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1000記事毎日書かせていただけた、感謝の気持を伝えたい

※筆者注
令和5年3月にこれまで執筆してきた全記事を見直し、一部を残して削除しました。そのため、本記事内のリンク先も一部削除されて遷移不能になっています。予めご了承下さい。

一週間ほど前に公開させていただいた『英語のハノン』という英語学習教材の記事をもって、noteの連続投稿日数が1000日になりました。

連続投稿1,000日目の記事は図らずも過去最高のビュー数を獲得し、英語学習界隈の著名な先生を始めたくさんの方にシェアして頂き、たくさん方のもとにお届けすることができました。本当にありがとうございました。

およそ2年10ヶ月、毎日欠かさず投稿し続けてきたnoteの記事ですが、1,000日連続投稿をもって一つの節目を迎えることができたので、今思っていることを率直に書き記しておこうと思い、今日は机に向かっています。


読んでくれる方がいてくれたから書けた

物事を習慣的に継続することは比較的得意な僕ですが、ジョギング(マラソン)、英語学習などなどの中で、noteの連載が一番つらくて苦しかった、これが率直な感想です。

一番つらい現実は、3年前、noteに記事を書き始めた頃と比べて読者の方の数が減少していったことでした。この3年の間に起こった劇的な変化の中で、僕の「公務員を辞めて世界一周後セブ島に移り住んだ、英語好きの中年バックパッカー」という比較的稀有なキャラクターは、「日本で住所不定の、パッとしない中年英語講師」という記号に成り下がりました。

夢もない、希望もない(ほんとはあるんだけど恥ずかしすぎて言えない)。ただ淡々と毎日を過ごすだけの中年のおっさんに好意的な視線を投げてくれる人はそう多くはいません。

それが少なくとも僕の目に映っている「わたし」という現実です。

それでも、たった一人でもそんな「わたし」が書いた記事に「いいね」を押してくださる方がいる。そのことが億劫がる僕の体をラップトップの前まで運んでくれました。

そういうときに書く文章は得てして誤字脱字だらけ、文法も崩れていてあとから読み返してみても一体何が書きたいんだかわからない、そんな代物が多かったように思います。

そんな文章にも関わらず、毎日欠かさず読んでリアクションをくださる方がいてくださったこと。そのことに本当に心から感謝しています。この場を借りて、厚くお礼申し上げます

本当にありがとうございました。

日本中に、僕を助けてくれる人がいた

こんな駄文でも、毎日書き続けていると誰かの目には留まるものです。

僕の日頃の様子、そして窮状をnoteを通じて知って一宿一飯の御恩をオファーして下さった方がいました。
より直接的に金銭で(noteにはクリエイターに金銭を直接送信できる「サポート」という機能があります)援助してくださった方もいらっしゃいました。

僕が好きで勝手に書き付けた英語学習参考書の記事を読んでくださった著者の先生が、直接サポートして下さったこともありました。コンスタントに「英語多読」のことを書かせていただいていたおかげで出版社の方からお声がけいただき、英語学習系の雑誌に寄稿させていただく機会を得たこともありました。

そして、僕のコーチングに興味を持って、一緒に英語学習をすることを決意してくださった方がいました。

ありがとうございました。

直接的に金銭的な収入に結びつくようなものでなくても、僕の生き様を見ていて「面白そう」と思ってくださった方がいらっしゃいました。そんな方々からは、ご所属先での講演依頼を頂き、大学や英語教室、各種イベントや趣味のサークルなどにお招きいただいて、普通の人とはちょっと違う、僕のトリッキーな人生経験や英語学習歴について共有させていただく機会を頂きました。

僕のようなタイプの人間が最も切望している「社会とのつながり」を提供してくださったのは、間違いなくこれらの皆さんでした。そのこともとっても嬉しく、そして感謝しています。

家族はいない、家もない。天下無双のアドレスホッパーの僕に数カ月に渡って物理的に「住む場所」そのものを無償で提供してくださった方もいらっしゃいました(めぐみん一家)。

noteがなければきっと経験できなかった人の温かさ触れることができました。ありがとうございました。

クリエイターとしての限界も感じた

一方で、今年1月実家の父と大喧嘩をして出てきた際に雨あられのように飛んできた誹謗・中傷の心無いDM、LINEのことを思うと、今も心が痛くなります。

また、3年という期間毎日創作を続けてみて、これを定常的な収入源としてカウントできるレベルに引き上げることには限界がある=つまり自分には文章でお金を得られるほどの才能がない、ということもまた、痛切に思い知ることになりました。

創作を始めた2020年の1月以降、いろんな方に「文章うまいし、一年も続けていればどこかから声がかかってライティングで食っていけるようになるよ」という励ましを頂いたことが何度かありました。

文章を書くことそのものは嫌いではなかったので、それがある程度メシノタネになるのならチャレンジしてみるのも悪くはないと思いました。失うものもないですし。

これが僕の1,000日連続投稿のキッカケになりました。

最初の一年くらいはたくさんの方にお読みいただくことができましたが、フォロワー数の緩やかな増加とは裏腹に、読者の方の数、そして「いいね」の数は日を追うごとに減っていきました。

特に今年に入ってその傾向に拍車がかかりました。

noteには書いた記事の閲覧数などを確認できる機能があるんですが、全盛期の半分以下になるそれらの数字に、自分の能力のなさという現実を突きつけられる思いがしていて、それは本当に辛かったです。

「石の上にも三年」といいます。本来の意味はポジティブな、予祝に満ちたもののはずですが、僕にとってこのことわざは「とりあえずやり始めたんだから、3年はやれ」というある種の呪詛、呪いとして機能し始めることになりました。

ここまで書いてきたように、確かに自分にはライティングを生業にする力はありませんでした。それは素直に認めます。

でも、僕が書いてきたテクストは間違いなく僕を今日まで生かしてくれました。
それは読んでくださる方がいて、心理的、経済的、社会的なサポートをくださったからに他なりません。

そのことに対しては、どれだけ感謝の言葉を重ねても全然足りないくらい感謝の気持でいっぱいです。

noteは僕にとっての「生きがい」だった

こうして毎日机の前に向かった3年間は、決して大げさでもなんでもなく、僕にとっては「生きがい」そのものだったと思っています。

コロナウイルスの感染拡大で大好きなフィリピンからの帰国を余儀なくされた時も書きました。移住先の富士吉田市で地域から孤立して職場でパワハラにあっていた日々も、仕事から帰ってぐったりしながら書き続けました。

英語コーチングが忙しすぎて書く時間がまったくなかった日は、仕事が終わってからラップトップの前でうつらうつらしながら書きました。それでもかけなかった時は翌日「書けなかった(理由)」という記事を書いてしのいだこともありました。

シェアハウスに馴染めずに、群馬県高崎市を去った日の夜も書きました。群馬から戻った実家で父から散々馬鹿にされて46年の恨みが爆発してしまい、家中のものを殴って拳がパンパンに腫れて傷だらけになった日の翌日は、スマホを使って左手だけで書きました。

同じく日課としている英語学習をお休みした日が、6年間の中でたった一日だけありましたが、それが右手が血だらけでパンパンに腫れ上がったまさにその日でした。

4年以上日課として続けているマインドフルネス瞑想もできない日がありました。それでもこの「note」だけは、絶対に絶対に、一日も欠かさず書いて、公開し続けてきました。

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3年弱継続した日課なんて、そもそもそんなに大したものじゃないのかもしれません。

でも、あまりこれと言ってパッとした才能がない僕に、ほとんど唯一母が授けてくれた「一旦始めたことは辛くても毎日続ける」という能力だけは、こうやってここに並んだ1000の記事が証明してくれているような気がして、ちょっとだけ自分のことが誇らしく思えるような気がしています。

それもこれも、読んでくださった読者の方のおかげです。

皆さんのおかげでこのnoteを通じて今まで知らなかった自分自身に気づき、いろんな方と繋がることができ、人の温かさに触れることができました。

家族に見放されても、仲間はずれにされても、僕の生き様が気に入らないと親族・知人・見知らぬ人からどれだけ辛辣な言葉を投げつけられたとしても、こんなささくれだった日常を過ごす僕に温かで開かれた気持ちで過ごす事ができる時間を与えて下さったのは、間違いなく、僕をパソコンの前に向かわせてくれた、このnoteを読んでくださった読者の皆さんに他なりません。

物理的な、社会的な、そして精神的な援助と「つながり」の感覚を与えてくださった皆さんに他なりません。

本当にほんとうに、ありがとうございました。どんなに感謝してもしきることはできませんが、それでもどうしてもこの気持ちを届けたくて、稚拙なテクストに乗せて、感謝の気持ちを書き綴ってみました。

最後までお読みくださってありがとうございました。あなたがいてくれたから、この暗黒の3年間を生き抜くことができたんだと、心から思っています。

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