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vol.71「選択肢の少なさが,絆に代わる」(『なめらかな世界と、その敵』伴名練/早川書房/2019年刊)

vol.71「選択肢の少なさが,絆に代わる」

みなさんこんばんは。
今週は、故あって更新遅延いたしました。

いまカナダにいるのです。海外研修です。

就活シーズンが近づくと、そこらじゅうのサイトで「留学経験はありますか?」と聞かれ、空白で出してばかりの日々についカッとなって、気づいたら現地に到着していました。

とはいえ半月程度では、とくにキャリアとして目立つわけでもなく、どちらかというと、留学関係は空白のまま就活自体を頑張った方が、まっとうな成果が出るんじゃないかな、なんて気にもなっています。

じつに今更ですが。

でも、今更どうしようもない後悔に向き合って見せるにも、コストがかかります。すべてを自分の責任とし、無限に立ち上がり続けることなど不可能でしょう。このアンフェアさ、この当たり前のような逆境に、疑問符を突き付けたSFがございます。

伴名練、『なめらかな世界と、その敵』。
では、どうぞ…。


半端に留学をして就活に失敗したルートより、留学するコストを抑えつつ就活で成功したい。この願望を叶えるには、今となっては時間を逆行するしかありません。現に、カナダにいて、あと2週間居続けなければならないのですから。
そうしている間にも、勧められたはずの自習があり、行けたはずのインターンがあり…と、「もしも」のレベルでたくさんの喪失をしているのです。「後悔先に立たず」とは言いますが、既に挽回不可能な後悔を大量に抱えて、生き続けるのが人間の宿命とも言えます。

しかし、この「過負荷」な状態は、はたして「当然のこと」なのでしょうか。人間はかくも、「いつ終わるかも知れないマラソン」のような人生で消耗していくことが、義務なのでしょうか。


そうではないかもしれない。それが、本書の表題作「なめらかな世界と、その敵」のテーマになっています。本作において、人生は「唯一」ではありません。「いま」という時間を、「登校」に使っていた場合の人生、「ゲーム」に使っていた人生、「バイト」に使っていた人生。それらの並行して存在する人生を、本作の登場人物は「好き勝手に横断しながら」謳歌していきます。
「いま、ゲームをしている」人生を「いま、授業を受けている」人生と並走させて、退屈をまぎらわしたり。さらに「いま、バイトをしている」人生も加えることでお金儲けまでできる。
こういった「複数の人生を行き来する」ことが人間の基本的な能力として備わっているのです。本作の登場人物には、原理的に「後悔」は存在しません。


「受験に失敗した」のなら、「受験に成功した挙句、前代未聞の発見をして学会で絶大な評価を勝ち取った」人生に移ればよい。どんな失敗をしても、「その失敗をしなかったどころか、それ以上の成功をした」人生を即座に選び取り、そちらに移ってしまえばいい。じつに安楽な「人生たち」ですが、それくらい「安楽」で、いけない理由ってあるんでしょうか。


本作には、この「複数の現実を生きる」能力をはく奪された人間がいます。主人公の親友:マコトです。彼女は「この、たった一つの人生だけ」を生きなければならないという「障害」を負い、「絶対に失敗できない」がゆえに他人を遠ざけ、受験勉強に没頭します。そんな、視野狭窄に陥ったマコトを見かね、もう一度彼女の生き生きした姿を見るために、主人公が陸上部に復帰させようとする…。それが本作の、ストーリーの概要です。


最終的に主人公は、マコトと同じ障害を負うことによって、親友としての絆を復活させます。主人公がなぜそんな決断をしたかというと、無限の可能性が「ちらついて」しまうから、というのです。親友のマコトに真に向き合うために、「無数の人生の可能性」を絶った。結果的にマコトは、孤独から救われるのですが、これは果たして主人公による、「無償の献身」と言えるでしょうか。


「複数の人生を移動できる」能力は、ある種のセーフティネットとして働きます。人生において「どんな失敗をしても」、確実安全なリカバリが可能。ある種の社会福祉として見ることもできます。
いっぽう、親友としっかり向き合うために、「無数の人生の可能性」を捨てるというのは、「理不尽」「イミフ」な決断でしょうか。セーフティネットを断ち切ることは、端的に言って「損失」です。そんな愚行をしでかした主人公は、ただ「親友のために損をした」。そんな、ただの美談に終わるものでしょうか。
といえば、そうではないはずです。本作を読了した人々が味わうカタルシスが、「主人公自身のカタルシス」に感情移入した結果だとしたら、主人公は「なにかを達成している」はずなのです。


「無数の人生の可能性」を失った、主人公とマコトの関係は、「狭いトンネルの中、見つめ合う二人」という図式に直すことができます。「複数の人生を生きる」能力を、どこまでも遠く、薄く広がるセーフティネットに例えれば、「可能性の喪失」は人生を「狭いトンネル」にします。
「狭い」ということは、見えるものが少ない。つまり、「ちらつかない」。目を向ける方向も絞られる。そして、「互いにトンネルに拘束されるしかない」二人を、結びつけることができます。選択肢の少なさが、必然的論理的に「二人の絆」へと昇華されるのです。


こうして、「障害の結果」として、「たがいに唯一の存在」となった主人公とマコトは、絆を紡ぐことになるのです。二人が絆を紡ぐことになったのは障害のおかげですから、もしストーリーの進行上「主人公ではない別キャラ」が障害を負うことになったら、マコトはそっちのキャラとくっついたかもしれない。そういった意味では、「主人公とマコトの絆」は限定的なものであり、「共通の障害」によって代替された、「絆もどき」かもしれない。


ともかく、主人公とマコトの二人は、物語の末尾で「複数の人生を生きる」能力というSFギミックを失うわけですから、「最初からそんな能力持ってない」読者と同じ着地点に落ち着きます。「複数の人生を生きる」というトンデモなギミックを用いた本作が、「最初からそんなギミックに恵まれていない」読者たちに向けて書かれたとすれば、本作はどんな読み方が可能でしょうか。
といえば、「選択肢の少なさ」を「絆」に解釈する部分が、一番「現実になぞらえやすい」。最初から「複数の現実を生きる」というストレスフリーな状態に見放されているのが人類ですから、主人公たちがその「SFギミック」を失った瞬間こそ、小説が現実に肉薄する瞬間であり、現実に対してもっとも批判力を高める瞬間でもあります。


「後悔先に立たず」というのは、つまり「何もかもが、かけがえない」という意味なのだから、この人生には「一期一会」を期待していい。そんな出会いやコミュニケーションが、あるはずなのだと本作は告げます。…そういう構造になっていると思います。
これは端的に言って、再現性が皆無のテーゼです。「かけがえのない」人生を棒に振った…というか、むしろ棒に振らされた人々は、歴史を紐解けばいくらでも出てきます。戦争や飢餓、いじめ、先進国の自殺問題…などなど。意地でも「人生の失敗者」を作りたいという、「歴史そのもの」の作為を疑いたくなるくらい、現世は「かけがえのない失敗」にあふれている。
だから、本作のように「かけがえのない失敗」が「絆」に変わる…というのは、「例外の方が多い公理」と言えます。当てにはできない。


しかし、「かけがえのない失敗=かけがえのない絆」という図式そのものを否定すれば、現世は本気で「食うか食われるか」「成功するか失敗するか」の二項に分裂します。その”人生観ディバイド”をさけるために、自然科学のように「再現性がなくても」、技巧や魅力によって説得力が増す性質を持っている、SF小説にしか果たせない役割があるように思います。そして、著者の伴名練さんは、SFマニアとしても名高く、こんなことは100も承知でしょう。


「読者をいい気持ちに乗せる」ことが一つの使命になっている、小説という媒体でしか語り得ないテーゼが、確かにあると思うのです。それが無ければ、この世は真に闇でしょう。

(おわり)

fromカナダ。

せっかく現地に来たのですから、持ち帰る者は持ち帰ります。しかし、「母国から12000km」という膠着状態が、「かけがえのない拘束」だとはどーしても思えません。でもまあ、でっかい教会とか見たり、洋書を買い放題だったり。なんだかんだで楽しく過ごしています。

この「なんだかんだで」というのが一番厄介で、深刻に後悔しなければ、ただの失敗を「かけがえのない失敗」と認識して、「かけがえのない絆」に変えることはできないのです。

「これはこれで楽しい失敗」は、「これはこれで楽しい絆」にしかなりません。これじゃー全然ドラマにならない。ただ、「楽しい今」が続いていくだけ。

それは、究極的に幸せな人生かもしれませんが、他人が入り込む余地がないので、寂しくなることだってあるでしょう。

では、次の水曜日にお会いしましょう。

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