コワーキングスペースのコミュニティ運営について考える[リミックス完全盤]

こんにちは!KOILの大須賀です。
この記事はコワーキングスペース運営者限定アドベントカレンダー Advent Calendar 2018の7日目の記事として書いています。山田雅俊さんの昨日の記事「マチノテはなぜコワーキングスペースと謳わないのか。地方ならではのサードプレイス」からバトンを受け継ぎました。

僕はこの秋、noteで「みんなが果実を得ることができるコワーキングスペースのコミュニティ創りの方法」について、8回に分けて考えてみました。ここではその8回分をまとめて、1つの記事として読んでいただけるようにしようと思います。CDで言えば「ボーナストラック付きリミックス盤」です。この記事はコワーキングスペースの運営について現場で本気で考えている方々に読んでいただくものだと思いますので、思い切ってかなり長い記事にしましたが、お付き合いいただければ嬉しいです。

0_KOIL紹介と自己紹介

僕が立ち上げからお手伝いしてきている『KOIL(柏の葉オープンイノベーションラボ)』は、2014年4月にオープンした郊外型大規模コワーキングスペースです。
http://www.31ventures.jp/ventureoffice/koil/

千葉県柏市「柏の葉キャンパス」の駅前にあり、約170席ある大型コワーキングスペースを核として、大・中規模の賃貸オフィス床、小割オフィス(いわゆるシェアオフィス)、複数の会議室、イベントスペース、デジタル工作室、レストランなどを備えています。ですので全体としては「イノベーション・センター」というような種類の施設になると思います。ただ、そう言っても伝わりにくいので、普段は「事業の着想と成長に必要なものが一通りそろった大型コワーキングスペース」というような言い方をしています。

KOILの目的は、大きく分けて二つあります。ひとつは新たな街づくりをすすめる郊外都市において重要なプレイヤーである地域の方々(おもにフリーランスや個人事業主、あるいは小規模法人)のビジネスや各種活動を支え、かつ、その価値を街にフィードバックしていくこと。いわゆる「街づくり、街そだて」ですね。
それともう1つが、「世界の課題を解決する新産業を創造する都市」を謳う柏の葉に意欲的なスタートアップ(いわゆるベンチャー企業)を集め、彼らの事業成長を促し、大企業のオープン・イノベーションを実現していくこと。つまりベンチャー・インキュベートとオープン・イノベーションです。

事業主は三井不動産。僕(の所属する会社)は三井不動産さんからの業務委託というかたちでオープン前の事業企画から参画し、オープン後は運営ディレクター的な役割を担いつつコミュニティ形成をお手伝いしてきました。

また、KOILでの経験を踏まえて、同じ三井不動産さんが運営する主に大企業向けの多拠点型シェアオフィス「ワーク スタイリング」のUXまわりとマーケティングや、来年4月に海浜幕張にオープン予定のシェアキッチン付きコワーキングスペース「TENT幕張」の事業企画などのお手伝いもさせていただいています。

KOILがオープンした2014年というと、まだまだ「コワーキングスペース」という言葉は一般的ではなく、大企業運営の大型コワーキングスペースもほとんど前例が無かったと思います(ほぼ同じ時期に相次いでいくつかオープンしました)。利用メニューを設定する際にはスポーツクラブなどを参考にしたことを覚えています。文字通り手探りで、事業主さんや運営スタッフのみなさんと試行錯誤しながら、会員さんに助けていただきながら、日々を積み重ねてきて、いつの間にか5年弱が経ちました。オープン当初は広大なスペースに利用者が3~4人しかいなくて、「だ、大丈夫ですか、ここ、続きますか?」なんてヒソヒソ訊かれたりしていましたが(笑)いまはおかげさまで300人以上の会員さんにご登録いただいています。

この原稿では、おそらく多くのコワーキングスペースの運営者さん(や、街づくりなどでコミュニティ運営に取り組んでいる方々)と課題や悩みを共有できるであろう、コミュニティの形成・運営の方法について考えていきたいと思います。ベンチャー・インキュベートとオープン・イノベーションについてはまた全く別の話であることを、念のために最初にお伝えしておきます。

1・コミュニティってウザイ

さて。

まず最初に言いたいことは、コミュニティってウザい、鬱陶しい、めんどくさいっすよね、ということです。

長い間コミュニティ運営に関わっていると感覚がマヒして、「コミュニティって素晴らしいなー!みんなーこっちおいでーコミュニティにジョインしなよー」などと大声で叫んだりしがちなんですが、まぁ叫ぶ人はいませんが、とにかくちょっと待って、と。

たぶん多くのフツーの人は、コミュニティなんて言われると全力で引いていくのです。

僕は若いころ、マンション広告の制作を主な仕事にしていました。共同住宅は文字通り共同で暮らす住まいだから、住民同士の人間関係はとても大切です。でも、住民コミュニティだとかその手の話は販売広告としては基本的にはNGでした。そういう話は「売りにならない」のです。

もう10年ほど前になるでしょうか、一時期、チームネットの甲斐徹郎さんと多くの仕事をご一緒させていただきました。パッシブデザインによるコーポラティブハウス『経堂の森』や、名著『自分のためのエコロジー』などで有名な甲斐さんのコミュニティ創りの基本は、「協働する動機、共通のメリットをつくる」ということだと理解しています。たとえば屋上に菜園を創る。土づくりや水遣りなどの作業は結構大変なので、お互いに助け合うようになる。収穫の時期には、家族だけでは食べきれないのでお互いにシェアして、いわば自然発生的に収穫祭が行われる。そうしたプロセスの中で、いつの間にかコミュニティが生まれる。

コミュニティ創りが目的だとすれば、なんでこんなめんどくさいことをするのか。一般的な住宅購入者にとって、コミュニティだの近所づきあいだのっていうのは面倒なことでしかないからです。「共同住宅は近所付き合いが大事です。さぁ、みんなで集まって仲良くなりましょう!」なんて言っても、「このマンション、ウザいな・・・別の物件にしよう」と思われてしまう。

そういう現場に長くいたので、ここ最近コワーキングスペースの周辺で当たり前のように自信満々に語られる「コミュニティの素晴らしさ」は、僕にとってはもう、なんていうか冷や汗モノなのです。「コミュニティ特化型ほにゃららオフィス!」とかがキャッチコピーとして躍っているのを見ると、「お、おぅ…」と後ずさりしてしまうのです。

もちろん時代も違うし、マンション購入者とコワーキングスペース利用者は属性も違うので、そこまで気にしなくてもいいとは思うのですが、それでもなんでこんなことにこだわっているのかというと、僕はコワーキングスペースのキモは「居心地」だと思っているからです。キモというか、全てかもしれないな、と思っています。なので、【コミュニティという言葉は多くの人にとっては居心地が良くない】ということを、まずしっかりと認識する必要があるのではないかな、と思うわけです。

あー、違う違う。なんか説教臭い。ウザい。間違えた。

何の専門性も経験もなく(あ、いや、ほんとはある程度はありましたが)、参考になる前例もない中でKOILを運営するにあたって、僕が出来ることは居心地を創ることだけでした。そして、居心地を創るにあたっては、「誰かがとてもイヤなこと」をするのを徹底的に避けてきました。コミュニティという言葉は、僕の中ではそれにあたると思ってきたし、それはたぶん間違ってなかったと思うのです。

2・「不完全でムラのある繋がり」の豊かさ

多くの人が感じるコミュニティのウザさ、鬱陶しさの正体とは何か。
これ、別に大声で言うような大発見でもなんでもなく、みなさん普通に感じていることだと思いますが、この2点ですよね、たぶん。

・めんどくさい!(役割や義務、人間関係)

・入りにくい!(常連ばかりの店のアレ)

この「押し付けられる役割・義務」「排他」の先にあるのって、ファシズムとかカルト宗教組織とかだなぁ、と思います。えー、それは言い過ぎでしょー、という声も聞こえますが、いや、でもオウムやナチスは構成員にとってはとても幸せなコミュニティだったはずで。コミュニティっていう言葉にはあの種のグループのイメージがうっすらと貼り付いていて、だから「嫌な匂い」がまとわりつきがちなんではないでしょうか。実際、周りを見渡すと、今年やたらとニュースになった体育会系の団体を始め、そういう排他的で強権的なコミュニティは決して少なくないですよね。

コワーキングスペースのコミュニティを、そういうイヤな匂いのしないものにするためにはどうすればいいか。
現時点では僕は、次の2点かな、と考えています。

①固定的なヒエラルキーを創らない

カルト宗教やネットワークビジネスのような絶対的なピラミッドを創って上昇志向や忠誠心を植え付けるようなやりかた。あれは絶対ダメだと思います。当たり前の話をしているようですが、それに近いこと、それに繋がってしまうようなことはついやりそうになるんですよね。だってマーケティング的にはそれは、ごく基本的な手法ではあるわけですから。

たとえば、コワーキングスペースでは、コミュニティの核になってくれる会員さんって必ずいらっしゃいます。運営側の皆さまであれば、そういう会員さんが最高の「財産」だという感覚は共有できると思います。で、その方々はとても大事だから、なにか特別な資格というか呼称的なものを付与して特典を…なんて、僕は検討しかけたことがありました。でも、考えてみたらそれって上から目線で気持ち悪いなと思って、やめました。「あんたは役に立つ、エラい」っておまえは何様だ、次はホーリーネームか、帽子の線か、と。

いやそれとこれとは全然違うでしょう、考えすぎですよ、というご意見もあるとは思いますが、これは「匂い」の話なので、「匂いのもと」がどんなに些細なものでも、その臭気は全体にフワフワと漂ってしまうと僕は考えています。あるいは私たちの毎日は小さな選択肢を選び続けているものだから、そこでこっちの道を選んじゃうと、その先はあっちに行っちゃうよ、という感覚を持っています。

②ひとつの大きなコミュニティ、というイメージを持たない

上の図は、KOILに集まるみなさんが全員等しくまんべんなく繋がっていて、1つの大きなコミュニティになっているさまを表しています。丸がKOILのユーザーの皆さま。

こんな風になったらいいよね、という感じ、しますか?

んー、本当にこんな風になれるなら、良いかもしれないですよね。でも実際には、左上のAさんと右上のBさんには「KOILを使っている」ということ以外に共通点はなく、Cさんは便利なワークスペースとしてKOILを使っているだけで他のユーザーさんには興味がない、というのが現実です。こうしたときに「どうしたらバラバラな全員を一つにつなぐことが出来るだろうか?」という風に考えがちですし、実際できるだけ多くの人に声をかけるための方策を考えて実行する、なんてことは珍しくないと思いますが、いや、こんなふうに全体を一つにつなぐ必要なんか無いのではないでしょうか。

「ん?それは職務放棄でしょ。AさんとBさんをつなぎ、Cさんを促してコミュニティの良さを実感して貰って、彼らの活動を活性化することこそ、コミュニティ・マネージャーのしごとでしょ?」と言う方もいると思いますが、えーと、それはもしかしたらその通りかもしれません。

でも、そのためにAさんBさんCさんの手を無理やり引っ張るのは違います。仕事してるCさんのところに言って「こんにちはー大須賀ですー、ヨシくん、って呼んでください。ちょっとお時間良いですか?」ていうのは、僕は違うと思っています。なぜか。押し付けられた何かは、押し付けられたことでその魅力を失うからです。教科書で読まされた小説には、僕たちは感動しない。むしろ反発する、ストレスを感じる。「同じクラスなんだからみんな友だちにならなきゃいけない」という観念がいじめを生む。だからつまり、これは方法論の話です。

結局こういうことではないかと。

受発注のパートナー、共創プロジェクトのメンバー、趣味の集まり、同業の情報交換会、異業種交流、出身地が同じ人の集まり、ランチ会、子育てママのサークル、様々なテーマの勉強会、などなど。多様な目的・趣旨のつながりがたくさんあって、それが重なっている。こうしたつながりの重なりを少し遠くから見たとき、もやーっと星雲のように見えるのが、KOILという場です。それをKOILのコミュニティと呼ぶことは可能かもしれません。

この図でもAさんとBさんはつながっていませんし、Cさんは誰ともつながっていません。それはそれで良い。押し付けられて居心地が悪くなったら、彼らは去っていってしまうからです。ちなみにこの図ではCさんだけが例外みたいに見えますが、私の感覚ではユーザーの6~7割がCさんです。大多数と言っていい。なので、少なくとも営業上、彼らが去っていくようなことをするのは、上策ではないです。

ここでのつながりは不完全でムラがあります。でもある日何かの弾みでAさんとBさんが話す機会があったら、あるいはCさんが何かのきっかけで誰かと話したら、もしかすると今まで考えたこともないアイデアや新しい情報に出会えるかもしれない。それこそがセレンディピティであり、「弱い紐帯の強さ」ですよね。逆に「1つの大きなコミュニティ」が仮に本当に作れるとしても、それは「強い紐帯」に近づいていってしまうから、その部分の価値はむしろ低減してしまう。だから、コワーキングスペースのつながりは、不完全でムラがある方が面白い。僕はそう考えています。

3・「美味しそうだぞ、ちょっと食べてみよう」

さて、そうは言っても、コワーキングスペースを便利な仕事場としてのみ使っているユーザーさんが、ある日突然コミュニティに自発的に参加することなんかあるのか。

ここが面白いところなんですが、KOILを長く運営して見てきた事実として、複数の繋がりのそばにいてそこから生み出される小さな成果に毎日触れていると、ユーザーさんに意識の変容、態度の変化が起こるんです。要するに、毎日周りの様子を見ていて「なんか楽しそうだぞ」ということですね。「あれ?美味しそうだぞ、ちょっと食べてみよう」というシンプルな話です。コミュニティへの参加意欲が自然に、彼の中で自発的に起こります。(もちろんすべてのユーザーさんではありませんし、その必要もありません)

「周りの様子を見て意識と態度が変わる」というのは、コミュニティに参加しているユーザーさんたちにも同じように起こります。彼らは、今度はそのつながりから具体的な成果を上げることを意識するようになります。「自分よりうまくやってる人」が出てくるからです。隣の人がスタッフを雇い始めた、交流会で会ったあの人とあの人が組んでビジネスを始めた、あの人が個室オフィスを借りた、あの企業が大型の資金調達をして数倍の広さの区画に移転した。そうした姿を見て欲が生まれる。より積極的に仲間を創って組むことで活動の幅を広げる人たちが増えます。成長意欲を強くして「次は誰が個室に行けるか」みたいな、いい意味での競争を始める人たちもうまれてきます。

だから結局、全員を「公平」に扱おうとして、多くの人にウザがられながら声をかけて回ったりするのはハイリスク・ローリターンで、参加意欲の高い人たちをサポートして盛り上げる方が効果的なのです。繋がりが濃い/薄いの斑(ムラ)は積極的に容認する。むしろそのムラの濃いところを徹底的に濃くすることで「このコミュニティの成果のモデルケース」を創り、その姿を自然に見せていくこと。これが結果的に、より多くの人にコミュニティの良さを実感していただけることになるのです。
(もちろん『成果をさりげなく多くの人に見せていく』ことや『最初に話しかけるきっかけの場をつくる』ことは、コミュニティ運営者としての重要なタスクです)

ところで、濃いところを大切にする、という方法論は考えてみればマーケティングの世界では当たり前のことです。メーカーでも小売店でも、全ての商品を公平に一律に売れるようにする、なんてことは絶対ない。売れる商品をもっと売れるようにするのが基本です。ベンチャー・インキュベートでも議論の余地がないことでしょう。すべてのベンチャー企業のあらゆる事業を等しく成長させなければ、なんて思っている人がいたら教えてください。って、念のために補足しますが、僕は会員さんを商品やビジネスモデルに例えているわけではなく、これは「構造」の話です。要するに、原理原則。世の中、そういうふうに出来ている、という話です。

ちょっと余談ですが、テーマがコミュニティとなると「みんな一律に」「公平に」となりがちなのは、やっぱり学校のクラスのイメージが影響しているのかもしれないな、と思います。そういった間違ったイメージに騙されて足をすくわれてはいけない。

4・お湯が沸いてから材料を入れるのです

意識の変容、態度の変化。それは、1日や2日では起こりません。ある程度の期間を必要とします。だからある期間、まずは「騙されたと思って」使い続けてもらうことが必要です。「最初に居心地ありきだし、居心地がすべて」というのは、ここに理由があります。心地よいワークスペースとして使っているうちに、やがて意識が変わり、行動が変わる。その先に、豊かなコミュニケーション、創造的なコラボレーションがある

この一連のプロセスをざっくりとまとめると、こういうことになります。

強調したいのは、これは仮説ではなく事実だということ、KOILで実際に起こっている出来事を整理したものだということです。人によってスピードはまちまちですし、どこかのステップから先へは動かない人もいますが。(何度も繰り返しますがそれはそれで良いことで、その方も大切なユーザーです)

で、コミュニティ運営者の仕事は、このプロセスに寄り添ってユーザーさんのやりたいことを後押ししていくことです。上図の右側、色をつけた3つが、その仕事の内容を最も大きな粒度で書いたものです。

ここでちょっと話は飛びますが、20年くらい前、僕は広告系印刷物の制作をメインの仕事にしていました。その頃はいくつかの複雑な事情が絡んで、あまりお行儀の良くないクライアントの仕事もしていました。折込チラシのデザインを持っていくと、オールバックで真っ白いスーツを着た役員様に「兄ちゃんさー、もうちっと何て言うのかなぁ、かっちょいいデザイン持って来いよ」と、提案したデザイン案を床にばら撒かれたことがあります。床に膝をつけて拾っていると頭の上で舌打ちされた、今も耳に残るその音。
また他のクライアントでは、着てる服がオシャレだから広告の担当になったという女性と、毎週毎週「ここの赤はもうちょっとフランスっぽい色にしてください」「ここの文字はそうねーイタリア風に変えます」などという打合せを延々と何時間もしていました。

今となっては笑い話ですが、本来は共に最高のアウトプットを生みだすパートナーのはずの両者がなぜこうも不幸な関係になるのか、そのころはいつもそれを考えていました。

発注者の傲慢と、受注者の怠慢。発注者は「できるだけたくさん働かせて1円でも安くしたい。金払ってるんだから言うこと聞かせたい」し、受注者は「同じ金額なら出来るだけ楽に納品してしまいたい。金貰ってるんだから黙って言うこと聞いていよう」が本音だとすれば、それは構造的な問題なのかもしれません。その構造を打ち破って理想的なパートナーシップを築くためには、他人は変えられないんだから、まず受注者たる自分が怠慢に陥らないこと。楽に納品しようとせず、心から自分が正しいと思えるモノを提案して、クライアントに反論すべきはきちんと反論し、誠意のある仕事をすることだ、というのがそのころの僕が出した結論でした。まぁでも、たちの悪い相手だと露骨に「黙ってオレの言うこと聞けよ」的になって、どうにもならないんですよね。僕自身の力不足はもちろんありますけどね。で、最終的には、まぁいいや仕事なんてそんなもんだ忘れて音楽聴こうっと…というのが、ダメダメビジネスマンとしての僕だったわけです。行きつくところは怠慢。まぁ実際、あの頃の僕は腐ってたなぁ。あらゆる意味で腐ってた。

ところが、それから10年以上たって環境も変わり、おかげさまで尊敬すべきクライアントに恵まれて、クリエイティブな仕事をさせていただけるようになり、その1つとしてKOILを立ち上げ運営していると、あれ?という光景を多く見かけることになります。KOILで繋がって受発注が成立した人たちが、なんか同じ会社の同僚のように風通しのいいやり取りをして、気持ち良さそうに良いモノを創り出しているんですよね。それは、テーブルの上にリソースを出し合って1つのものを一緒に創るというイメージの受発注。「僕はテーブルにお金を出すから、君は能力を出してよ。」発注者と受注者がフラットな関係でチームになっている。取引形態は受発注なんだけど、限りなくコラボレーションに近い感覚で仕事をしている。先ほどの図の、3つ目のプロセス。これを僕は「共創的受発注」と仮に名付けて、KOILの価値を説明する際に使うようになりました。KOILでつながった人と仕事をすると、共創的な受発注になるんですよ。

得意になって毎日それを言っていると、ある日誰かに「なんで?」と訊かれて困ることになります(笑)。なんで?なんでだろうか。

言語化の必要に迫られ、色々とフクザツなことも考えましたが、要は順番の違いでしかないな、というのが結論でした。受発注ありきで人間関係が始まるのか、受発注とは関係のないところで知り合って関係性を築いた人と仕事を始めるのかの順番の違い。後者の場合、すでに人間として、あるいはあるジャンルのプロとして認めている人どうしがお互いを尊重して、せっかく築いた関係性を大切にしながら仕事をするので、同僚的なチーム感が自然に生まれるのです。

という整理にして説明し始めましたが、いやしかし、順番が違うだけ、などという単純な話で良いんだろうか、というのが常に頭の隅にあったのも正直なところ。そんなある日、ある仕事がきっかけでこの仮説を裏付ける「成功循環モデル」という学説を知ることになりました。それは、こんなものです。

マサチューセッツ工科大学のダニエル・キム教授によると、目的を持った多くの組織はまず成果を求めるところから始めるため、対立関係が生まれ、構成員がモチベーションを失い、消極的・他律的になる。すると結果が出ないから関係性が一層悪くなる、という悪循環に陥りがちだといいます。それに対し、成功している組織はまず良好な関係を築くことからはじめている。それがポジティブな思考と行動を生み、結果に繋がる。結果が出るから一層お互いを信用するようになる、という好循環になっているそうです。

おぉ、やっぱり順番だけだった。順番が全てであった。

コワーキングスペースは、文字通りワークスペースを共有している「だけ」の場ですから、利用者が共通の成果を追い求めることなんかそもそも不可能で、関係の質から始める以外やりようがない、という場所です。なので、自然に、というか必然的に「成功循環モデル」のプロセスをたどることになるのです。

だとすれば、これこそはコワーキングスペースの最大の価値ではないでしょうか。成功循環モデルによる共創的受発注が必然的に生まれる場所。これ、ほんとは4倍くらいの文字サイズで書きたいところです。

5・「繋ぐ」じゃなくて「繋がる」

さて、そういう風に考えていくと、コミュニティ運営関連で呪文のように唱えられるあの言葉、「繋ぐ」に対して違和感が出てきませんか。

いわゆるコミュニティ・マネージャーあるいはそれに類する役割の人には一般に「より多く人と人とを繋ぐことができる能力」が求められるようです。人を繋ぐ能力・・・それは確かにあると思います。飲み屋のママさんを始め(って、ママさんのいる飲み屋って行ったことないので想像ですが)、飲食店のオーナーにはそういう人多いですよね。コミュニティ・マネージャーにはその能力が必要であることに、もちろん異論はありません。ただ、ここで「繋ぐ」という言葉を文字通り誰かと誰かを引き合わせて手を繋がせる、というイメージで使うと、それは違うんじゃないかなー、と僕は思っています。

数年前、KOILにおけるコミュニティ・マネージャーのタスクをあらためて整理する必要があり、当時の「同僚」だった広瀬眞之介さんと毎日まいにち激論を交わしていました。その時期、僕の中にある違和感を広瀬さんに伝えるために、あえて「繋ぐことのデメリット」を少しデフォルメして並べたことがあります。それはこういうものです。

・繋ぐことは実は機会損失(ということもある)
誰かを繋ぐことは、ほかの誰かを繋がないこと(というケースもある)。お互いにベストチョイスだと言い切れるほど双方を知っている?

・繋いでほしい、というのは他者依存
うまくいかなかったとき、相手や紹介者のせいにしちゃいがち。

 ・ただの受発注と変わらない
「初めまして、見積りください」なら、コミュニティである必要はない。

・(運営側としては)1つずつ繋いでたら成果は1つずつしか増えない
運営側にとんでもないリソースが必要になる。事業効率が悪い。

で、こう整理してみたら、シンプルな結論を得ることができました。

そもそもなぜ場を運営しているのか、コミュニティを創ろうとしているのか、という点に立ち返れば、繋ぐ < 繋がるであることは自明です。本来的には「多くの繋がりが自然に生まれる環境を創ること」こそが必要とされるのです。

自律的に繋がったパートナー同士によるビジネスなら、上に書いたことはすべて逆になります。日常的なコミュニケーションをベースに、自己判断でベストと思われるチョイスをして、人間関係ありきの「共創的受発注」を実現することができます。運営から見れば、環境をベースに同時多発的に繋がっていくので、より少ないリソースで多くの実績をつくることが可能です。

そう考えると、コミュニティ・マネージャーの仕事は「繋ぐこと」ではなく「繋がれる環境を創ること」だというふうに整理されるのではないでしょうか。

6・一人ひとりが自分の可能性を自由に広げる場を創るために

KOILではすでに、会員さん同士の受発注や共創が、運営が把握しきれないほどの頻度で行われています。一緒にプロジェクトや事業を興すとか、会員さん同士で受発注するとかはもちろん、僕が特に素晴らしいなと思うのは、仲間との共創を前提に自分の業務範囲を広げている事例です。たとえば、WEBの制作をしているとクライアントから「ついでに同じ内容で紙のパンフも創れる?」と言われることがあって、今までは断っていたんだけど、KOIL内でチームを組めば創れるからそういう案件も受けるようになった、というような。自社(自分)では出来ないと思っていたことが、KOILのメンバー同士のスキル交換を前提にすると出来るようになる。事業を拡張するためのリソースになるし、なにより勇気になる。この状態を、先日ある会員さんが「まるでKOILという会社」と表現していて、それに多くの会員さんが同意していたのは横から見ていてちょっと感動してしまいました。

こういうときにいちいちコミュニティ・マネージャーが窓口になっているのではないことはもちろんです。そんなことしてたら追いつきません。メンバーは、大きな「ちょっとした知り合いの輪」=「弱い紐帯」を活かして、自律的にどんどん繋がっていきます。そういう活気のある状況を、ある会員さんは「KOILには文化がある」と言ってくれたし、別の方は「良い『気』が流れている」と褒めてくれました。

コミュニティ運営者が創るべきなのは「文化」であり「気」(スピリチュアル的なニュアンスに違和感があるなら、「空気」)。そういうことだと思います。そのために何をしているかというと、こまかく言えば色々ありますが、要は結局、居心地と秩序をつくることです。

居心地についてはすでに書きました。ざっくり言えばそれは「相手が顕在的に求めていないことは押し付けない」というようなことですが、そうしたコミュニケーション上の居心地の前に、空間としての居心地の追求が必要です。それはもう、大げさでもなんでもなく、机の間隔をあと1センチ広げてみようとか狭めてみようとか、BGMのボリュームを1つ上げてみようとか下げてみようとか、そういう本当に身近なところを偏執的とも言えるようなこだわりで試行錯誤し続けています。そういう意味では、受付や運営スタッフの業務とコミュニティ・マネージャーの業務は不可分です。ここに断絶(無意味な役割分担や縄張り意識)があると絶対うまく行かない。それぞれの業務の重なりの部分でいかに居心地を追求できるかが重要です。

そして僕は、居心地を創る上で一番大事なのは、会員さんの立場に立って、感じて、考えることだと思っています。なんかまた当たり前のことを言っているようですが、ビジネスにおいて実に多くの人が「立場」を軽視しているのが僕は昔から不思議なのです。

立場、というのは文字通り立っている場所のことで、立っている場所が違えば見えている風景が違う、という当たり前のことです。先ほど書いた発注者と受注者の不幸な関係も、実はお互いの立場に立ってみるということが出来ないことに多くは起因しています。相手の言うことが理解できない、あるいは大反対である、そういうときに自説に固執するのではなく、なぜ相手がそういうことを思うのかを理解するべきで、それは「立っている場所」を理解するということに他なりません。相手の立っている場所を理解して、そこから見える風景を想像する。それを「感情移入」と言うことも可能です。うーん。書けば書くほど、小学校の道徳のようなつまらない話に見えるなぁ…でも、これ、ほんと腑に落としてビジネスしている人少ないと思うんですよね。

会員さんの立場に立って考える、そのために具体的に何をするべきかというのはケースバイケースです。ただ、色々な人の立場を想像できる職業上の経験と能力は、コミュニティ運営者に必須の条件でしょう。それを前提として、さらに僕の場合は、KOILでの役割上の肩書を貰う前にまず、自分自身が会員になりました。今も一会員です。そしてコミュニティ・マネージャーのシフトでないときもできるだけKOILで一会員として仕事をしてきましたし、「今日はおれ会員だからねー」とか宣言しています。無意味でばかばかしいことのようですが、実は意味があると僕は思っています。そうすることで見えるものが、やっぱりあるからです。

一会員としての立場を持つことは、場の秩序をつくることにも有効に働きます。場の秩序とは何かというと、たしか遅野井宏さんは「その場ではどんな行為が推奨されて、どんな行動が推奨されないか」というようなご説明をされていました。まさにそれです。秩序をつくるというとき、大人のオフィス空間であるコワーキングスペースとしては、できるだけ明文化されていないかたちで進めることが重要です。あれをしろ、あれはダメ、という張り紙だらけの空間やルールだらけの場は、参加者の創造性を削いでいくからです。というか、単純にカッコ悪いです。カッコ悪いのはみんなイヤですよね。

明文化されたルールを創らない、張り紙をしない、というのは言うのは簡単ですが、施設運営をしてみると、これはなかなか大変なことです。ただ、それは絶対に必要なことです。そこでコミュニティ運営者は何をするか。その答えの1つが、「最も推奨される使い方をしている人」になる、ということ。ユーザーさんが見て「あー、ああやって使うのかー」という人になる。このとき、一会員としての立場は有効です。

そしてもうひとつが、推奨されない使い方を排除していくことです。これは逆に一会員ではできないし、ユーザーさんにやらせては絶対にいけないことです。ある種の汚れ役。広瀬眞之介さんはそれを「全員に迷惑をかけるやつを追い出す」という言い方をしました。まぁひらったく言えばそうですが、「やつ」ではなく「行為」にしたほうがより正確です(し、広瀬さんの真意もそこにあると思います)。悪気があるかないかに関わらず、場の秩序を乱す行為は毎日なにかしら起こります。それを見て見ぬふりをせずに声をかけたり何かしらの対策をしていくこと。これも言うほど簡単じゃないし、その努力と会員さんのビジネス上の成果の関係が見えにくいので結構心が折れがちですが、これをがんばってやらないといけない。

毎日毎日そういうことをしていくと「空気」が生まれ、「文化」が創られていきます。そこではじめて、交流会などのイベントやマッチングの仕組みなど、具体的な仕掛けが効いてくるのです。

さぁ、やっとイベントや仕掛けづくりに話が進みました。この時に重要なのは「ゆるいイベントや仕掛けを細かく計算してきっちり創ること」です。これ、逆のケースをよく見かけます。「目的や登壇者や協賛企業などが立派なイベントを、雑な現場でゆるく創る」イベント。これほんと最悪。自律的な繋がりを生むためのイベントや仕組みを作るには、「なんだよ、自分で動かなきゃ何も起こらないじゃん、ゆるいなーこのイベント。でも楽しいからいいかぁ」というイベントを、徹底的に計算して、準備して、限界まで目と心を配って創ることが必要です。そのようにして、ゆるい飲み会系から割とヒリヒリしたビジネス系まで、イベントや仕掛けをグラデーションで用意していきます。

で!
その上で、やっと、最後に、「繋ぐ」です。ここまでやってきた施策において、多くの利用者さんが自律的にどんどん繋がっているはずです。だからコミュニティ・マネージャーは、自然にはどうしても繋がれない人同士やコミュニティ内では繋がれない外部(たとえば地域の人とか、運営事業者側のリソースとか、ある種の専門家とか)と繋がる必要がある際に、依頼に応じて、いわば最後の手段として、直接繋ぐことになります。この場合、会員同士を繋ぐ人としては、活発に活動する会員さんと一緒に「HUBパーソンのひとり」というくらいのポジションを取ることになります。「良く繋いでくれる何人かのうちのひとり」です。それがベストな状態です。そして外部を繋ぐ人としては、コンサルタントやコーチに近いイメージの役割を担うことになります。

僕はKOILで、こんなことを考えて仕事をしてきました。ここに書いたことは毎日悩んだり迷ったりしながらやってきた結果の、現時点での仮説です。人間相手のことですから例外は山ほどありますし、状況が違えば答えも違います。そもそも一口にコワーキングスペースと言ってもその目的もプレイヤーも施設ごとに異なります。だから僕はここに書いたことが絶対的に正解だとは思っていないし、自分自身これをマニュアルのように使うことは目的ではなく、今後も毎日まいにち試行錯誤していくために座標の1つを置いておこう、という気持ちで書きました。「違うんじゃないかな」「ちょっと意味がわからない」ということがあったら、ぜひご意見をいただければと思います。そして、近くに来ることがあったら、ぜひ一度KOILに立ち寄ってもらえたら嬉しいです。

ボーナストラック・それは誰のためか、をいつも考えたい。

ところで、事業主に雇われているコミュニティ・マネージャーにとって、何を自分の仕事の成果とするかというのはなかなか微妙で難しい問題です。いや、雇う側にとってこそ難しい問題かもしれません。何をポイントに、どんな数字を基準にするのか。

ここでありがちなのが、「声をかけた回数」とか「人を繋いだ件数」とか「イベント参加者数」をKPIにしよう、というようなこと。絶対ダメ・・・とまでは言いませんが、僕はそれは、関係者のリテラシーがかなり高くないと危険なことだと思っています。ここまで読んでくれた方にはお分かりいただけると思いますが、それらの数字は本質的にユーザーさんの価値創造とは何の関連性も無いからです。そして何より、雇われているコミュニティ・マネージャーがそれらの数字で評価(ひいては契約やギャラ)を決められるとしたら、その数を稼ぐことが行動の目的になってしまうからです。ユーザーさんの成果のためではなく、自分の評価のために動くようになってしまう。人と人との出会いを「数」として数え出してしまう。それは絶対に、ユーザーさんに「居心地の悪さ」として伝わるはずです。だって、普通に人と付き合っていて僕ら、わかりますよね。「この人って本当に私のために言ってくれてるなー」なのか、そうでないのか。そういう意味では、KPIになっているかいないかは別として、自己承認欲求が強い人もこの仕事には向かないと思います。「おれ、すっごく人の役にたってるー!みんな見てー!もっと褒めてー!」な人。

とはいえ、そんな気持ちがまったく無い人もいないわけだし、もちろん僕だって褒めて欲しいわけですよ。人に囲まれて関わり続ける仕事だからこそ、周りの人たちに自分を好きになってほしい、褒めてほしい。まぁそれは自然なことなんだけど、ほんとうっかりすると、それが言動の目的になってしまう。そしてその瞬間に、その汚れた動機は相手に伝わってしまう。

だから、何かをしようとするときは必ず、「それは誰のためか。自分のためなのか、ユーザーさんのためなのか」ということを、ずっと問い続けていたいと思います。いやほんと、難しいですけどね。そう出来たらいいなと思っています。

というわけで、以上、とっても頑張ってすっごくたくさん書きました。みんな褒めて、褒めてー!(笑)

#ビジネス #コラム #コミュニティ #コワーキングスペース


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ありがとうございます!
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大須賀芳宏

コワーキングスペースのコミュニティ運営について考える

KOILの立ち上げ〜運営で試行錯誤してきた中でわかった(気がする)ことを少しずつ言語化していく場所。
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