きみは地獄をとりもろす

 ぼくたちはいつもちゃんと死にたかった。
 写真におさまるほどの画角の中で、息が詰まる、真空、花火の爆発、星が生まれるとき、ぼくの静電気がきみの指先に伝わる瞬間、カーブを曲がりきれず落ちていく時間、観覧車から覗く、あまりに、あまりにも暖かな光の東京タワー、そのすべて、余すところない一瞬のなかで、ぼくたちは死にたかった。
 人間としての不全を振りかざして沈む地獄は心地よく、だからぼくたちは生きていられた。自分を大事にしないことはこのうえない快感で、それによって生き続けることを肯定されているような気がしていた。
 前に進むことと立ち止まることが等価だという幻想は、確かな質量でぼくに訴えかける。抗いようのない現実としてぼくを抱きしめる。良かった、ぼくの頭がおかしくなったわけではなかった。心底ほっとした。
 元気でいようとすればするほどそう見られることに苦痛を感じていた。居場所を作ろうとすればするほど居場所はなくなっていった。きれいなものを集めたつもりが、どんどん醜くなっていった。アクリルの絵の具、十六色、パレットにすべてひねり出して、追い立てられるように色を作った。そこに残ったのはバカバカしいほどくだらない生活で、片付けたあとにあるのは爆心地で立ち尽くす自分だった。ようやく気付いた。楽園は減点式で、地獄は加点式だったのだ。
 そこはもっとも純水に近いカプセルだ。あるいは、憧れて憧れて憧れて憧れて狂いそうなあの家族のダイニング。あるいは、神経が焼き切れるほど愛するひとの腕の中。あるいは、劣等感のための踏み絵。あるいは、死そのもの。
 ぼくはいつもちゃんと死にたい。コンパスが常に北を指すように、確実にそう思う。それは完全に決定されている。
 生きて、何かを生んで、誰かを喜ばせたり、悲しませたり、すれ違うことを繰り返していく。隣人を愛し、憎んでいく。インスタントに傷付いて、コマーシャルに立ち直る。
 ふと地獄に語りかける。少し間を追いてこう答える。
 とりもろす。
 それも完全に決定されている。
 きみは地獄をとりもろす。とりもろされる。地獄は優しく髪を梳く。計器が振り切れるほどきみを愛する。ジェットコースターのはじまりから終わりまできみだけを見つめている。零コンマ一秒以下一握の幸福のためだけに。
 きみは地獄を手離さないだろう。そして、たぶん、地獄もきみを手放さない。


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