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1/9-13写真展@築地ふげん社

先日、同級生でもある写真家、新納翔の写真ワークショップの最後に、ふげん社にてグループ展を行いました。素人ながら、足で稼ぐ方法で、自分をいろんな地域に向かわせてみました。

カメラを持って街を歩くと、視点が変わる。一瞬一瞬過ぎていく世の中に対して、何かを残そうという意思が働く。

初めてのデジタル写真のプリント、表現の一歩としてよい経験になりました。未熟ながら、展示した5枚のレタッチ前の写真と、ステートメントを載せておきます。

熊本の、震災跡地にて。(iphone7)

茨城の、霞ヶ浦水質浄化工事周辺にて。(RX100M2)

祇園のお座敷にて。(RX100M2)

こちらも、熊本の激震カフェ、オーディオ道場にて。(iphone7)

京都で佇む人。(RX100M2)

ステートメントです。

生存

東京で生まれた僕は、知らなすぎる日本を見る旅に出ました。
そこで目にしたものの多くが意識的、無意識的に破壊された風景でした。

熊本の震災による崩壊、京都の行き過ぎた観光地化、霞ヶ浦の水質浄化のための工事など。
しかし、祇園の奥で昔と変わらぬ日本文化に出会った時に、意図して守らない限り破壊は続くのだと感じました。
僕は写真を撮ることで、これからの日本に残すもの、壊されるものと対話していきます。

Survival

I have been living in Tokyo since I was born.
I went on a journey around Japan because I find I’m not familiar to the culture of Japan.
Many of the things I saw there were consciously or unconsciously destroyed landscapes.
The earthquake of Kumamoto, Construction for the tourism landscaping in Kyoto and water purification of Lake Kasumigaura.
I felt that destruction would continue unless we defend our culture when I met continuing Japanese culture in Gion.
By taking pictures, I would like to face the moment of what will remain and what will break in Japan.



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