子どもの頃の夢を長男に託した
親ができなかったこと、やりたかったことを子どもに背負わせる。
これは、あまり褒められたことではないかもしれない。
自分は◯◯大学に入れなかったから、子どもは絶対合格させる。
自分はアイドルになれなかったから、ジ◯ニー◯に推薦文を送りまくる。
漫画や週刊誌でよくありそうな話だ。
自分の夢を子どもに無理やり叶えさせるなんて、親としてどうなの?
子どもは大人のオモチャじゃないのよ?
こんな声が聞こえてきそうだ。
私は子どもには好きなことをして生きていってほしいと思うタイプ。
頭よくてもよくなくても、本人が楽しく生きていければ(ぐうたらしろ、というわけではない)いいんじゃないかなと思っている。
だから、夢を託すとか考えたこともなかった。
しかし、そんな私が。
自分がやりたくてもやれなかったことを、子どもにさせたいと思ってしまった。
いや、正確にはさせてしまった(過去形)。
昭和の終わりから平成の初期にかけて小学生時代を過ごした私は、理由もなく学校を休むことを許されなかった。
親が特別に厳しいとかそういうわけではない。
学校は行って当たり前、それが世間の常識だったのだ。
どこか具合が悪くなくても、今日は休みたいと思う事があった。
なんとなく気分が乗らないから、今日はズル休みしたいと思うときもあった。
しかし平日に理由もなく学校休むことが許されない時代で、休みたいと声を上げることは一度もできなかったのだ。
こたつに入って、体温計の温度を無理矢理上げたこともあった。
そんな裏工作も親には全てばれているので、しかられておしまい。かけた労力も無駄になり、結局は学校へ行くハメに。
子どもって無力だなぁと何度も思ったものだ。
さて話は現代に戻るが、私は子どもの頃にできなかった「平日に学校を休む」ということを子どもにさせてしまった。
感染症の影響で、次男の保育園から登園自粛要請が出ている真っ最中。ついでに、長男も休ませている。
休みはうれしいらしいが、家の中にこもっているとイライラするようだ。体がなまってしまうこともあり、公園へ出かけてきた。
2月にしては暖かく、ピクニック日和だった。
平日なので小さな子どもを連れたお母さんや、ウォーキングをしているお年寄りがほとんどで、休日のようなにぎわいはない。
簡易のテントを立て、スーパーで買ってきたお弁当やおにぎり、お菓子を3人で食べた。
青い空を見上げながら、幸せだなぁと感じた。
子どもの頃に、こういうことをしたかったなぁ。
休みの日にではなく、平日にやりたかった。
少し後ろめたい、背徳感のような気持ち?(ちょっと大げさですね)を味わいたかったのかもしれない。
自分ができなかったことを、子どもにさせる私はよくない親かもしれない。
長男に「学校を休んでのピクニックはどうよ?」と聞いてみたらニヤリと笑い「悪くないね」との答えが返ってきた。
少なくとも本人は楽しめたようだ。
根がまじめなので「ちょっと申し訳ない気持ちもあるけど」と、ボソッとつぶやいていた。
長男は2年前いじめに遭い、学校へ行けなくなったことがあった。
今でこそいじめはなくなったが、気持ちが疲れやすい子なので、時々ガソリン切れになる。
そんな時は休ませて、ガソリン補充してやればいい。
最近はやっと、そう思えるようになった。
人生は長いからね。
のんびりいこうよ 慌てちゃつまずく〜♪
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