。
こういったバランス配分を訓練するには、やはり一人の人間が、生徒に対し全人格を投入してあげる必要性を感じます。

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つまり、裏を返せば、マンツーマン教育で必要になるのは「知識人格」のハイブリッドであって、専門的技術が入り込む余地はないわけです。これも当然で、教育とは

親と子供、上司と部下、先輩と後輩

さまざまな関係性のなかで、両方向に、そして社会の中で普遍的に営まれている行為です。教育が学校の「寡占状態」から脱し、

万人に開かれていて、
かつ崇高なものなんだ

という〈名誉〉を獲得したとき、ひとつの革命が起こるでしょう。そのあとに始まるのは、人間同士が全人格をぶつけあう、熱い研鑽の時代です。これは快い妄想ですが、その萌芽はすでに表れています。とくに、インターネット上に。知識人の間では、温故知新の「知新」を軽んじる論調が強いですが、新しい時代を乗りこなすことには、肯定的でありたいものです。

(おわり)

令和仮面ライダー第1作目の記者会見が、先月行われました。主人公はAI部門の、リーディング企業の社長!

平成ライダーはTVシリーズで、20作品ありまして。前半10作品を「1期」、後半10作品を「2期」と呼びます。僕はとくに「2期」が好きで、なぜかというと、主題歌や挿入歌に

生まれた時代を乗りこなす

といった歌詞がよく出てくるからです。

「万人にとって自明な正義」などない社会で、正義を相対化し続けることは「誠実」かもしれません。しかし、少しでもポジティブな提案や、行動をするために、新しい物語が紡がれてもいいはずです。
歴史学は、過去をいたわり、未来を拓く。そういった能力が育まれる場は、けして限定されません。

戦兎と万丈。
翔太郎とフィリップ。

人間が二人いれば、それでマンツーマンです。

では、次の水曜日にお会いしましょう。

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