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兄さんを

ロック画面に「母さん:帰ってくるの遅くなるからお兄ちゃんと夕飯食べててね🥢🙇‍♀️」と通知が来て舌打ちした瞬間、電話が鳴りました。
応答せずにしばらく待っていると着信は切れて、父親の留守電が「今日残業だから二人でご飯食べろ」と再生されました。

子供部屋の扉を開け、一階のリビングを見下ろすと、兄さんは友達と“龍が如く”をしていました。「2周目だからつまんねーな」とか「これ声誰やってんだっけ」とか呟きながら人を殴り続ける音が響いていました。平坦な会話の隙間にキャラクターが力を込めた声、ぺちゃぺちゃ肉を叩く音が入り込んでいて、気味が悪いと部屋に戻りました。

友達が帰宅すると、兄さんは2階の俺を大声で呼んでリビングテーブルやPS4のコントローラーなど片づけさせた。テーブル下をコロコロをかけていると「夕飯お前とかよ最悪」僕の腰を蹴りました。
急な衝撃によろけるとテーブルの脚に頭をぶつけて上でプラスチックのコップが倒れる音がしました。無言でもこんな風に力込めて蹴れるんだから、あんなに声を張り上げなくてもいいのに。人を痛めつけている自覚のために声を出してるのかな。
さっき見たゲーム内のキャラクターを思い出そうとしたけれど、顔がぼやけてほどけてそんなことより頭が痛くって。たまらないな。なんでこうなってしまったんだろう。

炊飯完了を知らせる音が鳴ると、そこから保温が始まります。
保温は炊飯ほどではないけれどお金がかかるので保温スイッチを切ることを僕は小さい頃から心がけていました。兄さんは2階に籠ったから僕が呼んでこないといけない。僕が、兄の元に向かうのはすごく苦手なことでした。同じ空間に居てほしくない相手を呼ぶって苦痛じゃないですか? 苦痛っていうか、自分が楽しくない状況を自分の手で作らなきゃいけないのが耐え難いな、と思うんです。
そんな時、兄さんの葬式を思い浮かべるようにしています。供花が飾られ、遺影も設置されて、親戚や学校の人たち、両親の職場の方々が参列して準備が出来た空間。そこへ最後に、死体を招くって感覚。「兄さん。できた。降りてきて」

僕ら二人の子供部屋なのに兄さんは不意にドアを開けられると機嫌が悪くなるから声をかけるだけにしました。
応答はないけど、片付ける音が聞こえたから声は届いたんだと思います。
炊飯器のご飯をかき混ぜていると、鼻がむずむずして、くしゃみが、出るな、と思った。ご飯粒に、飛沫が、飛び散るのは、嫌で、嫌っていうかそれを兄さんに見られたらと思うと怖くて。怖かったんですよ。何が始まるか、いつ終わってくれるか分からないし。それで、慌てて左腕で煽ったんだけど。しゃもじが赤くなっていた。血です。鼻血。ちょうどその時、兄が階段を降りて僕を見て、いや本当に僕を見てたのかな、なんか、面白いものがはじまる時のワクワクした顔をしていて、未来を知り尽くした、怖いものが一切無いって顔。まずいなと思った時には馬乗りになってました。「どうしてくれんだよ」「お前汚ねえな」「何か言え」と口角が上がった真っ黒な口から怒った声が流れていて、空気を吸おうと思ったけど気管にドロっとした血が流れ込んで咽せて咳をするけど肺の上には兄さんが居るからさ、上手くできなかったな。お腹が空いた、とか考えて意識を遠くに飛ばすことに必死でした。
顔を横にしてフローリングを見るとさっき僕の中で激しく巡っていた血が動きを無くして乾燥していました。
僕の反応がつまんなくなると、また、ゲームをセーブしてコントローラーを放り出すみたいに立ち上がって「片付けろ」と兄さんは言いました。僕は風呂場に行って顔や首に付着した血を洗い流しながら兄さんの葬式を再開しました。

棺桶の中でたくさんの花がほっぺに触ってくすぐったそう。冷たい右頬からもぎたての果実の匂いがする。怒号も悲鳴もあげることのない綿を詰められた口は、息苦しくないのかな。もう、苦しいとかないのかな。今ならその耳を粘土のように変形させても構わないよね。お前の耳の形嫌いなんだよ。造り途中みたいな形だし。その耳で聞こえてる? 音が遠くから聞こえてくる? 
じゃあ、言うけどさ

こんな傷つけることが常の世界で、弔いの言葉なんてつまらないと思わない? 産声みたいなもんじゃんね。

人が死ねば人がいっぱい集まる。
死を物語に押し込めようとしてるよ、みんな。
次々に同じ顔に染まっていって背景と化してたよ。
兄さんの眠るそばへ寄って、うつくしく無垢な言葉ばかりで埋め尽くしてったよ。

お前の彼女も来てた。背が小さくて声が無駄に高い奴。泣き声がひっくり返って音が狂ってたな。
あいつもお前が死んだことなんてどうでもいいんだよ。
居なくなったことに意味を見つけ出して、どうにか納得できるようにめちゃくちゃな言葉で言い聞かせてるみたいで。いや違う。自分に言い聞かせるポーズを取って、周りに自分の言葉を見てもらおうとしてるんだよ。あんな奴のどこを好いてたんだよ。
兄さんのこと、綺麗な人間だったって。そうやって流す涙で洗い落とせる汚れだと思うなよ。

そういえば、殴られたら恥ずかしいんだ。
目立たないように神経を尖らすのは頭痛がするんだ。夜眠れないのはお前のせいなのに、なんでそんなたおやかに眠っているの? タワシで頬を洗わないで。裸眼が傷つくのは怖いよ。2段ベットの梯子で殴らないで。脱衣したら土が溢れてくるのは結構堪えるんだ。僕を無理に吐かせたから中指に吐きダコができたね。そのかさぶたは、誰かに説明したことある?

   傘で叩かれたら痛いし
         大きな音がするから周りが見るし、
      いいことなんてないよ

  お前は知らない

            だろうけど

       てか
              なんで 
                  そんなことも
      
 知らねー奴が

     叩く方なんだよ。
 僕。ずっと雨が大嫌いなんだ。雨がっていうか、雨の日。うん、そう。雨の日の記憶が嫌いだから。総じて反吐出るくらいイライラする。体調が悪い。兄さんが僕を、そう仕向けた。

先に相手を傷つけた方が、自分は傷つかずに済むと本気で信じてた? ぬるいよ。
と、ふいに掴んだ喉は冷たくて、2日洗ってない髪は鈍く光っている。その冷たさは彼が清潔であるかのようで、僕だけが熱くなった手のひらは、兄さんとの隔絶を知る術でしかない。
兄さんが霊柩車で運ばれてすぐに忘れたその時間は、僕の一生です。とか、微塵も思わない。ただ、お前が僕に向けた時間が加速して尖って僕の頬を掠り流れた血がずっと褪せないことを忘れたら、子供部屋から連れ出そうと思う。強く閉じられたその瞼をひらきに、いくから。

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