Vertina

 三途の石を積んでは崩すことを繰り返していると、悲しさや虚しさよりも先に乾きが来る。乾きは渇望の過程に留まらず、そのものの凶暴さで俺をバカスコぶん殴り、こてんぱんの体は川辺に投げ出される。目の前を流れる赤く錆びついた川。渡し船の船長、その水は毒、その水は海につながる。

 重苦しい部屋の真ん中に置かれたパンドラの箱は生来の傲慢さで居座っている。俺にとってそれは頼みの綱だった。未確定の意思が手を離れて、無邪気に人を傷付けまいとするその瞬間に解放してやれば、部屋中に充満したなにかが俺のことを殺してくれる。そんな都合の良い期待を抱くに充分なほど、箱は禍々しく、神聖で、ただ、静かにそこにあった。そして何よりも、この箱が俺自身に何も求めていないという事実が、これ以上ないほど有り難く、衝動によって生きることも死ぬことも許されている気分になれた。それによってもたらされる最も心地よい関係性を、他者ではなく、箱に憶えることに、いま、何の後ろめたさもない。無機物と肉の塊の間に隔たる幾重もの(しかも不可知の)レイヤーを超えて、深く繋がっている気がしていた。

 摩擦する時間を、感情にてふらつく鉄の箱に乗った俺が進んでいく。振り返ることを恐れてキツく踏み込む。到底カーブを曲がりきれまいスピードに達した頃、俺はガードレールをぶち抜き、谷底へ落ちていく。落ち続けていく。地球は平面で、きっと着地点には際限がない。のっぺらぼうの野次馬たちが集まり俺を見下ろしているのが見えた。ひとりの母娘が俺に向かって手を振っていた。娘はランドセルを背負っていた。ぶら下げた黒い水筒に光が反射して、とてもきれいだった。入れ違いで俺も手を振る。何度かそれを繰り返して、俺は身を任せた。

 きみが隕石を見上げるころ。剥がれていく皮膚をゴミ箱へ投げ捨てるころ。抱きしめた腕がそっと花瓶に膿を流す「想い合う」という絵をみるころ。一口だけ飲んだ炭酸飲料をぼくに渡すころ。どれが欲しいのかわからなくなったころ。被害者だったころ。加害者だったころ。
 かなしみはほとりに連なる。辿ろうとも手繰ろうとも。はじまりはいつも同じ点にしかない。
 きみが隕石を見上げるころ、とっくに地球は塵になっている。剥がれていく皮膚をゴミ箱へ投げ捨てるころ、身体は灰になっている。抱きしめた腕がそっと花瓶に膿を流す「想い合う」という絵をみるころ、その絵を描いた人間は死んでいる。一口だけ飲んだ炭酸飲料をぼくに渡すころ、きみは見えなくなるほど遠くにいる。どれが欲しいのかわからなくなったころ、きみはすべてを手にしている。被害者だったころ、ぼくらは加害者で、加害者だったころ、ぼくらは被害者だった。
 ぼくは薬になりたい。深い眠りに誘い、二度と目覚めさせない。悪夢も良い夢も、しょうもない映画を無限に作れるほどのプロットも垂れ流して、どれだけ退屈でもそれを止めない。これは決して演習ではない。絶対に、二度と目覚めさせない。その間降りかかる、いかなる痛み、苦しみ、地獄すらも受け持つ。完全に決定された運命さえぼくが受け持つ。ぼくは薬になりたい。絶対にそう思う。

 

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