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オープンソースはいかにして普及していったのか?黎明期を知る二人と語る、OSSの軌跡と展望

「才能が公正に評価され、どこでも誰とでも働けるプラットフォームを作る」–––オープンソースプロジェクトのための報賞金サービス『IssueHunt』を開発・運営する、BoostIO株式会社のミッションです。達成に向けて、いかなる社会変革が必要なのでしょうか。オープンソースを日本の“文化”へと昇華させるべく、先進的な取り組みを紹介していきます。
BoostIOは、「OPENSOURCE.TOKYO MEETUP」と題し、オープンソースの現在地と未来を語るイベントを定期的に開催しています。第3回は「どうやって大企業はオープンソースを実現させていったのか」をテーマに、ワイズプランニング代表の吉田行男氏とサイオステクノロジー株式会社 / 日本OSS推進フォーラム副理事長の黒坂肇氏に徹底討論していただきました。モデレーターを務めたのは、BoostIOのCo-founder/CEO・横溝一将。UnixからLinuxへとシフトしていったオープンソース黎明期の話から、『Red Hat Enterprise Linux』が与えた衝撃、企業のクローズドな意識を変える方法まで、会場で繰り広げられた議論をダイジェストでお届けします。
構成:小池真幸(モメンタム・ホース)

UnixからLinuxへ。「動かすのが楽しくてしょうがなかった」オープンソースの夜明け

横溝:BoostIOの横溝です。今回は、オープンソースの黎明期から現在までを経験されてきたお二人と一緒に、OSSをさらに普及させるための方法を考えます。

ゲストのお二人には、日頃からたいへんお世話になっております。吉田さんにはよくご飯を奢っていただきますし、黒坂さんは釣りに連れて行ってくれます。いつも本当にありがとうございます。まずは、簡単な自己紹介をお願いします。

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ワイズプランニング代表・吉田行男氏
2000年頃より、Linuxビジネスの企画を始め、その後、オープンソース全体の盛り上がりにより、Linuxだけではなく、オープンソース全般の活用を目指したビジネスを推進していたが、2019年より独立し、現在はフリーランスとして、オープンソースのビジネス構築及びコンプライアンス体制作りを支援している。

吉田:ワイズプランニングの吉田です。1995年頃に遊びでLinuxに触りはじめてから、ずっとオープンソースに携わっています。会社員生活の後半は、OSSに捧げてきました。

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サイオステクノロジー株式会社 / 日本OSS推進フォーラム副理事長・黒坂肇氏
半導体技術者であった1990年代にLinuxに出会い、サイオステクノロジーの前身企業の一つノーザンライツコンピュータに参画。現在はサイオステクノロジーの技術系執行役員として、OSSやクラウドを中心としたシステムインテグレーション事業を担当。同事業では、サイオスOSSよろず相談室という提供開始から10年を超える独自サポートサービスも含んでおり、そのユーザーにはトヨタ自動車やNTTなど大手企業も含まれる。

黒坂:サイオステクノロジーの黒坂です。システムインテグレーションを手がける事業部で、製品開発を担当しています。ご紹介にあずかった通り、最近は釣りにはまっています(笑)。

横溝:ありがとうございます。早速ですが、オープンソース黎明期のお話を聞かせていただきたいです。オープンソースは、いつ頃から国内で注目を集めるようになったのでしょうか?

吉田:1995年、Linuxが登場した頃だったと思います。それ以前はUnixを使っている開発者が多かったのですが、Unixマシンは非常に高価でした。だから、手頃な価格のLinuxが出てくると、注目を集めたんです。
雑誌『UNIX USER』(現在は『オープンソースマガジン』)の付録で、毎号必ずLinuxの新しいディストリビューションがついてきたので、みんなでインストールして試行錯誤していましたね。当時は、Linuxを動かすことが、楽しくてしょうがなかった。

黒坂:90年代当時、私は半導体のソフトウェア開発を手がけていました。コンパイルしたものを世界各地に送る仕事をしていたのですが、スクリプト組んで自動でFTPサーバーで送る仕組みを構築しているときに、Linuxに出会ったんです。
みんなLinuxで遊んでいましたよね。Unixは、たしかに高かったです。数百万円の端末を、たくさん並べてコンパイルしていましたから。

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BoostIO株式会社 Co-founder/CEO・横溝一将
大学在学中にシステムやアプリケーション受託の会社を福岡で起業しその後上京。その後会社として作っていたBoostnoteをオープンソース化し、現在はGitHubスター約15,000を獲得している。共創してくれているコミュニティの方々に何か恩返ししたい想いや、オープンソースエコシステムが抱える課題をIssueHuntに落とし込み、グローバルなメンバー達とともに世界へ挑戦している。

横溝:オープンソースに対して否定的な見解を持っていたり、そもそも概念を知らなかったりする人たちもいましたよね?

黒坂:2003〜2004年頃までは、好きな人が勝手に使っていただけなので、あまり説明コストはかからなかったですね。その後、ハードウェアベンダーによる正式なサポートが始まったり、業務向けのLinuxディストリビューション『Red Hat Enterprise Linux』が売り出されたりするようになってから、説明するシーンが増えてきたと記憶しています。

吉田:オープンソースの利用を提案しても、ポジティブに「やりたい」という気持ちには、なかなかなってもらえませんでしたよね。「え?やらなきゃいけないの?」といった消極的な反応が多かった。

『Red Hat Enterprise Linux』の衝撃–––オープンソースの“転換点”

横溝:2018年は、マイクロソフトのGitHub買収や、Red HatのIBMへのジョインなど、オープンソース業界が一気に動いた感覚があるのですが、それ以前にもターニングポイントがあったのか気になります。いま振り返ってみて、転換期だったと言えるポイントはありましたか?

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吉田:『Red Hat Enterprise Linux』が出てきてからは、一気にオープンソースが受け入れられるようになっていった感覚があります。個人の趣味から、エンタープライズ向けにシフトしたタイミングでした。

黒坂:「19万8000円」という値段がついたことが大きかったと思います。値付けによって、信用が生まれたんです。中身はそれまでのバージョンと比べて大きく変わったわけではありませんでしたが、ビジネスにおける価値がつくと、「じゃあ買おうか」と態度を変える人たちが増えた。予想を超えるスピードで、Linuxが浸透していきました。天気予測から人気のゲームソフトまで、さまざまなプログラムがLinux上で動くようになっていきましたね。ただ、シニアな経営層までオープンソースに信頼を寄せてくれるようになったのは、2010年代頃でしたが…。
また、2000年代中盤に、東京ビッグサイトでLinux関連のイベントが開催されたのも大きかった。それ以降、Linux系の雑誌やSlackwareがコンビニで売られるようになりましたから。

横溝:昨今のAIスタートアップのブームのように、Linuxビジネスがトレンドになったりしていたのでしょうか?

黒坂:たくさんありましたね。ただ、当時は自分も含め、オープンソースを使うことそのものが目的になってしまっていたと思います。

オープンにするのはもったいない?企業のクローズドな意識を変えるために

横溝:僕が普段感じるのが、日本企業の「ソースコードをオープンにするのは恥ずかしい」という意識の強さ。黎明期からオープンソースに携わってきたお二人に、この意識をどうやって振り払っていけばいいのか、お伺いしたいです。

黒坂:そもそも、「情報をオープンにするのはもったいない」という意識がありますよね。「お金が取れるかもしれないのに、なぜ公開しちゃうのか」と言われることも多かったです。

吉田:とはいえ、公開する価値がないソフトウェアもあるので、難しいですよね。

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黒坂:そうですね。手間ひまかけて公開することで、世の中の人びとが幸せになれるのかどうかは、考えなければいけません。たとえば、Excelのソースコードが公開されても、好奇心で見る人はいるかもしれませんが、社会の役に立つイメージは湧きにくい。

吉田:難しいですよね。昔、蒸気機関を作ったワットが特許を出したことにより、蒸気機関の進歩スピードが遅くなってしまったこともある。オープンにすることで、技術発展が促進される側面は大きいと思うんです。

横溝:一方で、オープンソースが普及したからこそ、生じる問題もありますよね。プロジェクトを他の人に引き継いだら、意図的にバックドアを仕込まれてしまったケースも見たことがあります。

黒坂:もちろん、問題はたくさん生じますが、気にしすぎてもしょうがないとも思います。オープンソースは、所詮何かを実現するための手法に過ぎないので、「この文化をどう活かすか?」ということだけを考えるべきです。何でもかんでも否定しはじめてしまうと、窮屈になってしまう。

吉田:そうですね。オープンソースは、シリコンバレーのスタートアップが、ビジネスのシステムを簡単かつ低コストで作ろうとするなかで生まれた手段なんです。あくまでも目的は「サービスを作ること」なので、どうしても未整備な点は出てきてしまいますよね。

横溝:持続可能性を高めるためには、貢献した人たちに対するマネタイズの仕組みも考えていかなければいけないと思います。性善説だけだと、どうしても立ちゆかなくなってくる。弊社が運営している『IssueHunt』や、先日取材させていただいた『Trivy』のように、オープンソースでお金を得られるケースが増えていくのは、良いことだと思います。

黒坂:そうですね。貢献してくれた人たちに、お金や仕事を与える努力はしていかなければいけません。だけど、普通にライセンスビジネスをやっても面白くないじゃないですか。より良いスキームを模索していきたいですよね。

まずは「ちゃんとRed Hatを買うこと」–––OSSのさらなる普及に向けて

横溝:2018年の11月、GitHubのリポジトリ数が1億を超えたことが話題になりました。一方で、先ほどお話したように、まだまだオープンソースの支援者が少ない点は課題だと思っています。今後、オープンソースをさらに普及させていくために、どんな課題が残されていると思いますか?

黒坂:比喩的に言えば、「Red Hatを買うこと」も大きな貢献だと思います。そうすれば、運営会社と開発者に、然るべきお金が落ちていきますから。それでは従来型のソフトウェアライセンス販売と変わらないよねということもありますが、無料で入手したOSSを利用し、コミュニティサポートとか検索エンジンに頼るというのではなく、適切な能力を持つ企業にサポートや技術支援を「適切な報酬のもとで」お任せするというのも重要なことです。

吉田:あとは、「Androidのシェアを握るぞ」と意気込むサムスンのように、企業が戦略を明示するのも大事だと思います。

黒坂:新しいサービスを開発できるような、チャレンジングなマインドや才能を持った人間を育成することも大切ですね。

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横溝:ありがとうございます。最後に、「オープンソースに興味はあるけど、何から始めたらいいのか分からない」と悩む読者の方に向けて、メッセージをいただけますか?

黒坂:うーん、難しいですよね…。僕らが「何でも教えてあげるから、とりあえずやってみてくれ」と言っても、強制しているだけなので、モチベーションは持ってもらいにくい。メッセージというよりは、僕らがもっと若い人たちと対話し、「こんなことしたら面白いよね」と議論していくしかない。ワクワクする話を、たくさんしていかなければいけません。

横溝:世代間のコミュニケーションをもっと増やすためには、どうすればいいと思いますか?

黒坂:話してみると、お互い面白いんですけどね。ミートアップのような、半強制的に交流機会を作ってしまったほうがいいと思います。

吉田:世代によって、得意分野や興味のある分野は違います。お互いの特性を尊重しつつ、得意な技術だけでなく、根本的な考え方を交わらせていけるといいですよね。

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